中東―危機の震源を読む
中東―危機の震源を読む(26)

フセイン処刑のどこが「イラク流」の本質だったのか

池内恵
執筆者:池内恵 2007年2月号
カテゴリ: 国際
エリア: 中東

 昨年末十二月三十日にサダム・フセインが処刑された。二十六日の有罪確定を経て、この日早朝に米側から身柄を引き渡された直後の処刑だった。 フセイン処刑については、欧米や周辺アラブ諸国での議論が喧しい。その拙速さをいぶかしむ声や、裁判と処刑がシーア派による「私刑」と「復讐」の場になってしまったという批判である。それに対してイラクのマーリキー首相が「国内問題だ」と強硬に反論する事態となった。 結論から言えば、フセインの裁判と処刑は、「イラク流」の前権力者の処罰と、国際的に公正とみなされる裁判手続きとの折衷となり、どちらの効果も曖昧となった。そして、判決と引き渡しから時をおかずに処刑したという経緯や、死刑執行の場にシーア派勢力のスローガンを叫ぶ集団がいたことは、結局は新たな権力者による旧権力者の処断というやり方に、かなりの部分依拠せざるを得なかったといえよう。政権のジレンマを体現 まず、西欧諸国の、死刑制度そのものに原理的に反対する立場からの批判については、次元の違う問題というほかない。死刑を否定する価値観がイラクに行きわたっているとは言いがたい。フセインが死刑にならないのであれば、公正な裁きがなされたと納得する者は、イラクではかなり少なくなる。これはシーア派やクルド人の間では圧倒的な受け止め方だが、スンナ(スンニ)派の住民にしてもフセインの恐怖政治を経験したことに変わりはない。よほど運が良くない限り、政権を失ったフセインが死刑に処されることはやむをえない、ということはスンナ派の住民も共通の前提としている。彼らの批判は、現政権を認めないがゆえにフセインの有罪も認めない、というだけのことである。

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執筆者プロフィール
池内恵
池内恵 東京大学先端科学技術研究センター准教授。1973年生れ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授を経て、2008年10月より現職。著書に『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書、2002年大佛次郎論壇賞)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2009年サントリー学芸賞)、『イスラーム国の衝撃』(文春新書)、本誌連載をまとめた『中東 危機の震源を読む』などがある。個人ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」(http://ikeuchisatoshi.com/)。
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