フランス極右政党「国民戦線」の「変遷」と最新「変貌」事情

第1回「Fête des Nation」で演説するFNのルペン党首。欧州議会の第3勢力になれるか。AFP=時事

 

 5月1日は労働者の祭典「メーデー」だが、フランスの右翼にとっては「ジャンヌダルク祭」である。40年ほど前からルーブル美術館の近くの黄金色のジャンヌダルク像の前でデモと集会が行われている。今年は、極右政党「国民戦線」(FN)の創設者ジャン=マリー・ルペンが花束をささげた。だが、彼は後継者でもあった娘のマリーヌ・ルペン党首によって、もはやFNを除名された身である。裁判で「名誉党首」の座だけは守ったが、それも、最近のFNの党規変更で名誉党首という称号そのものがなくなってしまった。

 同日、FNの幹部とマリーヌ・ルペン党首は、南フランスのカンヌにあるジャンヌダルク像の前にいた。そのあと車で30分ほど離れたニースの国際会議場に向かった。

 欧州の極右政党を集めた第1回「Fête des Nation」(諸国家=国民=祭)である。

欧州「右派」連合が勢揃い

 EU(欧州連合)では、各国の党が集まって欧州政党をつくっており、欧州議会ではそれらを母体にした議員団がつくられる。FNは各国の右派政党のうち、欧州議員を輩出している「オーストリア自由党」(FPÖ)、イタリアの「同盟」(Lega)オランダの「自由党」(PVV)、ポーランドの「新右翼会議」(KNP)のほか、ベルギーの「フランドルの利益」(VB)、ブルガリアの「意志」(Volya)、チェコの「自由直接民主制運動」(SPD)、ギリシャの「新右派」(Nea Dexia)とで、「諸国家(国民)と自由のヨーロッパ運動」(MENL)という連合組織を形成している。これを母体に、欧州議会内では「諸国家(国民)と自由」(ENL)という議員団をつくり、メンバーは36名中17名がFNである。なお、躍進中の「ドイツのための選択肢」(AfD)とEU離脱をリードした「英国独立党」(UKIP)からはそれぞれ個人として1名ずつ入っているが、党としては入っていない。

 この催しには、MENLメンバー代表が勢揃いだった。

 ただし、イタリアの「同盟」代表で新首相候補ともされているマッテオ・サルヴィーニは、組閣問題でビデオ参加だけとなった。また、オランダ「自由党」党首のヘルト・ウィルダース党首は直前に欠席を決めた。2014年3月のデン・ハーグ市議会選挙での差別発言の裁判準備のためという理由だが、FNとのヘゲモニー争いも噂されている。

党名も変更

 ルペン党首が昨年のフランス大統領選挙の決選投票で得票率33.90%で惨敗したあと、FNは内憂外患にみまわれた。

 欧州議員秘書の架空雇用スキャンダルで欧州議会から約43万ユーロを請求され、17人の現職および元のFNの欧州議員と40人のFN職員が告訴され、FNも法人として訴えられた。このほか、ルペン党首個人にも脱税容疑がかけられている。

 内部では、ファシスト・対独協力者擁護という先代のジャン=マリー・ルペン元党首時代のイメージの払拭に努め、党を引っ張ってきたフロリアン・フィリポー副党首に、選挙の失敗の責任を問う声が高まり、ついに離党に追い込まれ、ライバル政党を作った。

 また、ルペン党首のライバル、姪のマリオン=マレシャル・ルペン元議員は、大統領選敗北後の逆風の中での総選挙で再選失敗のリスクをとることを避けて、立候補を見送ったが、アメリカの保守派大会に招かれて演説したり、リヨン市に「政治学校」を開くなど、着々と復帰の準備を進めている。

 そんな中で、3月10、11日には建て直しの党大会にこぎつけた。

 そこでは、父ルペン元党首の愛着する「国民戦線」という党名をやめるとした。新党名は「Rassemblement national」である。「Rassemblement」は党名としては通常「連合」と訳されるが、「結集」というニュアンスがある。大統領選挙のとき、ルペン党首は右派政党のカラーであるブルーとあわせて、「Rassemblement bleu Marine」をスローガンにしていた(bleu marineには藍色という意味もある)。また、1986年、FNが初めて国民議会に議員を送ったときの議員団名でもある。このときにはFNの議員以外に既成右派政党の議員2人も入っていた。

 このように、従来の支持層を超えた支持拡大、他党との連携を視野に入れた党名である。

 なお、新党名は5月9日から3週間にわたる4万5000人の党員投票を経て、6月1日に発表される。

従来の主張・方針を転換

 さて、5月1日のニースの集会は、FNが健在であることを内外に示すと共に、新しい路線の宣言の場でもあった。

 「私たちは、エリゼ(大統領官邸)への道からしか欧州を変えられないと思っていた。しかし我々は、欧州を欧州から変えられる」とルペン党首はいう。

 かつては「ブリュッセルにノン」を掲げ、フランスで政権を取って現在のEU執行部と対決しようとしていた(これが、しばしばEU離脱勢力という誤解を生んだ)が、こんどは直接EUの内部から変えていこうというのである。

 大統領選ではフランス革命、ドゴールへの言及が目立ったが、1時間にわたる今回の党首演説からは、一切消えた。かわりに、「ギリシャ・キリスト教遺産を、誇りを持って私たちは掲げます」と宣言。さらに、「私たちはフランスのキリスト教のルーツを主張します」ともいうが、信徒であるかどうかにかかわらずクリスマスを祝うように、宗教としてではなく文明として尊重するのだと強調することで、アメリカの保守勢力やキリスト教原理主義と一線を画している。

 ついでにいえば、日本の保守のように個人よりも「和」を尊ぶのではなく、あくまでも「個人を自由で、唯一の、自立した人間として認める」ことを基礎としている。

 そこで、移民問題も「自由貿易主義と無国境主義の思想に目がくらみ、EUは私たちにこの狂った移民政策を課し、欧州を没落させようとしています」と、文明のレベルで論じる。

 そしてルペン党首は、エマニュエル・マクロン大統領のEUは、アメリカに服従してアメリカをモデルにし、国民国家を支配して均一化を図る「反欧州」だと批判し、「諸国家の欧州連合」としてのEUという概念を提唱した。

 ニース集会は、来年5月の欧州議会選挙を見据えたキックオフであった。このスローガンを軸に、「投票箱による革命」を起こすのだという。

 また、これをバネに、フランス国内でもFN支持層を超えてすべてのナショナリスト、主権国家主義者を結集して、ポスト・マクロンの政権の座を狙おうというのである。

メルケル首相の「弱体化」

 この転換の背景には、ルペン党首自らが認めるように、近年の大きな変化があった。

 まず、欧州における極右勢力の台頭である。

 イタリアでは、FNの伝統的な友党である「同盟」は権力に手が届くところにいるし、オーストリアのFPÖは連立内閣に入っている。チェコの SPD、ブルガリアのVolya、ベルギーのVB も、国内の総選挙で議席を獲得している。

 また、MENLに参加はしていないが、ハンガリーのビクトル・オルバン首相の勝利や、ポーランドの現政権もあいかわらず「反移民」「反欧州」を崩していない。

 つづいて、ドイツのアンゲラ・メルケル首相の弱体化である。欧州議会では同党首の「キリスト教民主同盟(CDU)」を中心とする既成右派政党の「欧州人民党」(EPP)が751議席中219議席で第1党になっているが、これはその弱体化を意味する。この党にはフランスの「共和党」も入っているが、これもマクロン政権下で衰退している。かわりに、先にも述べたハンガリーやポーランドの与党もメンバーで、彼らの発言力が増す。

 さらに、マクロン大統領のあまりにも強い欧州連邦主義である。ルペン党首は「彼のヨーロッパ主義は、ヨーロッパ主義者を疲れさせている」という。さらには、中欧諸国のほか、オランダや北欧、バルト3国など「小国」によるメルケルとの独仏枢軸の復活への警戒もある。

「第3勢力」を目論む

 もともと、極右は国粋主義なので、国際的な共闘にはなじまないと思われていたが、あえてそれに挑戦して極右を集め、共産主義に対抗する「インターナショナル」をつくろうというのは、父ルペンの発想だった。だから、欧州諸党派連携においてFNは指導的位置にいる。

 また、英国のEU離脱も、ルペン党首にとっては僥倖である。

 現在、欧州議会での欧州懐疑派は、ENLのほかに「欧州保守改革」(CRE)、「自由と直接民主主義の欧州」(ELDD)の3つのグループに分かれている。このうち、CREは「英国保守党」、ELDDはUKIPが中心である。つまり、英国の離脱でできる空白にFNが入り込んで、結集し、第3勢力になろうというのである。

 富裕層、新自由主義が支配するヨーロッパに対する人民、庶民の「別のヨーロッパ」は、左翼の主張だった。2005年のフランスやオランダにおける国民投票での欧州憲法否決は、その好例である。しかしながら、近年、左翼勢力自体が衰退化してきている。いまやその部分を担おうというのである。

 

カテゴリ: 政治
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