「京都」はなぜ経済的に未発達なのか――未来の都市として再生するための処方箋

執筆者:有賀健
執筆者:井上章一
2023年10月18日
カテゴリ: カルチャー 社会
愛ゆえに京都に喝を入れた有賀健氏(左)と井上章一氏

「京都」はなぜ日本の中心都市から脱落したのか――「京都」礼賛一辺倒に疑問を持つ京大出身の経済学者・有賀健氏が、この町の近現代の軌跡を統計データを駆使して分析した『京都 未完の産業都市のゆくえ』。異色の「古都改造論」をめぐって、『京都ぎらい』の井上章一氏との間に地元愛ゆえの過激な提案合戦が繰り広げられる。

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――お二人とも阪神タイガースのファン、この度のセ・リーグ優勝、おめでとうございます。有賀さんは新刊『京都 未完の産業都市のゆくえ』の発売日にぴったり優勝が決まるのではないかと期待されていたようですが、関西人はおおむね阪神ファンになるのでしょうか。

有賀健 自分で言うのもなんですが、この点については、私は高貴な血筋、由緒正しい阪神ファンでして、生まれは兵庫県尼崎市、最寄り駅は阪神尼崎駅、その中央商店街はプロ野球開幕前日に「日本一早いマジック点灯式」をして、阪神のマジックナンバー143を掲げるので有名です。阪神電鉄に勤めていた父に連れられて、甲子園には弁当持参で何度も応援に行く、そんな幼少期を過ごしました。

井上章一 今は野球好きの7~8割くらいは阪神贔屓になっていると思います。ただ、最近はオリックスのファンも増えていますし、小学生のときは南海ホークスが好きという友人も多かった。私が物心ついたのは、京都市の嵯峨ですが、昭和37年と39年に3年間で2回優勝したときがあり、それで「阪神は強いチームや」というので贔屓を始めました。

インバウンドの経済効果の実態

井上 ところで、経済学者の有賀さんに伺いたいのですが、よくどこそこのチームが優勝すると数百億円の波及効果があると報道されることがありますが、あれはどう算定されているのでしょうか。

有賀 新たに生まれる需要を足し合わせるのでしょうけれど、ひとつ文句を言うなら、マイナスのほうは全然計算にいれていない。それら全部をひっくるめるとどうなのか。百貨店の優勝セールで炊飯器を買えば、そのときの売り上げにはなりますが、何年か後に買ったであろう需要を先取りしただけで、ネットでは差し引きゼロということもできます。

 同じような例は、今度の本でふれたように、インバウンド需要にもあって、当初、中国からの団体観光客は関空で日本に入国して成田から出国するツアーが多かった。ところがそれだと、家電製品を爆買いするのは、帰国を前にした秋葉原で、となってしまうので、大阪の電気街・日本橋(にっぽんばし)の組合が働きかけて、関空から出ていくツアーを増やしてもらったということがありました。それは関西の家電量販店にとっては波及効果になりましたが、関東で減った分も見れば相殺されます。経済的な波及効果にはそういう側面もあります。

――関西出身の御両名とも京都大学に通われましたが、京都でも「洛中」と呼ばれる、限定された地域の存在に気づかされたのはいつからですか。

井上 私の世代では、近所のおばあさんたちが大丸や高島屋ヘ買い物に出かけるときに「京都ヘ行く」といっていました。ですから、子ども心に「嵯峨は京都じゃないのかな」と、どこかで感じていました。

 その後、大学の建築学科に進み、京町家の実測調査に出かけたことがあります。その時に通行人から「いけず」を言われたことがあります。そのオジサンは「君たち、京大の学生らしいな。この辺では、息子が京大に入ったら周りから同情されるんや」と。なぜなら「京大に入るような子はたいがい家を継がないで町を出ていく。このお店も今の旦那の代で終わるだろう」、だから、近所の人から「かわいそう」と慰められるというのです。私が住んでいた嵯峨だと、親がそんな風に同情されるようなことはなく、近所のお母さんたちが「章ちゃん、よくがんばったね、おめでとう」と私を褒めてくれたのにです。そんなこともあって、祇園祭に鉾や山車を出すような洛中の町では、「京大に行くようなのは困った子」というのが、共通の了解になっていることを知りました。そう考えると確かに、京都の老舗をつぐ跡取りは同志社大学出身が多いような気もします。経済的に京都を支えているのは、同志社出のブルジョワなのかもしれません。

有賀 子供の頃、大覚寺に縁のある、姉の華道の家元が嵐山にあって、家族で生け花を見に行った時に、嵐電(京福電気鉄道)に乗りまして、その時に「帷子ノ辻」という駅名を見て、母が「京都だから由緒がありそうな名前ね」と言ったのを思い出します。

 一方、家の近所には「尼崎センタープール前」という駅がありまして、当時、日本で一番長い駅名として有名でしたが、「センタープール」というのは競艇用の池のことなんです。空から煤煙が降ってくるような火力発電所もあって、そんな場所から嵐山に行くと「ここは別世界だな」という印象を子どもながらに受けました。しかし、大学に通うようになると、下宿先から東大路通沿いに走る市電で向かうルートは都心から外れていることもあり、仕舞屋風の家が目について、なんとなく街がうらぶれてくすんだように見えました。

「南西回廊」の重要性

井上 京都を分析するにあたり、本書ではたびたび、大阪はどうだったかが検討されます。これまでの研究を振り返ってみると、大阪の都市史であれば、宮本又次・宮本又郎父子、作道洋太郎などの諸先生方を始めとして経済学畑による研究の蓄積があるのですが、京都に挑む人はどうしても日本史畑の研究者が多かった。本庄栄治郎さんの『西陣研究』のような例もありますが、経済学者がそそられるのは比較的オーソドックスな近代化の道を辿った大阪で、手薄になっていた関西のもう一つの都市に有賀さんが統計資料を駆使して踏み込んでくださった。おかげで、ステレオタイプではない京都の近現代像を見ることができたのではないかと思います。

有賀 都市経済学の専門ではないので、断定的なことは言いたくないのですが、京都を「未完の産業都市」とすると、大阪は着実に産業都市へのプロセスを経た、東京以上に「都市らしい都市」です。

 というのも、東京は複数の都心があるので地理的に都市構造がわかりにくくなっている。また、ど真ん中に皇居があるので、そこだけぽっかり穴が空いているようになって地理的な分析もしづらい。

 一方、大阪は様々な産業が起こり、衰退していった教科書的な都市なので、それをベンチマークに京都を分析してみました。大阪で起こったことが京都ではどうだったかという形で筋道を立ていったのです。

井上 「南西回廊」つまり、阪神間から琵琶湖を結ぶエリアに京セラや村田製作所、島津製作所、オムロンなど電機・機械を中心とする新しい産業の集積がなされているという見方は、実感としてはあったのですが、あんな風にまとめて頂くと、「なるほど、そうや」と思いました。

有賀 ただ、後から考えてみると、大阪や東京と比較するからあのような分析になったのですが、仙台、金沢や福岡といった旧城下町の都市発達史を見てみると、京都は城下町ではありませんが、どれも共通して、近代化・産業化にもがき苦しんでいます。

 具体的には、どの町も旧城下町の入り組んだ町民地、木造家屋の密集地を区画整理してきた歴史があるのです。京都の場合、幸か不幸か、空襲を受けなかったので、近世的な地方自治を司る町衆と近代的な都市開発を進める産業資本家がぶつかり合ってきた歴史が長く続いたのではないかと思います。

井上 大阪はある意味、近代化を貫徹した都市で、大阪が辿った道は、たとえばシカゴも通ったのでしょうね。しかし、日本の都市は多少なりとも、近代化に関しては変則的な都市発展史を遂げたのではないかということですね。

有賀 大阪と比較したから、京都のそういった側面が目立つのであって、城下町だった都市には、おおむねそのような変則的な都市発達史があるのではないかと気づきました。

井上 「食べログ」や「一休.com」などのウェブサイトを元に、レストランや小料理屋の店舗がどう集積し、京料理が20世紀末からどのように飛躍的な技術革新を遂げたかを描いていますが、祇園や先斗町などが「小料理屋のシリコンバレー」になっているという指摘も、なるほどと膝を打ちました。統計的データに裏付けられた分析には、有無を言わさぬ説得力がありますね。

有賀 京都の和食に歴史と伝統があることは否定しませんが、革新と成長の歴史は意外に古いものではなく、過去20年程度の観光客の増加によるものでしょう。

井上 一方で「歴史がある」「由緒がある」ということに対して持つプライドの高さが、京都は他の都市よりも格段に強いことも確かで、あるシンポジウムで確か柊家の女将さんが「うちなんかまだ200年しか続いてませんけれども」と前置きをして発言を求めはったんです。他の町だったら、それだけ歴史があれば大威張りだと思うんですが、古い老舗が幅を利かせている点では京都は他に類を見ない町です。

 「八ッ橋」の老舗同士の創業年の真偽をめぐる裁判も京都ならではのこと。うちのお菓子の製造技法を盗んだとか、意匠登録されたものをくすね取ったからというのではなく、純粋に歴史が古いかどうかの争いなのですから。この町では歴史を持っていることが重んじられるので新参者には居づらい。だから、京都駅からもずっと南の「南西回廊」でしか新興企業が生き残れなかったのかもしれません。

町衆に足りなかった、いやらしいプライド

――古い街並みが残る京都の都市景観については、お二人で見解の相違があるようです。

有賀 イタリアのフィレンツェやベネツィアなどが素晴らしいことは間違いありません。一方で、イタリア人の経済学者と共同研究しあちらに滞在した時に感じたことですが、暖簾で稼ぐ町のいやらしさというのもあると思うのです。

 たとえば、イタリアの名だたる都市の大学は、あちこちから集まる寄付金で経済関係の研究所を持ち、EU(欧州連合)圏内はもとより、米国の大学との交流も多いのですが、功成り名を遂げた経済学者がそこに名前を連ねているのが目立ちます。彼らの目的は研究ではなく物見遊山でしょう。

 また、テレビを点けると目に付くのが不動産の広告。元貴族という連中が展開する様々な外国人観光客目当ての商売で、元貴族の館という触れ込みのホテルを筆頭に、あやしげなビジネスの勧誘や、アパートの仲介などなど山のようにあります。

 私は、このようなイタリアの諸都市の現状は京都にとっての反面教師だと思います。町並みは保存されていますが、フィレンツェにルネサンスの栄光を再び起こす活力はもうありません。

井上 ぜひ『フィレンツェぎらい』という本をイタリア語で出されてみることをお勧めします(笑)。現地で共感を持つ人もいるのでないかと思います。イタリアの貴族って、もはや特権を持っていないのに、「伯爵」とか「公爵」と自称する人がいますよね(笑)。戦前以来の日本資本主義の特質をめぐる議論で、イギリスやフランスは近代化に成功した、それに対して、日本は封建主義を残している遅れた資本主義だという講座派の理論がありました。しかし今の日本では旧華族はほぼ完全に一掃されたのに対して、イギリスをはじめヨーロッパでは貴族がまだ残っているのですから、講座派の理屈は成り立たないなと思います。

有賀 イタリアに関して言えば、公的には爵位が存在していないからこそ、余計に強調するんですね。

井上 私がフィレンツェに憧れたのは、建築に憧れてという要素が大きいのですが、ひとつの例として、神戸女学院が1990年代に築70年ぐらいだった建物をどうするかも含めて、新しい経営の指針をコンサルタント会社に頼んだことがあるのです。そのコンサルタントは結論として「築70年の校舎は持っているだけで不良資産。維持費もかかるし壊して、新しくビルを建てて、テナント料を取ったほうがいい」と勧めた。しかし、神戸女学院の教授会はこのコンサルの提案を撥ねつけたのです。コンサルのほうは「こんなゴミ屋敷みたいの、今後も持ち続けるのですか?」と、ほとんど涙を流さんばかりの勢いで再考を促したと聞いています。私はその英断に共感しているのですが、シエナの市庁舎は築700年をゆうに超えている。そんな築300年、400年を超えた建物が並ぶイタリアの古い町なんて、ゴミ屋敷が街を埋め尽くしているとも言える。イタリアの都市に素晴らしい街並みが残っているのは、地権者たちの貴族意識を振りかざした、本当にいやらしいプライドのおかげだとしたら、京都の町衆にはそのいやらしさが足らなかったのかもしれませんね。

有賀 京都の将来を考える上でベンチマークとなりうるのはアメリカ東海岸のボストンです。両方とも大学都市ですし、栄えていた繊維業が凋落したというのも京都と似ています。

 80年代、ボストンは製造業の衰退とともに街は荒廃し、人口も減少傾向にありました。金融やバイオ医療でのベンチャー、データ分析などの企業サービス業がIT革命とともに伸びてドン底からカムバックしてきたという歴史があります。

 ただし、アカデミー賞を受賞した映画「ディパーテッド」にも描かれているように、アイルランド系、イタリア系、ロシアからのユダヤ系とそれぞれ別々の地域に住んでいて、一体感がある都市とはいえない。人種的な違いや社会階層の差がもたらす軋みが大きい。そういう意味で、ボストンが京都のお手本にそのままなるかというと、そんなに話は簡単ではありません。

 仮に京都にたくさんスタートアップが起こり、いくつかが大成功を収めて雇用も増やすという理想的な事態が起こったら、新しい社会階層やバックグラウンドが違う人が町の中心部にやってくることになります。そんな時、京都が今持っている「空気の柔らかさ」が失われてしまうのではないかということも、漠然と危惧しているのです。ただ、どうせだったら、街に新しい血を注いだ方がいいんちゃう、と思うのです。

井上 これは、俗耳に馴染みすぎているのかもしれませんが、たとえば、従業員を叱り飛ばすのではなく、皮肉の褒め殺しで、時間にルーズな人へ「ええ時計持っとるみたいやな」(時計を見るよう婉曲に促している)とかそういう言い方ができる、これが京都人の柔らかさなんだと思います。

 マリ共和国出身で、京都精華大の学長をしていたウスビ・サコさんから聞いた話ですが、彼は賑やかなことが好きな人で、おうちでよくホームパーティーをするらしいんですね。すると、近所のおばさんから「いつも楽しそうですね」と言われた。そこで、「はい、楽しいです」と答えていたというのです。それがいつの日か、警察から連絡があって、近所から苦情が出ていると(笑)。「楽しそうですね」が苦情だとは、サコさんは気づかなかったと言っていましたが、海外からいろいろな人を迎え入れるようになった今、この京都風の褒め殺しっていうのはどんなもんだろうっていうふうに思います。

「洛中」に地下高速道路を!

――有賀さんは京都を甦らせるため、いくつか提案があるようですね。そのうち、交通問題に関する考えをお聞かせください。

有賀 現在棚上げになっている堀川通地下の自動車専用道計画を復活させ建設すべきで、それも現行計画のように五条通で止めるのではなく、今出川あたりまで延伸すべきだと思います。 たとえば、観光バスは九条堀川・油小路、十条通あたりから入って京都御所あたり、今出川通に作った出口から金閣寺に行ってもらったほうが、街中の交通渋滞はかなり解消できるのではないでしょうか。あまり土木技術を過信してはいけないのかもしれませんが。

井上 ただ、京都の地下工事は埋蔵文化財がたくさん出てきますよね。

有賀 確かにその通りで、地下鉄東西線の工事が予定よりも遅れたのはそのせいです。しかし、あの工事は地表面から掘り下げてトンネルをつくる開削工事という方法を採ったので、浅い地層にある様々な遺跡にぶち当たり、思ったより費用と時間を費やしてしまったのですが、大深度で掘削すれば法律的には問題ないのではないかと思います。とはいえ、いざ外環道でやってみると、東京都調布市で大きな穴ぼこができるという事故も起きていて、高架ではなく地下化すると、数千億円でも済まないくらいの費用がかかるかもしれません。

 井上 京都は東寺から南側までしか高架を受け入れていませんよね。しかし、例外的にJR山陰本線だけは高架です。あれを計画するにあたって、当時の運輸省から「線路を持ち上げて問題ないか」と京都市の担当者に問い合わせたのですが、そのときに担当者が「あの辺りは京都じゃないから大丈夫です」と言い放った、そんなまことしやかな噂が、私の所属していた京大の建築学科地域計画教室に語り継がれていました。

有賀 ちょうど南北に、旧市街とその外の境あたりをJR山陰本線が走っています。

井上 豊臣秀吉の御土居なのです。だから、もともと洛中洛外をわける壁があったというのが市の職員の理屈なのか。いずれにせよ、これは裏も取れていない、教室で語り継がれてるフォークロアでしかありません。ここで念を押しておきます(笑)。

(おわり)

有賀健『京都 未完の産業都市のゆくえ』(新潮選書)
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執筆者プロフィール
有賀健(ありがけん) 1950年、兵庫県尼崎市生まれ。京都大学経済学部卒。イェール大学経済学博士(Ph.D.)、京都大学名誉教授。専門は労働経済学を中心とした応用経済学。主著Internal Labour Markets in Japan(共著、Cambridge University Press, 2000)。
執筆者プロフィール
井上章一(いのうえしょういち) 1955(昭和30)年、京都府生れ。京都大学大学院修士課程修了。国際日本文化研究センター所長。『つくられた桂離宮神話』でサントリー学芸賞、『南蛮幻想―ユリシーズ伝説と安土城』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。著書に『京都ぎらい』『学問をしばるもの』『美人論』『関西人の正体』などがある。
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