中国共産党が狙った日韓・日台関係へのくさび――第三国の社会を標的にする影響工作

執筆者:市原麻衣子 2024年4月1日
エリア: アジア

反日感情の存在する韓国が対中連携の分断を狙う影響工作のターゲットに選ばれた[福島第一原発のALPS処理水放出に対する抗議デモに参加した韓国の人々=2023年8月26日、韓国・ソウル](C)REUTERS/Kim Hong-Ji

影響工作は必ずしも対象国だけを狙う二国間のものばかりではない。対象国と第三国の連携を阻害する目的で、第三国社会を対象として行われるものもある。中国共産党は対中安全保障連携をターゲットにして、様々なナラティブを形成してきた。例えばALPS処理水放出を巡る言説では、偽情報は、その多くがまず韓国や台湾で拡散され、これらの社会における処理水放出反対派を焚きつけた。韓国や台湾における反日感情を増幅させ、日韓・日台関係にくさびを打ち込もうとしたのである。

 

安全保障の観点のみによる分析には死角も

 つい数年前まで、日本が海外からの影響工作の対象になっているという理解はほとんど見られなかった。影響工作に関して論じる研究でも、日本ではそれが行われていないか、影響が極めて限定的であると論じていた。

 こうした理解は、2022~2023年に起きた2つの事例を契機に大きく変化した。ロシアによるウクライナ侵攻、および東京電力福島第一原子力発電所の処理水放出である。ウクライナ侵攻を巡るロシア政府のプロパガンダが日本の知識人や政治家、メディアなどにも浸透し、様々なアクターがロシア発の偽情報を日本語で拡散した。福島の処理水放出を巡っても様々な偽情報が飛び交い、政治的意図を持って情報を操作するアクターが日本をもターゲットにしているということに日本社会はようやく気付いたようだ。

 鋭く反応したのは安全保障コミュニティである。ウクライナ侵攻を巡り、ロシアが重要インフラへのサイバー攻撃や情報操作による影響工作を軍事侵攻と組み合わせて行うハイブリッド戦争のアプローチを取っていることから懸念が高まり、ハイブリッド戦争に対する備えの必要性に関する認識が拡大した。特にロシアのウクライナ侵攻が中国による台湾の軍事併合シナリオの懸念を高めたことで、安全保障コミュニティはサイバー・情報戦に関する議論に本格的に着手し始めた。

 しかし安全保障の観点のみから影響工作を分析しようとすると、見落としがちになる点が存在する。自国をある特定の国からいかに守るかという二国間の視点に囚われ、国ではなく社会を対象とした影響工作、特に第三国の社会を対象としたそれを看過する可能性があるのである。

国家間連携にくさびを打ち込む目的も

 外国勢力が他国に向けて影響工作を行う際、しばしば2点が目的として指摘される。対象国を不安定化させること、そして自らの選好に照らして好ましい候補者や政党などを勝利させることである。

 影響工作の最大の目的は、対象国を分極化させ、不安定化させることにあると考えられている。政府の政策がどうあるべきかについて、世論の間で論争がない国などない。税制や年金、教育制度や介護制度、女性や少数民族の人権保護など、どの国でも様々な問題で論争が繰り広げられている。権威主義国は、こうした対立を利用する。対象国内で論争が繰り広げられている問題について、両極端な見解を増幅する。論争が燃え上がっている問題をしばしば「ホットボタン・イシュー(hot button issue)」と呼ぶが、これを狙うのである。米国で銃の発砲による事件が起これば銃規制派と銃反対派の意見を書き込むSNSアカウントを大量に作成し、イスラム教徒を狙ったヘイトクライム事件が起きれば、イスラム教徒に差別的な書き込みと、イスラム教徒の人権保護を訴える極端な書き込みをするアカウントを形成する。それらによって国内における極端な意見を煽り、対立を激化させて社会を不安定化させようとするのである。

 権威主義国が自らの政策にとって有利となるよう、対象国における特定の候補や政党に、選挙や国民投票で勝利させる目的で影響工作が行われることもある。2016年に行われた英国の欧州連合(European Union: EU)離脱を巡る国民投票や、同年の米大統領選などは、ロシアが介入し、EU離脱とドナルド・トランプの勝利を導こうとした可能性が示唆される事例である。ただし、それによって対象社会を不安定化させようとしているという意味では、こうした事例も上記の点と目的を共にするとも言える。

 しかし、影響工作は必ずしも対象国だけを狙う二国間のものばかりではない。対象国と第三国の連携を阻害する目的で、第三国社会を対象として行われるものもある。

 権威主義国に対抗する国家間連携が見られる際、この連携関係にくさびを打ち込もうとする影響工作が行われることがしばしばある。例えば、中国共産党は対中安全保障連携をターゲットにして、様々なナラティブを形成してきた。ロシアのウクライナ侵攻を受けて強まったG7加盟国の連携を受けて、G7内部で米国とその他を離反させようとするようなナラティブを拡散する。G7はグローバルサウスの立場を理解できないとして、G7とグローバルサウスを対立させようとするナラティブも展開されている1。東アジアの主要民主主義国であり、米国との同盟関係を通じて繋がりを持つ日韓や日台についても、これらを離反させようとするナラティブ拡散が行われてきた。

第三国社会を狙うナラティブ・偽情報

 対中連携の分断を狙う影響工作はどのように行われるか。しばしば見られるのは、対象国(ここでは便宜的にB国とする)に関する歪められた情報や偽情報を第三国(便宜上C国とする)で拡散し、C国社会の中でB国に関して信頼できない層を拡大し、こうした世論にC国政府を突き上げさせることで、B国とC国の連携を弱めさせようとする手法である。

 福島第一原発のALPS処理水放出を巡る言説は、まさにその実験場だった。……

カテゴリ: IT・メディア 社会 政治
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執筆者プロフィール
市原麻衣子(いちはらまいこ) 一橋大学大学院法学研究科教授、一橋大学国際・公共政策大学院教授、一橋大学副学長補佐(国際交流担当) ジョージワシントン大学大学院政治学研究科博士課程修了、博士号(Ph.D.)を取得。関西外国語大学外国語学部専任講師、准教授などを経て現職。専門は国際関係論、比較政治学。著書にJapan’s International Democracy Assistance as Soft Power :Neoclassical Realist Analysis (Routledge, 2017)、『自由主義の危機─国際秩序と日本』(東洋経済新報社、2020年、共著)、『戦争と平和ブックガイド─21世紀の国際政治を考える』(ナカニシヤ出版、2021年、共著)など、監訳書に『侵食される民主主義』(ラリー・ダイアモンド著、勁草書房、2021年)がある。
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