司法判断により議会は解散、大統領選挙は実行

執筆者:池内恵 2012年6月15日

 14日に出た最高憲法裁判所の二つの判決により、エジプトの民主化の行方に暗雲が垂れ込めている。

公民権剥奪法は違憲とされ、大統領候補のアハマド・シャフィーク元首相の立候補が有効となった。16・17日の大統領選挙決選投票は予定通り行われるだろう。

他方で議会選挙法は違憲とされ、しかも問題となる全議席の3分の1をなす小選挙区制の部分だけでなく、議会全体が解散されるものとされた。

http://www.aljazeera.com/news/middleeast/2012/06/2012614124538532758.html

http://english.ahram.org.eg/NewsContent/1/64/44884/Egypt/Politics-/BREAKING-Egypt-constitutional-court-leaves-Shafiq-.aspx

http://english.ahram.org.eg/NewsContent/1/64/44895/Egypt/Politics-/Parliament-dissolved,-Constituent-Assembly-threate.aspx

http://english.ahram.org.eg/NewsContent/1/0/44884/Egypt/0/BREAKING-Egypt-constitutional-court-leaves-Shafiq-.aspx

http://english.ahram.org.eg/NewsContent/1/0/44898/Egypt/0/BREAKING-Constitution-court-ruling-means-dissoluti.aspx

ムバーラク政権時代の高官が、晴れて大統領選挙の決選投票に臨むのに対して、政権崩壊後にこれまでにない自由で公正な選挙で選出された立法府が解散されることになる。なによりも、今議会の最大の任務は新憲法制定のための制憲会議の選出であり、この12日に、100人の制憲会議の議員を選出したばかりであった。これも無効となる。その場合、暫定統治を行う国軍最高評議会が立法権も握り、制憲会議議員も独自に指名し直すことになる。こうなると民意が反映された憲法が制定されるのかどうか、怪しくなる。

ねじれた展開には、「非民主的なリベラル派」が関わっている。大規模デモの口火を切った世俗的なリベラル派は、国民の多数派ではない。憲法改正国民投票や議会選挙、大統領選挙の第一回投票などの結果から、およそ2割程度に留まることが明らかである。しかしこのことにリベラル派は納得がいかないようで、制度外のデモを繰り出し、有効ではないボイコット戦術をあちこちで繰り広げ、一般庶民への支持拡大に失敗している。多数派ではなくとも、キャスティング・ボートを握る立場にはあるのだが、そのことを踏まえて政治的に行動できるだけの成熟が、エジプトのリベラル派にはない。

議会選挙ではムスリム同胞団などイスラーム主義政党が大勝し、7割の議席を占める。これをそのまま反映して制憲会議を構成すればイスラーム主義色の強い憲法が起草される可能性がある。

これに世俗派・リベラル派が抵抗して制憲会議の設立を遅らせ、軍や旧政権派がそれに暗黙の裡に手を貸し、さらに今度は司法が手助けして憲法制定手続きを「振り出し」に戻した形だ。リベラル派は軍が発出した「憲法宣言」が制憲会議の構成に関して議会から選出される割合を低く設定していたことを盾にして、ムスリム同胞団の議会運営・制憲議会選出手続きを「憲法違反」と論難してきた。リベラル派は選出されたばかりの制憲会議からも早速引き上げていた。そのため、司法判断で議会と制憲会議が解散されることを内心歓迎する者が多いだろう。しかし再度選挙をやってリベラル派が勝てる保証はない。権限を維持・回復したい軍や旧体制派からみれば、リベラル派の頑なさには付け入る隙があり過ぎるほどある。

違憲判決が連発される原因は、そもそも国軍最高評議会が発出する「憲法宣言」や法律が相互に矛盾していることにある。また、大規模デモで旧政権が打倒され憲法も停止されたことによって現在の移行期が出現している。憲法制定こそが最大の政治課題である現段階において、憲法制定の中心的な担い手となるべき民選の議会を、既存の不完全な法体系を根拠に「違憲」と判定すること自体、正統性が不明確だ。独立性を主張しつつ政治判断は行おうとする司法の越権行為が、法の支配を可能にする政治体制の設立そのものを遠のかせるかもしれない。

14日夕方、シャフィーク候補は支持者を集めて会見を開き、勢いを示した。軍と司法の後押しで「お上」の指し示す候補という印象を与えるのに躍起になっている。「お上」に忠誠を誓うエジプト庶民の旧来の心性がここで顔を出せば、雪崩的にシャフィークへの投票が増えるかもしれない。しかし議会まで解散させてしまったことは、むしろイスラーム主義諸勢力の決意を強固にしかねない。立法府の足場を奪われたムスリム同胞団支持層は危機感を募らせ、動員に一層力を入れるだろう。ここでシャフィークが大統領になれば、ムバーラク政権時代の弾圧の時代に逆戻りするという恐怖がこれに拍車をかける。司法の判断がエジプト社会の分裂を加速・決定的にした。

エジプトの休日は金・土曜日だが、決選投票は土・日曜に行われる。日払い・日雇い的に働く人口の半数にも及ぶ貧困・庶民層は、金曜日以外には仕事の休みはないだろう。シャフィーク陣営を支える旧体制派は、軍から民間企業に圧力をかけて投票日に操業を停止させ(給料も支払わせ)、政府機関を総動員して、通常は投票に行かない貧困層を投票所に運び、「治安の安定」「経済的ばらまき」を約束してシャフィークに投票させるといった工作を行うかもしれない。不正が明らかになれば、軍とムスリム同胞団が正面から対峙する緊迫した状況にもなりかねない。

他方ムスリム同胞団の組織票は固く、ムルスィー候補は最低限3割程度の票をどのような状況下でも取れるだろう。議会が解散させられた現在、超伝統主義のサラフィストなど他のイスラーム主義勢力もムスリム同胞団への支援に回る可能性がいっそう高くなり、過半数に近い得票が固定票だけで見込まれる。旧来の無関心層・貧困層がよほど大規模にシャフィークに票を投じない限り、ムルスィー候補に分がある。

リベラル派の投票は今回も割れるだろうし、棄権も多くなるだろう。いたずらに議会や法廷でムスリム同胞団と争うのみで、キャスティング・ボートを握るための連立交渉を進められなかったリベラル派の失敗は、単に彼らの失敗というだけでなく、エジプトの民主化の失敗の原因として評価される日が来るかもしれない。

エジプト国民はこの状況下でどう判断するのか。まさに民意が問われている。

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執筆者プロフィール
池内恵(いけうちさとし) 東京大学先端科学技術研究センター グローバルセキュリティ・宗教分野教授。1973年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授を経て、2008年10月より東京大学先端科学技術研究センター准教授、2018年10月より現職。著書に『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書、2002年大佛次郎論壇賞)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2009年サントリー学芸賞)、『イスラーム国の衝撃』(文春新書)、『【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』 (新潮選書)、 本誌連載をまとめた『中東 危機の震源を読む』(同)などがある。個人ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」(http://ikeuchisatoshi.com/)。
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