2022年総選挙から予期された「民主主義の後退」
2022年のフィリピン大統領選挙では、独裁者の息子フェルディナンド・マルコスと、高い人気を維持したロドリゴ・ドゥテルテ大統領の娘サラ・ドゥテルテの正副大統領候補が、民主化のシンボルだったアキノ家の流れをくむレニ・ロブレドと、学生活動家でもあった上院議員キコ・パンギリナンのペアを破った。サラの父親であるドゥテルテ前大統領は、法の支配を軽視し、人権侵害をいとわない「麻薬戦争」を断行して、国内外で批判を受けた。しかしながら、結果的には退任間際の大統領として最高の支持率に支えられ、サラ副大統領誕生の道筋を作って退任した。
この選挙の結果、国内外で多くの有識者がフィリピンの民主主義の後退を嘆いた。民主主義の後退とは、選挙で選ばれた政治指導者たちが、政敵の迫害、法の支配や報道の自由などの民主主義の基盤を棄損する事態である。世界的な民主主義指標を参考にすると、冷戦後の世界は、2006年をピークに民主化の波が退潮に向かい、民主主義の後退局面、あるいは権威主義化の局面に入った1。民主主義研究の第一人者の一人ラリー・ダイアモンドは、民主主義の後退を包括的に論じた著作の中でドゥテルテ大統領を取り上げた。最高裁長官解任、自身を批判した上院議員の投獄、人権活動家やマスメディアに対する批判や超法規的な「麻薬戦争」などを列挙したうえで、フィリピンを、民主主義の後退の典型例として取り上げている。
現在の民主主義の後退に関して、ダイアモンドの著作の原題『邪な風―ロシアの憤怒、中国の野望、アメリカの自己満足から民主主義を守る』が示唆するように、ロシアや中国といった権威主義国家からの公式、非公式の介入によって民主主義の後退が加速している側面がある。ドゥテルテ大統領の対中接近を足し合わせれば、マルコス=ドゥテルテ派を中国寄りで反民主主義的なポピュリスト陣営、アキノ派を親米的な民主主義陣営とするような図式が浮かび上がる。こうしてみると、2022年の大統領選挙は、フィリピン政治における民主主義の退潮と対中接近を予期させるものだった。
「マルコス=ドゥテルテ連合が分裂」「アキノ派復権」の2025年中間選挙
しかしながら、マルコス=ドゥテルテ連合は一枚岩ではない。2025年5月の中間選挙直前には、マルコス大統領が、国際刑事裁判所によるドゥテルテ前大統領逮捕を容認したことなどから、マルコス大統領とドゥテルテ家の対立は公然の事実となった。中間選挙の結果、正副大統領の対立が顕在化し、アキノ家出身の元上院議員バム・アキノなどの候補が勢力を拡大した。フィリピン上院の定数は24(任期6年)で、3年毎に全議席の半数にあたる12議席が争われる。選挙区が大統領選と同じく全国一区であることから、上院は将来の大統領候補、そうではなくても国政を代表する政治家を選ぶ意味合いがある。その上院選挙の結果を見れば、マルコス大統領派が5議席、ドゥテルテ派が5議席、さらに大方の予想を裏切ってアキノ派が2議席を獲得し、アキノ派が復権した2。
2019年、ドゥテルテ大統領時代の中間選挙では、ドゥテルテ派が12議席を席巻し、バム・アキノ上院議員(当時は現職)を含むアキノ系が全滅したことを考えれば、2025年選挙におけるマルコス大統領派の後退と、アキノ系の復権は明らかである。上記の上院議員のほか、議会に占める議席数は少ないが、各選挙区で一定の集票力を持つ比例区選挙についても、アキノ政権時に与党自由党と連立し、ドゥテルテ政権期に政権と対立したアクバヤン党が最大得票を得た。さらに、ドゥテルテ大統領の人権侵害を公然と批判した結果、政権から麻薬疑惑をでっち上げられた挙句、6年間裁判もなく勾留された元司法長官で元上院議員でもあるライラ・デリマが下院議員に当選した。デリマ勾留については、前述のダイアモンドも自身の著作で触れていたが、いずれにせよ、ドゥテルテ政権が続いていれば起こりえなかった選挙結果といえる。
政局を生み出す外交・安全保障政策
それではなぜこうなったのか。
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