シリーズ:中国「見そこない」の歴史(3)安倍能成の場合

執筆者:樋泉克夫 2018年5月18日
エリア: アジア
訪中した安倍能成は毛沢東主席(左)には会えなかったが、周恩来首相(右)とは2時間半にわたって懇談した。写真は安倍訪中の前年(1953年)、新華社が配信したもの (C)AFP=時事

 

安倍能成『新中国見聞記』(『世界紀行文学全集』修道社 1971年)

 満州事変に3年先立つ1928(昭和3)年秋に北京を訪れた安倍は、「支那人の個人としての生活力の強さ、その弾力の豊富さは、支那人をして圧さえればひっこみ弛めれば膨れしめる。支那人はこの点に於いて無気味な不死身の性を持って居る。けれどもこれは同時に強い力の前にはちぢみ上がり、相手が弱いと見ればむやみにのさばるという厭うべき性質ともなって現われるであろう。何といっても国土が広く、資源が豊かで、人間の生活力が強い支那の前途は実に我々の前に置かれた興味ある謎でなければならない」(『瞥見の支那』)と綴っている。

カテゴリ: 政治 カルチャー
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執筆者プロフィール
樋泉克夫(ひいずみかつお) 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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