やっぱり残るは食欲 (11)

訂正晩餐

執筆者:阿川佐和子 2023年6月21日
カテゴリ: カルチャー
エリア: アジア
新型コロナウイルスに感染してしまった阿川さん、息も絶え絶えになりながら考えた「最後の晩餐」とは……(写真はイメージです)(Karolina Grabowska / Pixabay

 まったく食欲がない。

 こんなことが私の人生にあっただろうか。

 もちろん、たくさん食べ過ぎて「もうお腹がいっぱい」という経験は山のようにした。胃腸の循環が滞り、お腹が重いときに「食欲ない」と思ったことも多々ある。しかし、お腹がほぼ空っぽにもかかわらず、食べる意欲が湧かないというのは、いったいぜんたいどういうことだ。

 コロナの脅威を改めて思い知った。

 「え、コロナになったの?」

 感染したことを伝えると誰もが驚く。今頃? 今さら? まだコロナって、かかる人いるんだ。人が苦しんでいるというのに、どこか笑っている気配が漂う。

 ま、そうですよね。もはや感染症として2類相当から5類へ移行することになり、マスク着用の義務は解け、アクリル板が取り除かれ、旅行へ行くのも居酒屋で飲み騒ぐのもカラオケで歌うのも「原則オッケー」となった今、どこで感染したかは定かでないが、感染しちゃったのである。これまで三年間、あちこちをほっつき歩き、人にも多く会い、それでも一度として感染の疑いすら抱いたことはなかった。もしかして私って、免疫力の高い人間なのかも。そう自負していたところがあった。にもかかわらず、ある日突然、ご神託が下された。

 「陽性です」

 そのときの心境といえば、ドミノ倒しをあと数枚で完成させるという直前に、かすかに指が触れたせいで、ドドドドドーッとすべての札がなぎ倒されていくときのような情けな~い気分である。

 かかったものはしかたあるまい。もはや多くの人が経験済みと聞く。初期の頃に比べたら、軽症で済むという噂もある。なんのことはない。最初は無症状に近いほど元気だったので少々楽観していたが、翌日から熱が上がり、喉が痛み出し、鼻の奥がチクチクと神経に障り、咳がこんこん始まって、それでも何とかなる、何とかなると我が身に言い聞かせた。

 ほぼ同時に陽性反応が出た同居人は後期高齢者のため病院に入院してもらい、私は「自ら隔離します」と宣言して自宅へ戻る。通いの秘書アヤヤも、「大丈夫ですかあ?」とこちらを気遣うもほどなく陽性が判明。三者三様、それぞれの場所にて七日間の蟄居生活が始まった。

 しかし、症状が進むにつれ、新型コロナとインフルエンザや風邪との決定的な違いを思い知らされる。

 なにしろ治療薬がないのである。医者で薬を処方してもらえば二日目ぐらいから楽になる、なんてことを期待できないのだ。

 「水分を摂ること。それから、無理にでも食べなさい」

 各所からアドバイスがメールで送られてくる。笑っているだけではない。親切な知人友人がたくさんいた。そうかそうか。何か食べなければ。

 心ではそう思うのだが、口と胃袋が拒絶反応を示す。水やお茶、あるいはゼリーぐらいしか痛い喉を通らない。

 幸い、ウチには食料品も飲料水もまあまあ揃っていた。それらを使って調理すれば、食事を摂ることは可能である。ところが、その気がちっとも起こらないのだ。

 朝、喉の痛みを覚えながらベッドの中で朦朧と考える。何か食べよう。何がいいか……。そして思いつく。

 お粥でも作るか。と思ったその直後、面倒くさいと目を閉じる。

 そうだ、タンパク質を摂れと友達が言っていた。オムレツを作ろう。と思ったその直後、黄色い玉子の姿も見たくない気分になって目を閉じる。

 ようやくベッドを出ようという気力が湧いたのは、ミルクトーストのことを思い出したからである。

 子供の頃からミルクトーストは病気になったときの特別食だった。食パンを焼き、表面にバターを塗る。砂糖をかけ、上からアツアツに沸かした牛乳を……

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執筆者プロフィール
阿川佐和子(あがわさわこ) 1953年東京生まれ。報道番組のキャスターを務めた後に渡米。帰国後、エッセイスト、小説家として活躍。『ああ言えばこう食う』(集英社、檀ふみとの共著)で講談社エッセイ賞、『ウメ子』(小学館)で坪田譲治文学賞、『婚約のあとで』(新潮社)で島清恋愛文学賞を受賞。他に『うからはらから』(新潮社)、『正義のセ』(KADOKAWA)、『聞く力』(文藝春秋)など。
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