政治をゼロから考える (9)

政治とメディアのあるべき関係

執筆者:宇野重規 2012年11月5日
エリア: アジア

質問 「メディアはなぜ政局ばかりを報道するのですか?」


 このところ、政治とマスメディアの間のあるべき関係について、質問をいただくことが増えています。例えば、次のような質問です。
「日本のマスメディアは、どちらかというと政局や政治家のあげ足取りにエネルギーが向いているような印象があります。国民の政治的な成熟度に見合った報道をしないメディアは、近い将来見捨てられるのではないでしょうか。もし変わり得るとしたら、政治とメディアにはどのような緊張関係が生まれるでしょうか」(途中一部を省略)。
 この質問をとりあげようと思ったのは、最近、政治とメディアに関して、気になる出来事が続いているからです。その最たるものは、いうまでもなく、橋下徹大阪市長をめぐる『週刊朝日』の連載打ち切りです。
 ノンフィクション作家佐野眞一氏による記事の内容についてはあえて触れません。が、もし本当に「不適切」な内容を含むなら、編集部は事前にしっかりチェックすべきであったし、逆に掲載に踏み切ったならば、そう簡単に連載を打ち切るべきではありませんでした。
 ご質問にもあるように、政治とメディアには、緊張関係があってしかるべきだと思います。意に沿わない報道をされた政治家の側とすれば、当然、反論の機会が欲しいと思うでしょうし、不適切な内容については差し止めの請求も認められるべきでしょう。
 逆にメディアの側とすれば、国民の知る権利と民主政治に不可欠なチェック機能に照らして、自らの報道が正当であることを主張しなければなりません。報道するに値するから報道したのであり、もしその報道をとりやめるなら、それだけの理由があってしかるべきです。同じやめるにしても、報道のどの部分は正当で、どの部分は不当だったのか、しっかりとした自己検証が不可欠です。
 今回の事件で、はたしてそのような検証が十分になされたのか。そもそも、報道する側に、それだけの準備と覚悟があったのか。疑問と後味の悪さばかりが残りました。このような事件が続けば、政治をめぐる言論そのものの信頼を揺るがしかねません。

カテゴリ: IT・メディア 政治
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執筆者プロフィール
宇野重規(うのしげき) 1967年生れ。1996年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。東京大学社会科学研究所教授。専攻は政治思想史、政治哲学。著書に『政治哲学へ―現代フランスとの対話』(東京大学出版会、渋沢・クローデル賞ルイ・ヴィトン特別賞)、『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社、サントリー学芸賞)、『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書)、共編著に『希望学[1]』『希望学[4]』(ともに東京大学出版会)などがある。
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