A
投稿者:AprilHare2013年01月19日01時07分
二大政党制にそこまでする価値はあるのか?

 小選挙区制ではなく比例代表制と参議院が問題だという趣旨ですが、腑に落ちない点がいくつかあります。

1:二大政党への収斂もあれば拡散もある
 本文では上位二政党(自民と公明を単一政党とみなして)での議席占有率が挙げられていました。両者が二大政党であり続けるという前提が満たされていなければこの数字に意味がありませんが、12年衆院選での議席数では明らかに民主の惨敗でした。民主がすぐに復活する見込みはありませんから、民自二大体制は終わった(少なくとも一度は)ものと考えるべきではないでしょうか。
 また、12年衆院選では自公民での議席占有率が10%以上も低下しました。未来の党による議席獲得や民主の議席減は民主が原因かもしれませんが、維新とみんな(合計で議席占有率15%)の台頭は自民や民主といった二大政党に対する批判によるものです。この点は二大政党からの拡散とみなすべきでしょう。

2:そもそも強引な収斂で役に立つ大政党が産まれるか?
 重複立候補や比例代表制自体を廃止するならば、大政党への収斂は現在よりも加速するかもしれません。ですが実を言うと、そもそも政策や理念を二の次にして生存のために収斂させて役に立つ大政党が産まれるかどうか、疑問に思っています。現在の小選挙区比例代表並立制は1996年に導入され、13年後の2009年には民主党に政権をもたらしましたが、僅か3年で悪評とともに崩壊しました。より速く収斂するように制度を改造しても、より無能でより速く崩壊する劣化民主党を産むだけではないのでしょうか?
 なお、比例並立制の件では共産党にそれほど責任はありません。というのもほとんどの小選挙区で供託金没収レベルの得票しか得られないため影響が少なく、また重複立候補者もほんの少数(供託金没収点に達していないと比例復活が不可能なので、それを見越してか)なためです。

3:現憲法では、二大政党制こそが「決められない政治」を発生させる
 衆参ねじれ自体は昔から時々発生していましたが、野党の一部の協力によって比較的円滑に乗り切ってきました。「決められない政治」というのは、二大政党制が曲がりなりにも形になった07年参院選以降の話です。
 日本の憲法では、イギリスと違って、二つの議院の権力にそれほどの差がありません。また議院内閣制なので、アメリカのように党の議員に対する統制を緩くすることもできません。また両方の議院が基本的にはタイミングのずれている民選なので、政権交代の際にはどうしてもねじれが発生します。
 そこに二大政党制を持ってくると、衆院与党としては参院与党の協力がなければその他の小政党と連立しても過半数に達するのは困難です。そして参院与党が二大政党制を志向する大政党であれば、キャスティングボートを握ることでしか与党に参加できない小政党と違って無理に連立に参加する必要はありませんし、むしろ現与党に対する批判票を受け止める存在として必要とされます。そのため衆院与党が参院与党の協力を得るのが困難になり、「決められない政治」が発生するのです。

結論:憲法を変えるよりも二大政党制を諦める方が現実的
 憲法改定によって参議院の在り方を根本的に変える(あるいは廃止する)ならば、問題は解決できるかもしれません。ですがそれには大きな政治的コストがかかります。また、安定した第二極の誕生にも長い時間がかかります(収斂と拡散の試行錯誤の果てに、最終的には成功するとして)。
 ですが、二大政党制にはそこまでして確立させる価値があるのでしょうか? 50年かかったとして、その頃には政党や間接民主制そのものが時代遅れになっていないと、言えるのでしょうか? 現在の自民党一党優位制の改良なり穏健な多党制への移行なり、他の方策の方が堅実だと思います。
T
投稿者:The Sovereign2013年01月22日02時34分
小選挙区制を導入したのはなぜか?

1993年の選挙制度改革で衆議院に小選挙区制を導入しましたが、それは政治改革の一環としてでした。では、なぜ小選挙区制が政治改革に資するのでしょうか。それまでの中選挙区制が政治腐敗の温床と考えられたからです。

中選挙区制の下では、選挙区の15%ほどの票を取れば当選するので、後援会組織を中心に固定票を確保するのが当選に至る最も合理的な戦略です。また、自民党のような大政党からは一つの選挙区で複数の候補者が当選するので、「党」の名前を売り込む意味はなく、「個人」として選挙を戦うためには後援会はとても大事になります。そして、この後援会組織は、政策を語る場などではなく、自分がどのような便宜を支持者に提供できるかということを示して、実際に便宜を提供する手段となるようなものでした。

小選挙区制では、候補者に「党」を売り込むインセンティブが生まれるので、腐敗の温床だった後援会組織が弱体化すると考えられて、政治腐敗問題解決の切り札として小選挙区制が導入されたのです。小選挙区制の下では、二大政党に収斂するとか、党首のリーダーシップが大事になって首相の指導力が強まるのではないかといったことは、「動機」ではなく「結果」として論じられてきたことです。実際に、記事にあるように、衆議院の比例代表制や重複立候補の問題はあるものの、二大政党化は進みましたし、小選挙区制導入後の選挙では自民党内で「党首を誰にするか」という議論が以前よりはるかに盛んになりました。小泉氏が自民党党首になることは中選挙区制の下ではありえなかったでしょう。

問題は、自民党や民主党といった政権を担える大政党が「党首の重要性」を語ることが、必ずしも党で選ばれた党首が「リーダーシップのある党首」になるとは限らないことです。言い方を換えれば、小泉氏が首相になれたのは小選挙区制が導入されたからですが、小選挙区が導入されればリーダーシップを発揮できる人が首相になるとは限らないのです。つまり、小選挙区制は首相のリーダーシップの必要条件ですが十分条件ではないのです。そして、小選挙区制をやめれば今の政治の混乱が解決するわけではないのです。
A
投稿者:AprilHare2013年01月29日18時45分
中でも小でもなく第三の選択肢を探すべき 

 おっしゃる通り、かつての中選挙区制にはそうした問題点がありました。ですが、中選挙区制のままでの単記移譲式投票なり比例代表制なり、選択肢は他にもあります。たとえ小選挙区制導入時は選挙制度の研究が未発達だったとしても、現在において小選挙区制の代わりを求めるならば、「第三の選択肢」はいくらでもあります。
 個人的には、たとえ腐敗しがちな構造的欠点を抱えた従来型中選挙区制への逆戻りしか選択がないとしても、あえて逆戻りを支持します。腐敗が多くてもある程度機能する国会は、言わば「低スペックだけど故障しにくいシステム」です。腐敗が少なくても二大政党制の確立した国会は、ねじれ一発で麻痺する、「高スペックだけど故障しがちなシステム」です。