やんぬるかな「第二地銀」がなくなる日

執筆者:村山敦 2006年9月号
カテゴリ: 経済・ビジネス 金融

「もう単独で協会を運営していくのは限界に近い。全銀協に合流させてもらえないか」 いま、第二地方銀行協会(第二地銀協)が全国銀行協会(全銀協)に対し、水面下でそう打診している。合流にあたっては、たとえば全銀協内に「第二地銀協部」を作るなどの案が挙げられているという。第二地銀協の窮状は、協会を構成する第二地銀自体の苦境に起因している。 第二地銀はかつての相互銀行である。普通銀行に一斉転換したのが一九八九年二月。九〇年三月末の第二地銀協加盟行数は六十八だった。同じ時期の地方銀行協会(地銀協)加盟行数は六十四で、数の上では第二地銀の方が多かった。 しかし、衣替えした矢先のバブル崩壊で、第二地銀は“金融危機の主役”に躍り出る。経営基盤が磐石ではなかったため破綻が相次ぎ、破綻処理のための合併・再編などで大幅に数を減らした。二〇〇六年三月末の第二地銀協加盟行数は四十七にまで減少、僅か十六年間で二十一行が姿を消した。地銀協加盟行数は九〇年当時とまったく変わらないにもかかわらず、である。 深刻なのは、第二地銀の上位十行に入るような大手までもが、次々と消え去ったことだ。福徳銀行、徳陽シティ銀行、近畿銀行、東京相和銀行、福岡シティ銀行――破綻行の中には、第二地銀協の会長を出した銀行も多く含まれる。

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