「渋沢資本主義」の帰趨を占うトヨタの浮沈

執筆者:喜文康隆 2010年4月号

 ほんとうにアメリカというのは底知れない国である。そう確信したのは、オバマ大統領の新たな金融規制構想を聞いたからである。
「預金を預かる銀行は、自己勘定で証券の売買はやらせない。ファンドへの出資や保証も禁じる」「銀行の経営規模は一定以上に大きくなるべきではないし、合併も規制されるべきだ」――オバマ政権が決断したのは、この数十年間、アメリカ資本主義を支配してきた金融の技術革新至上主義に対する究極の軌道修正である。
 構想を立案したのは、サブプライム・ショックに苛立つ素人集団ではない。一九七九年からブラックマンデー直前の八七年八月まで米連邦準備制度理事会(FRB)議長を務めたポール・ボルカーその人である。
 世界的なスタグフレーション(不況下のインフレ)のなかで中南米債務危機に対処し、短期金利を二〇%強まで引き上げるという、市場原理主義の原点ともいえるマネタリスト的手法で金融危機を鎮圧した男。また、レーガノミクス時代の金融政策を取り仕切り、八五年のプラザ合意を仕組んだ男でもある。
 そのボルカーからアメリカ資本主義のバトンを渡されたグリーンスパンFRB議長は、就任早々に見舞われたブラックマンデーの株価大暴落を乗り切ると、その後二十年にわたって金融の技術革新と市場原理を肯定し、サブプライム・ショックで神の座から引きずりおろされるまで、自由放任主義のマエストロとして君臨した。しかし、関係者の多くは二十世紀を代表するセントラルバンカーはボルカーだと思っていた。
 金融危機は、世界が一体となったシステム救済でようやく一息ついた。だがすぐに金融機関幹部たちの無反省な強欲が頭をもたげてきた。血税で救済されたマーケットの回復によって得た収益にもかかわらず、巨額の役員報酬をふたたび享受しはじめたのである。
 民主党出身の米国初の黒人大統領と、レーガン大統領(共和党)の守護神、ボルカーの一見奇妙な組み合わせ。それを可能にしているのは、アメリカニズムが掲げる理想と、それを現実のものにするプラグマティズムの融合である。
 先例がある。一九二九年の世界恐慌から五年後の三四年、SEC(証券取引委員会)の発足に際して、初代委員長に、強欲な悪人と目されていたジョゼフ・ケネディ(ジョン・F・ケネディの父)が指名された。そのことの是非を問われたフランクリン・ルーズベルト大統領は「悪だからこそ悪を摘発できるのだ」と言い放ち、この人事を断行した。
 資本主義は時に暴力的であり、制度の限界を超えて猛威をふるう。そのときには、新しい制度とルールを発動すべきである。こうしてオバマとボルカーのタッグが生まれた。

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