インド首相、企業に異例の注文――社会主義回帰かポピュリズムか

執筆者:山田剛 2010年12月19日

 インドのマンモハン・シン首相は先週、「倫理が欠如した企業に対する社会の監視の目が厳しくなっている」と述べ、経営者らの自制を促した。首相は、収益を優先させて環境規制を無視したり、自社に都合のいい政策立案を求めてロビー活動を展開する企業を批判するとともに、工場立地などにおいては、立ち退きや再定住による住民への影響を最小限に抑えるよう、異例の注文を行った。
 インドでは2年ほど前にも「有力企業トップの報酬が高すぎる」という問題提起が政治家主導でなされた経緯がある。今回の首相発言は、今も多くの農民や社会的弱者が直面する土地収用問題や環境問題を念頭に置いたものと思われる。確かに、工業開発やインフラ建設などの大規模プロジェクトにおいて、居住者や一般市民に少なからず犠牲を強いるケースはあるが、インド企業がこうした点で必ずしも好き放題をやっているというわけではない。
 2004年総選挙において、経済成長から取り残された農民や貧困層の「反乱」で政権奪回を果たした与党・国民会議派率いる現政権は、09年総選挙で大勝し政権基盤をより強化した現在も、外資への小売市場開放など自由化政策には依然として慎重な姿勢を崩していない。政策の重点は相変わらず大企業や外資よりももっぱら農民・貧困層に置かれ、これらの階層に対する手厚い措置が相次ぎ打ち出されてきた。
 政権1期目のキャッチフレーズはまさに「アアム・アドミ(普通の人々)」であり、2期目に入った現在は閣僚、国会議員らの口から「Inclusive Growth(万人のための成長)」という言葉を聞かない日はない。インドの政治家にとっての優先順位は高度経済成長よりも自分たちの党勢拡大であることは周知の事実だが、それゆえ大衆受けすることなら何でもやるのが彼らの流儀だ。こうした傾向について、ベテランのインド人エコノミストは「経済改革が思ったほど進まないだけでなく、社会主義路線への回帰ともいえる傾向が出てきているのは憂慮すべき事態だ」と話す。それでなくとも、大企業がいったん雇用した労働者を解雇するのは困難を極め、産業向けの電気料金は民生用に比べて大幅に割高だ。その一方、政党にとって重要な票田である農民や零細商工業者への配慮は至れり尽くせりで、連立与党はこれまで、農村電化や農道・かんがい施設拡充、農民への雇用保障、肥料などへの手厚い補助金、果ては農民の借金棒引きなど、あらゆる政策を総動員してきた。ウォルマートやカルフールなどによる熱心なロビー活動にもかかわらず小売市場の外資開放が一向に進まないのは、政府が全国1200万店ともいわれる零細商店へのダメージを心配しているからだ。
 それでいて、土地収用問題を円満解決するための「土地収用法」改正案や、工場立地で住居を失う農漁民らの保護・保障を盛り込んだ「再定住・生活再建法」は国会での審議が大幅に遅れたままだ。
 突如としてさまよいはじめた社会主義の亡霊は、利潤の極大化を目指す大企業をやり玉に上げることで社会的弱者へのケアを強調する「ポピュリズム」という衣を身にまとっていると言えるだろう。(山田 剛)

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執筆者プロフィール
山田剛 日本経済研究センター主任研究員。1963年生れ。日本経済新聞社入社後、国際部、商品部などを経て、97年にバーレーン支局長兼テヘラン支局長、2004年にニューデリー支局長。08年から現職。中東・イスラム世界やインド・南アジアの経済・政治を専門とする。著書に『知識ゼロからのインド経済入門』(幻冬舎)などがある。
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