バーミヤン石仏破壊が示す「エスノ・ナショナリズム」の過激化

執筆者:立山良司 2001年4月号
カテゴリ: 国際 文化・歴史

 玄奘三蔵がヒンドゥークシュ山脈を越えバーミヤンに入ったのは七世紀の半ばだった。二体の巨大石仏について「立仏の石像は高さ百四、五十尺。金色に輝き、宝飾が光っている」「伽藍の東に鋳石の釈迦仏立像がある。高さは百余尺」と書き残している。当時は二体とも燦然と光り輝いていたのだろう。 その両石仏を、アフガニスタンを実効支配しているタリバンがついに破壊した。それだけではない。カブール博物館に納められていた多くの仏教芸術や美術品も破壊したという。破壊中止を求めた国連総会決議やユネスコ(国連教育科学文化機関)の要請、さらに世界中から沸き起こった非難や抗議は完全に無視された。 イスラム教は偶像崇拝を固く禁じている。その根底にあるのは「唯一無二」の存在であるアッラーの姿を人間が模すことはできないという思想だ。イスラム教の創始者ムハンマドは、イスラム以前のメッカのカーバ神殿にあった偶像をすべて破壊したといわれる。 こうした視点に立てばタリバンに限らず、世界のほとんどのイスラム教徒にとって、像を拝む仏教の行為は理解できないに違いない。芸術的、歴史的な価値を別にすれば、しょせん石や木にすぎないからだ。タリバンの仏像破壊に関係して瀬戸内寂聴尼が「何百年も何千年もかけて、無数の人々が拝み、祈りつづけて行くうちに、仏像に魂が入り、恐ろしい霊力さえ備えてくるのだと思う。木ぎれ、土くれ、石くれの仏像に魂が入るほどの祈りが込められる信仰をないがしろにしてはならない」と書いている。この論理は我々日本人にはよくわかるが、多くのイスラム教徒一般には受け入れ難いだろう。

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