ハイカラ病 石牟礼道子『苦海浄土』

執筆者:船橋洋一 2002年5月号
カテゴリ: 文化・歴史 書評

 石牟礼道子が最初に見舞った水俣病患者は水俣市立病院水俣病特別病棟に収容されている坂上ゆき(三十七号患者、水俣市月ノ浦、大正三年生まれ)だった。夫の坂上茂平が付き添っていた。 一九五九年(昭和三十四年)のことである。 ゆきは前夫に死に別れ、これまた前妻に死に別れた茂平と網の親方の世話で再婚した。天草から不知火海の灘をわたってやってきたゆきとの二人の船出を祝って、茂平は新しい二丁櫓の舟を下ろした。夫婦舟である。ゆきは茂平を「じいちゃん」と呼び、懐いた。〈海の上はほんによかった。じいちゃんが艫櫓ば漕いで、うちが脇櫓ば漕いで。(中略)イカ籠やタコ壺やら揚げに行きよった。ボラもなあ、あやつたちもあの魚どもも、タコどもももぞか(可愛い)とばい。四月から十月にかけて、シシ島の沖は凪でなあ――〉 タコは逃げ足が早い。壺から掻き出すと、八本足をもつれもさせずに、つうつう走り出す。それをようやくのことで籠におさめる。そんなときタコは「よそむくような目つきしてすねてあまえるとじゃけん。わが食う魚にも海のものには煩悩のわく」。〈海とゆきは一緒になって舟をあやし、茂平やんは不思議なおさな心になるのである〉「ゆき女きき書」のこんなくだりを読むと、有機水銀が海を苛む前、不知火海にアダムとイブの棲む世界があったことを知る。

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