中国の「歴史戦」を見る(下)英米両国も参加した式典

樋泉克夫

 次に紹介したいのが、騰冲市街の外れに位置する「国殤墓園」である。道路を隔てた向かいの小高い山こそ、日本軍が陣地を築いた来鳳山だ。

 幸運にも戦勝国となった中華民国の蔣介石政権が、滇緬戦線で戦陣に斃れた兵士を悼んで1945年に建設した施設。ならば国殤の「国」は中華人民共和国ではなく、中華民国ということになる。なぜなら、この墓園が建設された当時、この地上に中華人民共和国という共産党政権の国家はまだ生まれていなかったからだ。

 広大な墓域に入るとすぐの右手には、高さ1メートル、直径1.5メートルほどの土饅頭状の墓が目に付いた。墓石に「倭墓」と刻まれているところをみると、日本兵のものと解説されている。当時は日本軍でも葬ってやろうという“殊勝な気持ち”を持ち合わせていたのだろう。だが、あまりにも貧弱な倭墓からして、見せしめ、あるいは戦勝国の驕りが感じられ、日本人としては余り気分のいいものではない。

 倭墓を背にすると、目の前に緑の芝生が広がる。農民兄弟が日本兵を打ち据える姿、母と子供とで援蔣ルートやフライング・タイガー用の滑走路建設用に石を砕く姿、道路建設現場で石のローラーを引く男たちの姿、滇西乙女が墜落した米軍航空兵を介護する姿、抗日戦線に赴く少年兵の健気な姿などのブロンズ像が、そこここに置かれている。

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執筆者プロフィール
樋泉克夫
樋泉克夫 愛知大学教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年より現職。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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