シリーズ:中国「見そこない」の歴史(2)柳田謙十郎の場合(下)

執筆者:樋泉克夫 2018年4月18日
エリア: アジア
多くの国民が毛沢東を崇めた(C)AFP=時事

 

(承前) 孫文の秘書として働いた国民党左派の代表格とも言える廖仲愷を父に、国民党左派の女性指導者の何香凝を母に、東京で生まれ育った廖承志は早稲田大学第一高等学院に学ぶ。歯切れよく流暢な東京弁。共産党内知日派の代表で、建国以降は一貫して対日工作を取り仕切っていたことからして、廖承志が柳田謙十郎訪中劇の脚本家兼演出家だったと思える。

「金では動かない」

 さらに柳田は日本と日本人――柳田の用法に従うなら「ミイ氏ハア氏」となろう――に批判の矛先を向けるのであった。

カテゴリ: 政治 カルチャー
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執筆者プロフィール
樋泉克夫(ひいずみかつお) 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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