「アメリカ国民の姉貴」ミシェル・オバマが私たちに教えてくれる「不安の乗り越え方」

ミシェル・オバマ『心に、光を。 不確実な時代を生き抜く』(KADOKAWA)

執筆者:村井理子 2023年9月18日
タグ: アメリカ
エリア: 北米
2021年9月、米イリノイ州シカゴで催された「オバマ大統領センター」の起工式に臨んだミシェル・オバマ。今でも絶大な人気を誇る (C)AFP=時事

  ミシェル・オバマによる二冊目の著書『心に、光を。不確実な時代を生き抜く』日本語版が刊行される。パワフルで明るいイメージの彼女だが、実は人生は不安に満ちていたと本書で心情を綴っている。ただ、その意外な一面こそが読者を勇気づけるのだと、自他ともに認める「ファーストレディー・ウォッチャー」である翻訳家・エッセイストの村井理子氏は拍手を送る。

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 ミシェル・オバマはある意味型破りのファーストレディーだった。アメリカ合衆国初の黒人の大統領の妻としてホワイトハウスに入っただけではなく、それまでのファーストレディーたちが行ってきた様々な慈善活動や、彼女らが国民に与えてきた「国民の母」といったファーストレディーの印象とはひと味違った、オリジナリティに溢れた姿と活動でアメリカ国民を魅了することに成功したのだ。いわば、「国民の姉貴」といった立ち位置を手に入れた女性なのである。

 彼女に対する大衆の注目はすでに、大統領選挙戦の時点で始まっていた。高身長を生かした、若々しく、洗練されたファッションは多くの若者を惹きつけた。前任である第43代アメリカ合衆国大統領の妻ローラ・ブッシュは、コンサバティブで品のある装いを好み、9.11の衝撃に沈む国民を母のように大らかな愛情で包んだとされるが、その柔らかなローラの雰囲気に癒しを十分に得た国民は、今度はミシェルの活発さと弾けるような笑顔、そして時に率直な物言いに大いに魅力を感じたというわけだ(もちろん、それをよしとしない人たちもいた)。

ミシェル・オバマが「新しい」ファーストレディーだった理由

 個人的なことを書いて申し訳ないが、ファーストレディー・ウォッチャーとしてこの20年以上、ホワイトハウスに暮らす女性たちを観察してきた私が、バラク・オバマが第44代アメリカ合衆国大統領に就任したときに最初に感じたのは、「とうとう踊れる大統領とファーストレディーが誕生した」といった、なんとなく不謹慎な喜びであった。

 大統領就任式後に行われる数々の 舞踏会で、私の期待通り、二人は見事なダンスを披露した。ちなみに招かれていたのは、歌手のビヨンセやラッパーのカニエ・ウェスト(2023年現在の名前は、イェ)らである。ミシェルの衣装を担当したのは、台湾生まれの若きデザイナー、ジェイソン・ウー。これを新しい時代の到来と言わずして、何がという状態である。よその国のこととはいえ、とても興奮したのを記憶している。これから何か面白いことが始まるのかもしれないと、うきうきしてしまったのである。

 ミシェルが注目すべきファーストレディーになるとの予想が的中したと最初に感じたのは、彼女がホワイトハウスのサウスローンの一角に菜園を復活させたときだった。ホワイトハウスに菜園が初めて作られたのは第二次世界大戦中で、時のファーストレディー、エレノア・ルーズベルトによる「ビクトリー・ガーデン」だった。当時の食糧不足を補うための工夫だったそうだが、これがきっかけで国内に何百万もの家庭菜園が作られたという。

 ミシェルがエレノアを意識したかどうかはわからないが、常に健康維持に着目し、エクササイズを欠かさない生活を送ってきたというミシェルが、ファーストレディーの重要な役割として打ち出したのが、「食育」だったことは、最善の選択だったと思える。

 肥満、高血圧、糖尿病といった成人病に苦しむアメリカ国民に、彼女がファーストレディーとして提供できるもののなかで、最もスマートな選択だ。ファーストレディーの活動として目新しいものではないかもしれない。食育であればローラ・ブッシュも推進していたからだ。斬新なアイデアという印象もなかったが、ジーンズ姿で泥だらけになりながら、真剣な表情でスコップを握り、鍬を振り下ろすその姿が、彼女の好感度を爆上げさせた(ちなみにミシェルの菜園は次期ファーストレディーであるメラニア・トランプに受け継がれ、メラニアがサングラス姿で子どもたちと野菜の収穫を無言でする姿は、なかなかどうして衝撃的だった。とってつけたようなチェックのシャツとジーンズも、ファーストレディー・ウォッチャーの私にはたまらないものだったが、あまり話題にはなっていなかった)。

 さて、ミシェルが次に取り組んだのは、子どもの肥満問題だった。「レッツ・ムーブ!」というキャンペーンを大展開し、次々とテレビ番組に出演しては、ガシガシと腕立て伏せを披露したかと思えば、マーク・ロンソンの「アップタウン・ファンク」に合わせて踊りまくった。後ろに何人ものプロダンサーを従えて踊るミシェルは、誰の目から見ても、健康で明るく、最高にイカした「姉貴」だった。長い手足を華麗に動かし、最高の笑顔を振りまいて、レッツ・ダンス! である。衣装もいつも素敵だった。

 彼女を見ていると、なぜだか元気になってくる。なぜだか勇気も湧いてくる。誰が嫌いになれるというのだ、こんな女性を! バラクの任期の終盤では、バラクよりもミシェルの人気が高かったとバラク自身が発言していた。いまだかつてこんなにフレンドリーなファーストレディーはいなかった。みんなの姉貴は、頼れる姉貴、最高の姉貴だったのである。

ミシェルの「不安」に思わず共感

 さて、そのミシェルがファーストレディー退任後に綴った二冊目の本が、『心に、光を。不確実な時代を生き抜く』である。読み始めて、私は大いに戸惑った。彼女の今現在の生活やファーストレディーとして生きた8年間のできごと、パンデミックをどう過ごしたかなどが綴られているのだが、そのキーワードが「不安」なのである。

 「58年間、私は不安を抱えて生きてきた。場ちがいだ、ここにいるべきではない、誰もわたしを気にとめていない。まわりから浮いている 」と、彼女は語っているのである。にわかに信じられないことだった。あの自信たっぷりに見える笑顔で、溌剌と踊り、多くの人々を抱きしめて、慰めたあの彼女が、不安と戦う人生を送ってきたですって? でも、彼女とそう変わらない年齢の私は、なんとなく、「わかるかも……」とも思ったのである。

 パンデミックが始まり、ミシェルは不安のあまりオンラインで買い物ばかりをした。これは私たちの誰もが経験したことではないだろうか。そして、いつ終わるともわからない巨大な敵と戦うために、彼女は自分自身をなんとか落ちつかせるために、編み物に取り組むようになる。この、「編み物に没頭した」あたり、本当に親近感がわいてしまうのである。

 彼女はこう書く。「わたしは学んだ。人生のさまざまなことと同じで、大きな答えに辿り着く唯一の方法は、小さな編み目を一つひとつつくっていくことだ」と。

 相手はファーストレディー、そして私は一介の主婦。同じ立場のわけがないのに、なぜだか親近感が湧き、慰められてしまう。あのミシェルも、一つひとつの編み目に自分の不安を綴じ込むようにして暮らしていたのかと思うと、「わかる!」という言葉が口から勝手に出てくるのである。

 彼女はこうも綴る。「わたし自身、バスルームの電気をつけ、鏡をひと目見て、すぐに電気を消したくなる朝がしょっちゅうある。正面から自分の顔と向き合うと、反射的に欠点をあげはじめる。乾燥してむくんだところだけを見て、もっとましにできるところや、ましであるべきところにばかり目を向ける」。 

 これは今朝の私ではないか。世界で最も影響力のある女性の一人であるミシェルだって、年齢を重ねていく自分の姿と、毎朝せめぎ合いをしているのだ。世界中でせめぎ合いをしている人たちはみな、彼女のこの正直な告白に大いに慰められるのではないか。

ストイックな「姉貴」からの応援歌

 ファーストレディー・ウォッチャーの私にとって楽しかった記述は、ミシェルが友人たちを連れてキャンプ・デービッドを訪れたときの様子を記したものだ。

 キャンプ・デービッドとは大統領の保養地で、2001年に当時の首相だった小泉純一郎氏と第43代合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュが、キャッチボールをしたり、革のジャケットを交換したり、ハンバーガーを食べ、プールサイドで何時間も語り合い、謎の友情を育んだ場所として記憶している人も多いだろう。ほとんどの場合、大統領が友人や要人を招待して、豪華なディナーを楽しんだりする場所なのだが、なんとミシェルは、ここに友人たちを招き、一日三度のトレーニングと、肉なし、ジャンクなし、アルコールなしのブートキャンプを行ったというのだ。どれだけ徹底している人なのだろう。自分に厳しい人は、他者にも厳しいというよい例ではないだろうか。

 参加者からは当然ブーイングが出て、多少の肉とワインは必要だとされ、ミシェルは考え直す。友情について心に留めておく大切なこと。それは、ルールをすべて自分が決められると考えるのは馬鹿げているということ。大切なのは、参加することなのだということを。

 ……そりゃ、そうでしょう。キャンプ・デービッドに招待されたわ! と、ワクワクしながら行ってみたら、ワイン出ません! 肉なし! ポテチはもってのほかだ! なんて、想像しただけで涙が出る。

 しかし、ミシェルはこうも書く。「限界まで追い込まれるきついトレーニングに打ち込むことは、わたしには何より手っとり早くて効果のあるストレス解消法で、いまこの瞬間に集中する手段だ。トレーニングがいくつもつづくと、さらにいい」

 ミシェルのよき友であろうと思うのならば、ブートキャンプにも耐えられるような体力が必要なのかもしれない。結局、ワインと肉はミシェルからの許可が下り、友人たちはおしゃべりを楽しむことができたそうだ。

 本書を読んで私が感じたのは、「これは今までファーストレディーが綴ってきた本とは一線を画した一冊だ」ということだ。最初から最後まで、ミシェルがそのアップダウンの激しい人生を生きるなかで、ひとつひとつ獲得してきた、不安を解消するためのノウハウが詰まっている。そしてそのノウハウは、女性であること、妻であること、母であることなど、多岐にわたっている。ファーストレディーが書いた本となると、ほぼ直感的に、自叙伝のような作品を想像する人も多いのではないかと想像するが、本書はまったく違う。これはアラカンを迎えたミシェル姉貴から、姉貴を追いかける年代の女性に送られた、愛情いっぱいの応援歌だ。

ミシェル・オバマ『心に、光を。 不確実な時代を生き抜く』(KADOKAWA)
カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
村井理子(むらいりこ) 翻訳家・エッセイスト。1970年静岡県生まれ。訳書に『ヘンテコピープルUSA―彼らが信じる奇妙な世界』(中央公論新社)、『ゼロからトースターを作ってみた結果』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』(ともに新潮文庫)、『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』(きこ書房)、 『黄金州の殺人鬼―凶悪犯を追いつめた執念の捜査録』(亜紀書房)、『エデュケーション―大学は私の人生を変えた』(早川書房)など。著書に『ブッシュ妄言録 ―ブッシュとおかしな仲間たち』(二見文庫)、『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き―おいしい簡単オーブン料理』(KADOKAWA)、『犬がいるから』『犬ニモマケズ』『ハリー、大きな幸せ』(ともに亜紀書房)、『兄の終い』『全員悪人』(ともにCCCメディアハウス)、『村井さんちの生活』(新潮社)。
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