政治的なるものとは~思索のための1冊 (14)

「誠実さ」こそが外交の要諦――吉村昭『ポーツマスの旗』にみる愛国心の力(後編)

執筆者:橋本五郎 2024年1月25日
タグ: 日本 ロシア
エリア: アジア 北米 その他
条約交渉を終え、暗殺も覚悟で帰国する小村寿太郎(左)を、首相の桂太郎(右)は駅のホームで出迎えた 写真出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)
陸海軍ともに重要な会戦でロシアに勝利した日本だが、兵力と財政は限界に達していた。アメリカ・ポーツマスでの講和会議に臨んだ小村寿太郎全権は、権謀術数を弄せず「誠実さ」を交渉の基本方針とした。その結果、米国大統領の信頼を得て日本外交史上に残る成功を収めたが、日本国民は講和条件に納得せず、小村は帰国後に自身が暗殺されることさえ覚悟していた。

 理想的な外交官、よき交渉家の資質とは何だろうか。イギリスの外交官、アーネスト・サトウが「政治的叡智の宝庫」と称賛したフランソア・ド・カリエールの『外交談判法』(岩波文庫)は、この問題を考えるうえでの古典ともいうべき書である。カリエールは17世紀から18世紀にかけてのルイ14世の時代、国王や外務大臣につかえたフランスの「交渉家」で、自らの豊富な経験に基づいて提言している。この中で特にカリエールが交渉家の備えるべき資質として挙げた点を列記してみよう。

(1)立派な交渉家にとって必要なことは、しゃべりたくてむずむずしても、その欲望に抵抗できるような自制心を持たなければならない。

(2)交渉家は勇気があるばかりではなく、確固不動の精神を持たなければならない。

(3)立派な交渉家は、自分の成功を、決して、偽りの約束や約束を破ることの上においてはならない。ぺてんによる成功は長続きしない。なぜならば、だまされた人の心に、恨みと復讐心を残すからである。

(4)気性が激しく怒りっぽい人は、重大な交渉を上手に行うのに適しない。沈着で、控え目で、大いに用心深く、いかなる場合にも忍耐強いことが必要である。

 また、イギリスの著名な外交官であるハロルド・ニコルソンは名著『外交』(東京大学出版会)で、カリエールが、成功を望んでいる外交官が所有しなければならない資質の第一のものとして「道徳的誠実」を挙げているなどと繰り返し引用しながら、理想的な外交官の特性・資質について、次のように論じている。

「よき外交交渉の基礎は道徳的な力であり、その力は七つの外交上の美徳に基づいている。(1)誠実、(2)正確、(3)平静、(4)よい機嫌、(5)忍耐、(6)謙虚、(7)忠誠である」

日本側が準備した9つの講和条件

 これらを念頭に、日露戦争(1904~1905)当時の桂太郎内閣の外務大臣で、ポーツマス講和条約の全権を務めた小村寿太郎を見ると、「よき交渉家」に必要な多くの資質を備えていたことがわかる。講和条約交渉の模様を最も生き生きと描いた吉村昭の『ポーツマスの旗』(新潮文庫)によって、「交渉家小村寿太郎」を再現してみよう。

 日露戦争では、極東の小国が世界屈指の軍事大国に連戦連勝、特に日本海海戦では東郷平八郎率いる連合艦隊が世界戦史上例をみない大勝をした。しかし、戦争による被害は日本も甚大だった。1904年2月の開戦から1年半の間に、動員された兵力は108万8996名、戦死者は4万6423名、病気、負傷のため兵役免除となった者約7万名、俘虜は約2000名にのぼった。費消された軍費は陸軍が12億8328万円余、海軍が2億3993万円余、その他を合計すると19億5400万円にも達していた。

 それは戦前の国家予算の8倍にもあたる巨額なものだった。政府は、増税、新税の創設をはじめ5回にわたる国債、4回の外債によって補ってきた。しかし、もはやこれ以上の出費は不可能だった。そこで米大統領セオドア・ルーズベルトに和平斡旋を依頼、外相小村寿太郎と駐米公使高平小五郎を全権委員に任命、全権団は1905 年7月、アメリカに向けて出発した。それに先立って、政府は元老を交えた閣議で、講和会議にあたっての条件を決定した。それは9カ条から成り立っていた。

【絶対的必要条件】

(1)韓国からロシア権益を一切撤去し、同国は日本の利益下におく

(2)日露両国軍隊は、満洲から撤兵する

(3)ロシアの有する旅順、大連その他遼東半島の租借権及びハルビン以南の鉄道、炭坑を日本に譲渡する

【比較的必要条件】

(4)ロシアは、日本に対し軍費を賠償する。金額は拾五億円を最高額とする

(5)ロシアは、中立国の港に抑留された軍艦を引き渡す

(6)ロシアは、樺太及びそれに附属した諸島を日本に譲る

(7)ロシアは、日本に沿海州沿岸の漁業権を与える

【附加条件】

(8)ロシアは、極東の海軍力を制限する

(9)ロシアは、ウラジオストックの軍備を撤去し、商港とする

小村とウイッテ、対照的な交渉戦術

 最大の問題は、樺太割譲と賠償金支払の2条件だった。そのいずれもロシア側が受け入れる可能性は少なく、講和会議の焦点になることは明らかだった。日本としてはあくまで講和を結ばなければならず、絶対的必要条件以外は、小村全権の外交手腕に一任することになった。具体的な交渉経過を見る前に、彼の外交に対する基本的な考え方を要約する。

 小村は長い外交官生活で、日本の外交の歴史の浅さを身にしみて感じていた。国境を接するヨーロッパの国々にとって外交は常に戦争と表裏一体の関係にあった。その外交は攻めと守りの術を巧妙に駆使し、自国の利益を守るため他国との間に結ばれた約束事を一方的に破棄することさえあった。そうした多様な欧米列強の外交に日本の外交姿勢はどうあるべきか。結論は、一つしかなかった。歴史の浅い日本の外交は、誠実さを基本方針として貫くことだと思っていた。列強の外交関係者からは愚直と蔑称されても、それを唯一の武器とする以外に対抗する手段はないと思ったのである。

 小村の誠実さは、講和条約交渉の随所に見られた。小村は、ルーズベルトとの仲介役になっていた金子堅太郎に、「御前会議では絶対必要条件が通れば講和条約を結ぶべしと決定したが、どうしても樺太の割譲と賠償金を得ることを貫くつもりだ」と伝えるとともに、ルーズベルトに会ったら、思い切って講和条件の全文の写しを渡したいと述べた。日本政府が大統領に対し、少しも隠し立てすることなく信頼していることを言明したいと思ったからだ。大統領はそれを多とし、「償金問題については、ロシア側を刺激させぬため金額は最後にした方が賢明だと思う」などと具体的にアドバイスした。

 一方、ロシアの全権セルゲイ・ウイッテも、講和会議に臨むにあたっての方針を自らに課していた。

(1)ロシアが講和を望んでいるという態度は決して見せない(2)ロシア僻地での小戦争の勝敗はロシアにとって重要ではないという態度をとり、日本側全権を威圧する(3)記者たちに愛想よく接する(4)アメリカ人の人気を得るため、終始尊大ぶることなく気さくな態度をくずさない(5)アメリカの新聞業界に大きな勢力を持つユダヤ人の反感を招かぬよう留意する――というものだった。

 ポーツマス講和会議は1905年8月から始まった。会議の内容は一切秘密にすると双方で合意したにもかかわらず、ウイッテがアメリカの新聞記者たちに日本側の講和条文案を漏らした。日本の要求が過酷であるという印象を広めるのが目的だった。しかし、小村はウイッテの背信に激しく怒りを抱いたものの、冷静さを失わなかった。新聞操縦などという方法は避け、誠実な態度をとり続けることが好結果を生むと信じていた。ウイッテのような意識的な動きはむしろ有識者の反感を招くに違いないと思っていた。実際、ヨーロッパ各紙の報道は、日本の講和条件は穏やかなものだということで共通していた。ロシア側が漏らしたことが日本側に有利に働いたのである。

御前会議で要求断念が決まったはずの南樺太も獲得

 感情的なウイッテに対し、終始論理的、冷静な小村の間で交渉が続くが、小村は会議決裂も辞さずという揺るぎない姿勢を貫いた。日本側の絶対的必要条件が認められていく中で、樺太割譲と償金支払い問題で決裂の危機がやってきた。しかし、小村は態度を変えなかった。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
橋本五郎(はしもとごろう) 『読売新聞』特別編集委員。1946年秋田県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、読売新聞社に入社。論説委員、政治部長、編集局次長を歴任。2006年より現職。『読売新聞』紙上で「五郎ワールド」を連載するほか、20年以上にわたって書評委員を務める。日本テレビ『スッキリ』、読売テレビ『ウェークアップ!ぷらす』、『情報ライブミヤネ屋』ではレギュラーコメンテーターとして活躍中。2014年度日本記者クラブ賞を受賞。著書に『範は歴史にあり』(藤原書店)『「二回半」読む――書評の仕事1995-2011』(以上、藤原書店)『不滅の遠藤実』(共編、藤原書店)『総理の器量』『総理の覚悟』(以上、中公新書ラクレ)『一も人、二も人、三も人――心に響く51の言葉』(中央公論新社)『官房長官と幹事長――政権を支えた仕事師たちの才覚』(青春出版社)など多数。
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