イスラエル社会の深淵「徴兵制」の今(前編)|兵役拒否というタブーに挑む若者たち

執筆者:曽我太一 2024年3月29日
エリア: 中東
収監されることを覚悟で兵役を拒否するという17歳のイド・エラムさん(筆者撮影)
建国と同時に国民皆兵制を導入したイスラエルで、兵役への応召は国民としてのアイデンティティの一部と見なされている。アラブ系や超正統派など、一部の国民は例外的に徴兵されないが、大多数のユダヤ系は18歳になると男女関係なく軍務に就く。兵役を拒めば制裁として収監されることもあるが、ガザ侵攻に反対するため、あえてその道を選ぶ若者も現れている。

 イスラエルは、「ユダヤ国家」であると同時に「多“ コミュニティ”社会」だ。一口にユダヤ人といっても、ヨーロッパ系のアシュケナジ、南欧系のセファルディ、中東系のミズラヒ、さらにエチオピア系もいる。中でもアシュケナジは、イスラエル社会のエリート層に多い。また、イスラエルに移住(アーリヤ)したものの、母親ではなく父親がユダヤ系であるために、イスラエル国内では正式には、「ユダヤ人」として認められないというイスラエル人もいる(国内で結婚ができないなどの不都合がある)。宗教に対する向きあい方によって「世俗派」と「宗教派」にも分かれる。さらに、1948年の「ナクバ」(イスラエルの建国と、それに伴うパレスチナ人の追放)の際に、イスラエル側に残ったパレスチナ系のイスラエル市民もいれば、別のアラブ系のドゥルーズの人たちもいる。ルーベン・リブリン前大統領は、こうしたイスラエル社会について「部族社会 」と表現した。

生まれた瞬間から身につく「安全保障」

 イスラエルが「国民皆兵制」を取っていることはよく知られているが、このような多様な背景を持った人々に対し、徴兵義務が一様に適用されるわけではない。ユダヤ教超正統派やアラブ系市民には、兵役の「免除」が認められている。パレスチナ人の知人によると、パレスチナ系市民の場合、軍から徴兵の令状が送られてきて拒否する人もいれば、(拒否を見越して)そもそも送られてこない人もいるという。その知人はイスラエルのパスポートを持つが、招集されなかったという。

 一方、ドゥルーズの人たちはアラブ系の住民だが兵役に就くことで知られている。元々はイスラム教シーア派から派生した宗教共同体でアラビア語を話す彼らは、イスラエル国家との間で市民権を得る代わりに徴兵に応じるという「血の盟約」とも呼ばれる合意を結び、現在では9割が兵役についている。アラビア語を話せるため、テロ対策特殊部隊などに登用されることもあり、パレスチナ人を「取り締まる側」に就くことが少なくなく、アラブ系同士であるが、双方の関係はギクシャクしている部分もある。

ドゥルーズの人たちが暮らすイスラエル北部マージダル・シャムス。山の向こうはレバノン。その昔は山の頂上にあった巨大メガホンで、生き別れとなった写真右側にあるシリア側の家族とコミュニケーションをしていたという(2022年1月、筆者撮影)

 徴兵制が導入されたのは建国直後の1948年。600万とされるユダヤ人が虐殺されたホロコーストの悲劇のあと、人口およそ60万人の「ユダヤ人国家」イスラエルが、アラブ諸国のど真ん中に建国された。強大な敵に囲まれるなかで、国家と国民の命を守るために導入されたのが、男女問わず兵役に就く国民皆兵制度だった。国内のあらゆる人的資源を兵力、もしくは軍を支援する軍事要員として動員できる体制の構築を目的としたのだ。

 周辺の大国と度々戦火を交える中で、イスラエルは小国である自分達について、聖書のなかで巨人ゴリアテを倒す小人ダビデになぞらえてきた。その「ダビデ」を支えてきたのが、国民皆兵制度なのだ。

 軍の諜報機関出身で、国家安全保障研究所(INSS)のメイル・エルラン上席研究員は、徴兵制はイスラエルという国家の根幹であり、アイデンティティでもあると指摘する。

「普通の国は、経済が第一かもしれないが、イスラエルでは最優先ではない。安全保障が第一だ。私たちの思考は、軍事的に十分に強くなければ、安全保障が脅かされ全滅してしまうという大前提に基づいている。これはイスラエルに生まれた瞬間から身につく感覚 だ。イスラエル軍というのは『人民軍』であり、市民と軍隊は別々に存在するわけではない。国民全てを動員することで、国家の小ささという現実と、大きな軍隊を持ちたいという理想の間のギャップを埋める。そのために全員が協力しなければならないという発想だ」

「よりプロフェッショナルな職務」に就く女性兵士

 話は変わるが、デンマーク政府は2024年3月、女性を徴兵の対象に加えると発表した。ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、欧州各国で安全保障への懸念が高まるなかでの対応だ。女性の兵役は欧州では3カ国目となるとされる。一方、イスラエルでは建国時から、男女を問わず兵役が課されてきた。詳しくは後述するが、ジェンダーという観点では、「先進的」とも言われてきた。

 徴兵は原則、18歳の時に行われる。現行制度では、徴兵前になると「First Draft」、ヘブライ語では「Tsav Rishon(ツァブ・リション)」と呼ばれる徴兵前準備に招集される。徴兵担当官との面接のほか、医学・身体能力検査、心理技術テスト、そして、軍のソーシャルワーカーとの面接という4つのプロセスを経て、男子の場合はさらに戦闘部隊への適性を確認する心理評価も行われる。

 身体能力検査では、評価が何段階かにわけられる。最高評価が97点、その次が82点と段階的に評価され、戦闘部隊への配属を希望する場合は82点以上が必要となる。一方、障害などのため、最も低い21点と評価された場合には、兵役を免除される。ただ、希望すれば、特別な部隊で任務に就くこともできる。

ネタニヤフ首相がガザ地区周辺で女性の歩兵戦闘員を訪問(2023年11月13日 撮影:Kobi Gideon, GPO)

 一般的な徴兵期間は、男性の32 カ月に対し、女性は24カ月とやや短い。女性の場合、以前は就くことができる職務に制限があり、秘書などのバックオフィスでの仕事が多かったが、近年は軍内でのジェンダー意識の高まりを受けて、エリート戦闘部隊や戦闘機パイロットなど「よりプロフェッショナルな職務」(エルラン氏)に就くことが増えている。

 筆者は今回、エジプトとの国境周辺に配備されている戦闘部隊の女性兵士ミア伍長に話を聞くことができた。ガザ地区にも近いエジプト国境では通信状況が悪く、テレビ電話での取材は急遽、電話インタビューとなった。

カテゴリ: 政治 社会
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執筆者プロフィール
曽我太一(そがたいち) エルサレム在住。東京外国語大学大学院修了後、NHK入局。北海道勤務後、国際部で移民・難民政策、欧州情勢などを担当し、2020年からエルサレム支局長として和平問題やテック業界を取材。ロシア・ウクライナ戦争では現地入り。その後退職しフリーランスに。
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