「次はナルヴァ」? エストニア、国境の街の沈黙

執筆者:国末憲人 2024年4月4日
エリア: ヨーロッパ

かつて車が行列をつくっていたナルヴァの国境検問所。現在通過は徒歩だけ(筆者撮影、以下も)

独ソ戦の激戦地としても知られるエストニア最東部の街、ナルヴァは幅100メートル足らずの川を隔ててロシアと向き合っている。2月半ば、現地を訪れた筆者は幾度も「次はナルヴァ」という言葉を耳にした。かつて発展への期待が込められた言葉は、今はロシアによる侵略の脅威を示すものに変わっている。だが、人々が口にするのは安全保障上の懸念ばかりではない。国境を越えて行き交う人々の流れが遮断され、経済的な不安が切実だ。ある男性は「IT先進国」と称されることに、「エストニアで唯一成長しているのは首都タリン。ナルヴァは違う」と反論した。[現地レポート]

 ロシア軍のウクライナ侵攻に最も衝撃を受け、強い危機感を抱いたのは、欧州の北東部に位置するリトアニア、ラトビア、エストニアの「バルト三国」だろう。欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)に加盟しながらも、いずれもロシアと長い国境を接し、ソ連に併合されて事実上ロシアの支配下に入った経験を持つ。ソ連時代に移住した人々やその子孫からなるロシア系住民を国内に多数抱え、社会の統合にも苦心している。その立場と状況はウクライナと重なる面が多いだけに、ウクライナへの同情とロシアへの反発も根強い。

 その一つエストニアを2月半ばに訪ねる機会があった1

 首都タリンの街角では、青黒白3色のエストニア国旗と同じぐらいの頻度で、青と黄色2色のウクライナ国旗が視界に入る。市内中心部の自由広場には、ビルの壁面4階分を占領して、両国の巨大な国旗が並んでいる。エストニアの官公庁の前にも、自国旗とともにウクライナ国旗が翻る。

 世界遺産に登録されている旧市街の中、ロシア大使館の前の柵には、ウクライナ侵攻に対する抗議のメッセージが多数くくりつけられていた。ちょうどロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏が獄中で死亡してから間がなく、彼を追悼する花束も積み上げられ、この国の人々の反ロシア、反プーチン政権意識を反映していた。

タリンの自由広場に掲げられたエストニアとウクライナの国旗

タリンのロシア大使館前にくくりつけられた抗議のメッセージ。ナワリヌイ氏の写真も

人々はロシア・ウクライナ戦争について触れたがらない

 翌日、タリンから約200キロ東にあたるロシア国境の街ナルヴァに移動した。少し異なる光景がそこにはあった。

 エストニアで3番目の街にあたる人口約5万4000人のナルヴァは、幅100メートル足らずのナルヴァ川を隔ててロシア側の街イヴァンゴロドと向き合う。第2次大戦で激しい独ソ戦、いわゆる「ナルヴァの戦い」の舞台となったこの街は、伝統的な建築物の多くが失われ、比較的無機質な街路が広がる。そのどこにも、タリンにあふれていたウクライナ国旗が見当たらない。別の国に来たかのようである。

 ナルヴァ市役所前に行くと、エストニア国旗とともに、青と黄色の旗が1旒掲げられていた。ようやく一つ見つかった?

「実はこれ、ウクライナの旗ではないんです」……

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カテゴリ: 社会 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
国末憲人(くにすえのりと) 東京大学先端科学技術研究センター特任教授 1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長、朝日新聞ヨーロッパ総局長などを歴任した。2024年1月より現職。著書に『ロシア・ウクライナ戦争 近景と遠景』(岩波書店)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)、『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『イラク戦争の深淵』『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)など多数。
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