「核武装」論者は現実を知らない 圧倒的な緊張感が支配する米国「核抑止の現場」

執筆者:岡本行夫 2022年8月6日
タグ: アメリカ 日本
エリア: アジア 北米
ホワイトハウスでのレセプションにて、レーガン元大統領と故・岡本行夫氏(写真・岡本アソシエイツ提供)

 ウクライナ侵攻後、ロシアのプーチン大統領は核兵器の使用も辞さない姿勢を明確にした。日本にも核武装が必要との声が内外の一部に上がっているが、それは現実的な議論と言えるのか。日米関係の最深部まで知る外交官、岡本行夫氏は核抑止の現場を視察してひとつの結論に至っていた。遺稿となった渾身の手記『危機の外交 岡本行夫自伝』から知られざるエピソードを紹介する。

 日本人が絶対的に忌避するのは核兵器である。広島、長崎を経験した国の当然の国民感情である。しかし日本が自国を守るためにはアメリカの核の傘が必要である。この二つの事実の絶えざる衝突が日本の防衛政策を複雑なものにしている。

 日本は「核を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を有している。「持たず、作らず」は問題ないが、「核の持ち込み」について、日本の野党は「米国は日本の非核三原則を無視し、核兵器を積載したまま艦船を日本に寄港させている」と攻撃するのが常であった。日本政府は「米国は日本の非核三原則をよく知っているのでそれに違反するはずがない」と答弁し、米側は「核の存在については肯定も否定もしない=Neither Confirm Nor Deny:NCND」と説明し、正面からこの問題に対応することは避けてきた。僕も国会でそう答弁してきた。

 これに対しては、60年代の早期から、エドウィン・ライシャワー駐日大使やジーン・ラロック海軍提督からは「日本は核兵器の一時寄港は認めているはずで、アメリカを嘘つきの立場に置くことは同盟を傷つける」という反論が出ていた。その後、米側主張の正しさを裏付ける文書が公開された。この核持ち込み論争は、ブッシュ大統領(父)が91年に水上艦艇への核兵器の積載を止めるまで続いた。

 日米安保条約にとって大きな障害は、神戸市が、米海軍艦船が核兵器を積んでいないと宣明しない限り神戸港には入れないとしていたことだ。米海軍の艦船が自由に日本の港に出入りできることは安保条約と地位協定に明記されている。そのことによって、国家全体が守られ、その果実を神戸市も享受しているのに、自分のところには米軍がそのような要求に応じられないことを見越した上で、軍艦の入港を認めない。

 アメリカは核兵器の存在も不存在も明らかにしないというNCND政策をとっている。これは米軍にとって憲法のような掟だ。つまり、核兵器の所在を個別には明らかにしないことによって、ソ連は米海軍の600隻の艦艇すべてに核兵器が積まれているかも知れないという前提で作戦計画を立てなければならなくなる。だから米軍は、絶対に核については肯定も否定もしないのである。

 ニュージーランド労働党のデービッド・ロンギ首相がこのNCND政策に挑戦し、ニュージーランドの全ての港に入る米軍艦船に核兵器不搭載の宣言を求めた。米軍は当然これを拒否し、その結果、米・豪・NZの相互防衛条約であったANZUS同盟は崩壊したのである。

 ニュージーランドとは違い、日本はそうはいかない。日本の自治体が次々に「神戸方式」に伝染すれば、日米安保体制は崩壊する。警備当局に依頼してでも神戸に米艦船を入れることは、歴代安保課長が駆られる誘惑であったが、もっと差し迫った心配があった。神戸に追随する動きが函館に出ていたのである。函館市とはずいぶん話をした。説明者も送った。幸い、函館の市当局は、神戸方式にならった市条例が議会で成立することを防いでくれた。危機は去った。

 その後91年9月28日、ブッシュ大統領は地上配備の戦術核兵器を全廃し、艦船搭載の戦術核を廃止する(残るのは空中発射式戦術核、地上固定式単弾頭戦略核のみ)との歴史的決定を行い、ソ連邦ゴルバチョフ大統領と、ロシア共和国エリツィン大統領に同様の全廃措置をとるよう呼びかけた。すでに91年7月の戦略兵器削減条約(START)で米ソは戦略核30%削減に同意していた。この時をもって、米ソは「大量保有による抑止」策から転換したのである。

 それでも神戸市の方式が変わったとは聞いていない。

 結局、反軍感情も、反核感情も、すべて太平洋戦争にルーツを宿している。戦争に勝った国は忘れるが、負けた側は常に半世紀から一世紀はその記憶が国の生き方を規定するのである。

 海外には日本の核武装を心配する声がある。実際、国民の18%は日本も核武装すべきだと考えている(2017年9月産経新聞、FNN調査)。「いつでも核兵器を保有できる技術水準にある」というフレーズは日本人の自尊心をくすぐるし、「できるけどしない」というスタンスは外交のカードにもなる。しかし日本が核武装することは100%あり得ない。

 第一に、広島、長崎があり、日本人は世界の誰よりも核兵器に対する強い嫌悪感を有している。

 第二に、たとえそのような感情がなかったとしても、現実問題として無理である。まず核兵器を開発保有するためには日本は核不拡散条約(NPT)を脱退しなければならない。第二の北朝鮮となり世界中の制裁を受けるのだ。世界からの孤立に耐えられる日本ではない。

 第三に、日本が核兵器の開発を始めれば米国は日米原子力協定に従って日本へのウラン燃料の供給を停止する。日本の原子力発電は立ちゆかない。

 第四に、核ミサイルをどこに展開するのか。日本には、基地を建設し、核ミサイルを格納する地下サイロを建設する場所はない。核兵器を安全にもつためのインフラをつくることなど非現実的である。ワイオミング州の空軍基地に行って心から実感した。

ワイオミング州ウォーレン空軍基地

 僕は、安保課長時代に大蔵省で外務省予算を担当する主計官や主査のところには行ったことがない。大蔵省への説明は、北米局の筆頭課である北米一課の仕事だったからだ。そのかわり、僕にとっては防衛主計官が極めて重要な存在であった。  

 在日米軍関連経費は防衛庁(当時)予算として計上される。防衛庁は同時に自衛隊の予算も担当する。防衛庁の内部の力関係としてはもちろん自衛隊に関する要求のほうが強いから、米軍関係予算はどうしても継子扱いになる。まずこの点について予算配分を行う防衛主計官の理解を得なければいけない。

 僕は、1987年の夏に岡田康彦防衛主計官を誘って、アメリカの核施設の見学に出かけた。「核抑止」を維持するアメリカの責任の重圧、そしてその核抑止力の傘の下で日米安保が成立している実像を見てもらおうと思ったのだ。

 ワシントンで国防総省と会談したあと、ノースダコタ州マイノットの戦略空軍基地を訪れ、核トマホークミサイルを搭載したB‒52戦略爆撃機群の運用ぶりを、実際に飛行しながら見せてもらった。そのあとICBMミニットマンとピースキーパー・ミサイル50基を擁する(現在はミニットマンⅢが150基)ワイオミング州のウォーレン空軍基地へ行った。さらにそこからワシントン州ブレマートン海軍基地(現・キトサップ海軍基地)を訪問し、核ミサイル・ポセイドンを積んだ戦略原潜の内部も見せてもらった。

 僕も初めての経験で、「抑止」とはこういうものかとつくづく考えさせられた。

 ウォーレン空軍基地でのゲーリー・カーティン司令官が催してくれた夕食会で、僕は日本の非核三原則についても説明した。彼はにこにこしながら聞いていた。基地を見たあと、僕は彼の微笑の意味が分かった気がした。「核兵器を持つことがいかに大変なことか実際に見てください」。そう微笑んでいたのだ。

 翌朝、24時間交代で勤務するミサイル発射要員たちが集まっている会議室に案内された。毎朝、最新のソ連情勢についてのブリーフィングが行われるのだ。ライトブルーのユニフォームにオレンジ色のスカーフを巻いた若者たち。彼らの真剣さに圧倒された。地上の牧歌的風景とはかけ離れた緊張感が支配していた。

 この若者たちはミサイル発射の任につくために特別に選ばれた兵士ではない。通常のローテーションでここに回ってきたという。ブリーフィングルームの出口に、彼等が書いたのだろう、ポスターが掲げられていた。大きな字だ。「OUR BOTTOM LINE, NOT TODAY, IVAN.」。「イワン君、今日だけは止めてくれ」とでも訳そうか。

 つまり抑止の最前線につく自分たちによって、その日一日核戦争が起きなければ、世界は平和だ。翌日は別のチームがその平和をもう一日、確保してくれる。そうして一日一日と平和が続いていく。だから「今日の平和は自分が守り抜く」。この若者たちはそう考えて地下の発射指令室へと降りていくのだ。

 ミサイルを格納するサイロは、敵の攻撃でいっぺんに破壊されないように広大な地域に散開している。林や農地や山間などにサイロが分布する。その広がりは日本を構成する四つの大きな島の一つである四国の面積に匹敵する。このことだけをもってしても、日本の核武装などは非現実的な話だと思い知らされた。 

 地下深くのミサイル発射指令室に案内されて強い印象を受けたのは、ミサイルが誤発射されないように何重にも設定されているセーフティー・メカニズムだ。何十もの手順が一糸乱れず処理されていかなければミサイルは発射されない。映画にあるような偶発的な核戦争の可能性はありえない仕組みだ。この安全システムのために費やされている膨大な経費と人員と教育を想像して溜息が出た。

 要するに核を安全に所有するためには、考える以上に膨大なインフラと人的資源が必要であり、こうした体制の取れない国は核兵器など持つべきではないのだ。

 「日本も核武装すべきだ」という勇ましい論者に時々会うが、僕は「平和国家の日本は核を持つべきでない」と言う前に、「カネも、人も、場所も無理だからおやめなさい」と言うことにしている。

 ウォーレン空軍基地だけでどのくらいの経費がかかっているのだろう? 抑止にはカネがかかる。キャスパー・ワインバーガー国防長官はいつも「平和のパラドックス」という言葉を口にした。普段からの絶え間ない努力と即応態勢があって初めて戦争が抑止され、平和が保たれる。しかし、平和が保たれれば「抑止」は不要だと言われる。このパラドックスは、全ての民主主義国家が抱える宿命である。

 

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岡本行夫(おかもと・ゆきお)

(1945-2020)1945(昭和20)年、神奈川県出身。一橋大学卒。1968(昭和43)年、外務省入省。1991(平成3)年退官、同年岡本アソシエイツを設立。橋本内閣、小泉内閣と2度にわたり首相補佐官を務める。外務省と首相官邸で湾岸戦争、イラク復興、日米安全保障、経済案件などを担当。シリコンバレーでのベンチャーキャピタル運営にも携わる。2011(平成23)年東日本大震災後に「東北漁業再開支援基金・希望の烽火」を設立、東北漁業の早期回復を支援。MIT国際研究センターシニアフェロー、立命館大学客員教授、東北大学特任教授など教育者としても活躍。国際問題について政府関係機関、企業への助言のほか、国際情勢を分析し、執筆・講演、メディアなどで幅広く活躍。2020(令和2)年4月24日、新型コロナウィルス感染症のため死去。享年74。没後刊行された『危機の外交 岡本行夫自伝』が話題に。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
岡本行夫 おかもと・ゆきお (1945-2020)1945(昭和20)年、神奈川県出身。一橋大学卒。1968(昭和43)年、外務省入省。1991(平成3)年退官、同年岡本アソシエイツを設立。橋本内閣、小泉内閣と2度にわたり首相補佐官を務める。外務省と首相官邸で湾岸戦争、イラク復興、日米安全保障、経済案件などを担当。シリコンバレーでのベンチャーキャピタル運営にも携わる。2011(平成23)年東日本大震災後に「東北漁業再開支援基金・希望の烽火」を設立、東北漁業の早期回復を支援。MIT国際研究センターシニアフェロー、立命館大学客員教授、東北大学特任教授など教育者としても活躍。国際問題について政府関係機関、企業への助言のほか、国際情勢を分析し、執筆・講演、メディアなどで幅広く活躍。2020(令和2)年4月24日、新型コロナウィルス感染症のため死去。享年74。
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