薄熙来の「紅い王朝」(上)薄父子と胡総書記の「とても複雑な因縁」

執筆者:藤田洋毅 2012年7月5日
カテゴリ: 国際
エリア: 中国・台湾

「さすが鄧(小平)が名伯楽と見込み、片腕と頼った薄(一波)老。胡(錦濤)の発想や手法を熟知し、その慧眼はこんにちの事態を予期していたのか……」 ――老幹部の1人が皮肉っぽく言って苦笑いした。中国国務院(中央政府)の要職から引退したこの老幹部は、父親が建国時の軍高官で、いわゆる太子党の1 人。長年、政権中枢の動きを観察してきた経験は、軍や党・政府の現役高官らにとっても勉強になるらしく、公私・分野を分かたず、今も幅広い交流が続いている。必然、中南海の内情にも詳しい。
 鄧小平の時代を通じ、最有力長老の1人として副首相、党中央顧問委員会副主任などを歴任した故・薄一波を、老幹部らは敬意と親しみを込め「薄老(ポーラオ。薄おじいちゃん、といったニュアンス)」と呼ぶ。3月に重慶市書記、4月には政治局員・中央委員の職も解かれて完全失脚した薄熙来は、薄一波の次男 だ。4半世紀以上にわたる薄父子と胡錦濤総書記の「とても、とても複雑な因縁」を老幹部は明かした。

「八老」の1人として

2002年の第16回党大会に出席した薄一波(c)AFP=時事
2002年の第16回党大会に出席した薄一波(c)AFP=時事

 報道では、元副首相と簡単に紹介されることが多い薄一波だが、鄧の補佐役として1980年代から90年代半ばにかけて活躍した歴史を知れば、あまりに不十分な枕詞だろう。8人の長老が国を率い「八老治国」と呼ばれた頃の中国で、薄一波は鄧、陳雲(政治局常務委員・党中央顧問委員会主任=以下、肩書は鄧時 代の主なポスト)、李先念(政治局常務委員・国家主席・全国人民政治協商会議主席)、彭真(政治局員・全国人民代表大会常務委員長)、楊尚昆(政治局員・ 国家主席・党中央軍事委員会第1副主席)に並ぶ、最有力長老の一角を占めていた。しかも薄一波は、最高指導者である鄧から中央・地方にわたる党・政府の高層(幹部)人事を助言する大役を任され、人治国家である中国において肩書や序列を超える大きな影響力を誇っていたのだ。  そんな薄一波の権力の頂点は、1992年秋に開催された第14回党大会。同年夏に、それまで鄧を支えてきた筆頭格の大管家(大番頭)・楊尚昆と、軍内最 大の実力者と呼ばれていた従弟の楊白冰(党中央軍事委員会秘書長兼軍総政治部主任)が、ともに権力闘争に敗れ、実権を失った。10月に予定されていた党大会を目前に、鄧小平は急遽、党大会人事総顧問を楊尚昆から薄一波に差し替えたのだ。 「胡さん、ひやりとしたでしょうねぇ……もしかしたら一旦は諦めたかも」――老幹部は、薄一波の人事総顧問就任を耳にした胡錦濤・チベット自治区書記(当時)の胸中を推し量る。

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