「アメリカ的大学」では意味がない

執筆者:坪内淳 2002年4月号
カテゴリ: 国際
エリア: 北米

「アメリカ独立戦争の本当の理由は、ハーバード大学をイギリスに馬鹿にされたからだった」 先日ある研究者と話していて、そういう話になった。たしかに、ハーバードの創設はアメリカ独立よりも古く、なにかと自国の歴史の浅さにコンプレックスを感じているアメリカ人には、数少ない「誇り」のひとつである。まあ、そういう話が出るのもわかるねと、そのときは笑い話で終わったのだが、よく考えるとこれは実に深いテーマである。アメリカ独立の歴史を繙きたくなったわけではなく、「大学」というものの意味について考えさせられたからである。 一見「人類普遍的」存在に思える大学も、現実社会の文脈や国境からニュートラルではありえない。どのような学問分野にしろ、数ある現象の中から何を問題として捉え、それをどのような方法で追究していくか、そこには社会の価値観と知的コミュニティの「流行」が色濃く反映する。そして同時に、大学から生産された「知」が社会に影響を与え価値観を形作っていく。いってみれば、大学はその社会の精神的独立の核なのである。「ハーバード問題」がアメリカ独立の契機かどうかはともかくとして、オックスフォード、ケンブリッジというイギリスの「知的権威」から独立したハーバードの存在が、アメリカの社会と国家の真の独立にとって重要な意味を持っていたことは確かであろう。

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