東地中海ガス開発「政治主導」の脆弱さに加わる「イスラエル・ハマース戦争」

執筆者:豊田耕平 2024年1月2日
エリア: 中東
2020年1月2日、東地中海ガスパイプライン建設契約の調印後、共同記者会見に臨むギリシャのキリアコス・ミツォタキス首相とイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相[ギリシャ・アテネ](C)REUTERS
「反トルコ」のイスラエル・キプロス・ギリシャ・エジプトによる東地中海ガス開発は、対抗するトルコのリビアに向けたアプローチ、さらにはトルコ-イスラエルの関係改善など、複雑な地域情勢の影響を受けてきた。ロシア・ウクライナ戦争開始後は「脱ロシア」を目指す欧州へのエネルギー供給という要素も加わった。総じて政治主導色の強いこのガス開発構想は、政治それ自体の混乱や政府とオペレーター企業間の思惑のズレに行方を左右されやすい。イスラエル・ハマース戦争による新たな地域情勢の混乱で、このリスクは再び顕在化しつつある。

 2023年10月7日から現在まで続いているイスラエル・ハマース戦争において、イスラエル・エジプト・キプロスを中心とする東地中海ガス開発への損害は、意外なほど限られている。ハマースによる侵攻直後から、イスラエル第2のガス田であるタマルガス田、そしてイスラエル・エジプト間をつなぐ東地中海ガス(EMG)パイプラインが侵攻から1カ月程度停止したものの、あくまで短期間の供給量減少にとどまっている。エジプトからのLNG(液化天然ガス)輸出も11月中旬から再開し、東地中海での長期的なガス供給途絶という最悪のシナリオは、現時点では回避されている。「戦後」の東地中海ガス開発は、これまでと同様、「脱ロシア天然ガス供給源」候補としての強い推進力をもとに順調に進展するのだろうか。

 東地中海のガス開発は2010年代から「反トルコ」「脱ロシア」といった政治的要因によって推進されてきた。そのため、「戦後」の東地中海ガス開発を考えるにあたっては、物理的・経済的なインフラ状況のみならず、同地域を取り巻く政治的コンテクストやそれに伴う事業環境を検討することが欠かせない。

 本稿では東地中海ガス開発がこれまでどのような政治的コンテクストの中で推進されてきたかを分析し、そのうえで、今回のイスラエル・ハマース戦争前後の環境変化によって生起した、今後のイスラエル・キプロスのガス開発におけるそれぞれの事業課題を検討する。

1. 東地中海ガス開発に対する政治的な推進力

 2010年代に東地中海において大規模なガス田が発見された時期から、すでに「反トルコ」や「脱ロシア」といった政治的要素の萌芽が見られた。「反トルコ」要素については、ガス田の発見を機に、イスラエル・キプロス・ギリシャの間でガス開発に関する緩やかな協調が形成され始めた。イスラエルは2010年、パレスチナ支援団体の船団とイスラエル軍との衝突で50名以上のトルコ人死傷者が出た事件からトルコとの関係が悪化したことを機に、トルコとの間にキプロス内戦を通じた緊張関係を有するキプロス・ギリシャとの関係を強化してきたのである。エネルギー協力は3カ国関係の中核に位置付けられており、2010年ごろから東地中海パイプライン構想の原型やキプロスでのLNG輸出施設の建設などのガス開発オプションの検討が進められていた。また、「脱ロシア」要素については、2014年のロシアによるクリミア併合を機に、EU(欧州連合)はロシアへの天然ガス依存を低減させる手段の一つとして東地中海ガス田からの供給に注目した。2015年には東地中海パイプライン構想をはじめてEUのインフラ支援対象である「共通関心プロジェクト(PCI)」リストに加えている。

 2010年代後半になると、東地中海ガス開発における「反トルコ」的性格はより強まる。2018年ごろからキプロスでの探鉱活動が活発化したことで、トルコが軍艦を伴う示威行動によって外国企業の探鉱活動を頻繁に妨害するようになった。これに対して2019年1月、イスラエル・キプロス・ギリシャ・エジプトが中心となって、東地中海でのガス開発を促進する「東地中海ガスフォーラム」を設立することを発表した。孤立したトルコは同年11月にリビア国民合意政府(GNA)との間で、エジプトやギリシャの排他的経済水域(EEZ)主張を無視する形で、トルコ・リビア間EEZ画定に関する基本合意(MOU)を締結した。このように、トルコと「東地中海ガスフォーラム」の対立にリビア内戦などが重なり合うことで、複雑なトルコ対「反トルコ連合」の対立が固定化されたのである。

2019年時点のトルコと「反トルコ連合」の対立構図[JOGMEC作成資料より]

 2022年2月のロシア・ウクライナ戦争が生じると、この状況に「脱ロシア」の政治的コンテクストが加わることとなる。2022年までは東地中海ガス開発がトルコをめぐる国家間対立のアリーナ、あるいは各国の外交的ツールとして活用されてきた。しかしこの侵攻により、EU主要国はロシア産化石燃料からの脱却を真剣に検討し、東地中海ガス田のエネルギー供給源としての本来的な価値が注目されるようになった。このモメンタムが生まれる以前の2020年にシェブロンが東地中海の主要ガス田に参画していたことで、同社を中心にエジプトの既存LNG輸出施設の活用や各国におけるLNGインフラの新設など、具体的な開発に向けた動きが加速していく。

 ここで留意したいのが、この「脱ロシア」による東地中海ガス田への注目も、単に各企業がガスポテンシャルや経済性を評価しただけではなく、EUによる脱ロシア天然ガス供給源候補の追求という政治的な推進力が不可欠な役割を果たしたということである。実際に、2022年6月のEUとイスラエル、エジプトによる東地中海から欧州へのLNG供給増加に関するMOUなど、東地中海ガス田の開発・生産・輸出に向けた動きは、政府間合意や多国間協調を中心に推進されてきたのである。

2. イスラエル・ハマース戦争の衝撃

 冒頭に述べたとおり、イスラエル・ハマース戦争の東地中海ガス開発に対する物理的・経済的な影響は現時点では限定的である。これまで生じた4度のガザ戦争と同様に、ガザ地区近傍のガスインフラがハマースの攻撃対象になることが懸念されたため、イスラエル政府はタマルガス田とEMGパイプラインの停止指示に踏み切った。イスラエルからエジプトへのガス輸出量が減少することで、東地中海からの長期的なLNGの輸出停止につながることが危惧されたが、ふたを開ければ、わずか1カ月後にはガスインフラの稼働が再開し、11月中旬にはエジプトからのLNG輸出も行われている。

 しかしこの紛争は、物理的・経済的な影響に加え、中東における国際関係の変化を通じて、イスラエルを中心とするエネルギー協力にも政治的な影響を及ぼしている。……

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執筆者プロフィール
豊田耕平(とよだこうへい) JOGMEC調査部/東京大学先端科学技術研究センター連携研究員。京都大学法学部卒業、東京大学公共政策大学院修了。2020年、(独)石油天然ガス・金属鉱物資源機構(現エネルギー・金属鉱物資源機構、JOGMEC)入構、22年4月より現職。20年9月より東京大学先端科学技術研究センター(グローバルセキュリティ・宗教分野)連携研究員を務める。「JOGMEC 石油・天然ガス資源情報」ウェブサイトにおいて、中東・北アフリカ地域のエネルギー情勢に関するレポートを公表している。
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