大学の敷地に沿ったバス通りの夜道を、背を丸めて歩きながら、ルームメイトがボソリと言った。
「今夜、アメリカ合衆国の運命が決まるんだなあ」
1961年4月の夜だった。彼と私は、大学の正門に近い小さい料理店へ、夕食に行くところだった。大学院生の寮の食堂で出す夕食より安くて旨いのである。そのうえ親爺は気のいい男で、「日本人は魚が好きだろ。いいのを仕入れておいたぜ」と言って私にはいつも魚のフライを出し、タルタル・ソースを2人分張り込んでくれた。
ニューヨーク州中部の湖水地帯に近い大学町はまだ春浅く、日がとっぷり暮れたバス道は暗く寒かった。

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