21世紀を読み解くには「長い16世紀」を知るべきである

2023年 私の読書

執筆者:水野和夫 2023年12月31日
カテゴリ: カルチャー
 

 21世紀は17世紀から始まった近代化の延長線上にはないし、13世紀から始まった資本主義も従来とは全く異なりナオミ・クラインのいう「ショック・ドクトリン」(惨事便乗型資本主義)と化している。9・11やロシア・ウクライナ戦争、イスラエル・ハマス戦争など海の国であるアメリカのパワーが低下してきたため、陸の国が反撃に転じた。経済面でも日本をはじめとして超低金利時代が到来し、5000年の金利の歴史上、日本の1.0%割れの国債利回りは最低記録を更新中である。

 21世紀を読み解くにはフェルナン・ブローデルがいう「長い16世紀」(1453~1648年)を比較参照すべきである。現在と過去を比較するとき、どの過去と比較すべきかが決定的に重要である。中世システムが崩壊して「長い16世紀」が始まった。2世紀後にようやく近代システムが立ち現れたが、この間中世秩序を維持してきた聖界の教権も世俗界の皇帝も社会の混乱に対処できなかった。ブローデルは『地中海』でそうした時代におけるイタリアやスペインなど環地中海世界の政治・経済・文化、そして人々の生活や気候などにいたるまで詳細な分析を行い、専門化された学問の領域を超えていわば水面下での構造変化を明らかにしている。

フェルナン・ブローデル(浜名優美訳)『地中海』(藤原書店)

 ブローデルは16~17世紀にかけてのイタリアで起きた金利の持続的で急激な低下を「利子率革命」と名付けた。「地中海世界」の秩序を維持していていたローマ・カトリックの本拠地イタリアの収益性が低下し、教会の経済的基盤が揺らいでいた。「イタリアは自国に山の頂きまで耕作されている」のであって、イタリア・ジェノバの5年物国債利回りは1566年の9.0%をピークに急低下し、1619年には1.125%を記録した。当時のイタリアでは「ジェノバに銀と金が殺到した時期にあたり、この時代には、銀と金は投資の手段を見出すのが困難」だった。

 経済が長期停滞に陥ると、社会不安が高まる。ブローデルは「〈深い割れ目〉が古くからある社会を二つに分け、そこに深い溝を掘る。この溝を埋めるものは何もない。(略)金持ちが柄が悪く」なったと指摘している。21世紀の日本をはじめとする先進国は「長い16世紀」と同じである。いまの日本は個人金融資産や企業の内部留保金が増加の一途を辿っているが、国内には優良な投資先はない。「長い16世紀」の柄が悪くなった金持ちは21世紀のビリオネアだ。

 古代・中世の中心だった環地中海世界は「長い16世紀」にオランダやイギリスに主役の座を奪われ、ローマからアムステルダムやロンドンに中心が移動した。その移行プロセスをカール・シュミットが『陸と海と―世界史的一考察』で描いている。シュミットによれば、だれのものでもない海をオランダ、次いでイギリスが自らのものにしたことで、陸の時代を終わらせ海の時代を到来させた。オランダは陸の国フランスに対抗するため、陸国化が進められた結果、「結局イギリスによる全地球の海上支配に帰着した」。

カール・シュミット(生松敬三・前野光弘訳)『陸と海と―世界史的一考察』(慈学社出版)

 空間が狭くなると、新しい空間を見出だし、それを支配したものが地球の支配者となる。21世紀の初頭にグローバリゼーションが全地球を覆い尽くした結果、利潤率が低下しつつあるので、ITを駆使する資本家が「電子・金融空間」を創出した。この空間では資本を増やすのに雇用の重要性は大きく低下した。カール・マルクスのいうG(貨幣)-W(商品)-G′の無限の繰り返しにより資本の自己増殖過程でWが欠落し、ビリオネアたちは「電子・金融空間」で高頻度取引(HFT)を頻繁に行って、コロナパンデミックではヘルスケア関連株価に、そしてロシア・ウクライナ戦争では軍需関連株に投資し巨額の利益を獲得している。

 国民国家の時代に雇用者が粗末に扱われる世界は「さかさま世界」である。ウィリアム・シェイクスピアは「長い16世紀」の激動期に『リア王』で「狂気の世界」を描き出している。謀反の濡れ衣を着せられ、目を潰されたグロスター伯爵は、追手から逃れる途中で、気がふれて乞食に身を隠している息子エドガーに会ったときに次のようにいう。「今は末世だ、気違いが目くらの手を引く」といい、権力者と大衆とがさかさまになっている。道義が通らない世の中になれば、大衆が為政者を導くというのだから、『リア王』にはその後の清教徒革命、名誉革命、そしてフランス革命へのメッセージが隠されている。

 『リア王』で描かれている狂気の世界について岩崎宗治はクリストファー・ヒルの言葉を引いて「現代心理学の見地からみれば、狂気とは社会規範に対する抵抗の一形式とも考えられるし、〈狂人〉のほうがある意味で、彼を受け容れようとしない社会よりも正常なのかもしれない」(『シェイクスピアの文化史』)という。当時の英国ではエンクロージャー運動で農地から追放された農民が浮浪者や魔女となって治安が悪くなっていた。「羊が人間を食べている」(トマス・モア)のだからまさに「さかさま世界」が現実となっていた。

 「さかさま世界」ではエドガーがいうようにどん底などない。「ああ、なんという事だ! 誰が言えよう、『俺も今がどん底だ』などと? 確かに今の俺は前にくらべてずっと惨めだ。だが、あすからは、もっと惨めになるかもしれぬ、どん底などであるものか、自分から『これがどん底だ』を言っていられる間は」。

ウィリアム・シェイクスピア『リア王』(新潮文庫)

 世界がどん底におちていく1930年にジョン・メイナード・ケインズは100年後の世界に希望を託して「わが孫たちの経済的可能性」(『ケインズ全集 9 説得論集』〔宮崎義一訳、東洋経済新報社〕収録)を著した。「重大な戦争と顕著な人口の増大がない」という前提条件つきではあるが、「経済問題は、100年以内には解決されるか、あるいは少なくとも解決のめどがつくであろう」と予言した。そしてそうした社会が実現できれば、「貪欲は悪徳であるとか、高利の強要は不品行であり、貨幣愛は忌み嫌うべきもの」となり、「明日のことなど少しも気にかけないような人こそ徳と健全な英知の道をもっとも確実に歩む人である」という。ケインズは貨幣愛を追求する人を軽蔑し、芸術に重きをおく社会を望ましいと言う。

ケインズ「わが孫たちの経済的可能性」(『ケインズ全集 9 説得論集』〔宮崎義一訳、東洋経済新報社〕収録)

 ケインズはこうした社会に到達できるのはゼロ金利が実現したときだという。日本がもっともそうした社会に近いポジジョンにいる。近代社会の「成長があらゆる怪我を治す」時代は終わったのである。「歴史学の任務のひとつとは現在のさまざまな不安な問題に答えを出すこと」(ブローデル)だとすれば、100冊を超える経済思想・経済史を紹介している塚本恭章の『経済学の冒険』(読書人、2023年)は歴史学の書物でもある。塚本は近代社会の下部構造に該当する経済をポスト近代にいかに再構築するかの手がかりを示唆してくれる。

塚本恭章『経済学の冒険』(読書人、2023年)
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執筆者プロフィール
水野和夫(みずのかずお) 1953年愛知県生まれ。法政大学法学部教授(現代日本経済論)。博士(経済学)。早稲田大学政治経済学部卒業。埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て、内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)、内閣官房内閣審議官(国家戦略室)などを歴任。著書に『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』(日本経済新聞出版社)、『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)、『次なる100年』(東洋経済新報社)など多数。
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