中東―危機の震源を読む
中東―危機の震源を読む(33)

改宗騒動が浮彫りにした人権概念の乖離

池内恵
執筆者:池内恵 2007年9月号
カテゴリ: 国際
エリア: 中東

 エジプトで「改宗」というイスラーム教最大のタブーが公然と提起され、騒動となっている。問題の渦中にいるのはムハンマド・ヒガージーという人物で、イスラーム教徒として生まれたが、各宗教の比較に関する思索を進めた末に、九年前にキリスト教への改宗を断行したという。 イスラーム教では、イスラーム教から他宗教への改宗(「離教」)は絶対的な罪であり、認められない。「背教」の最たるものとされ、死罪にあたる。これは一部の「狂信者」あるいは「保守派」の厳格な解釈ではなく、社会通念の次元で定着している。改宗が「許されない」という次元の話ではなく、普遍真理であるイスラーム教から離脱することなど「ありえない」という共通認識が根本にある。いわば人倫にもとる行為、あるいは「物理法則」に逆らう行為とみなされているといっていいかもしれない。 エジプトの憲法では信仰の自由は保障されており、制定法の範囲内には、改宗を明示的に禁じる法律はない。ただし婚姻や財産相続といった領域に関する個人関係法(personal status law)については、依然としてイスラーム法の規範が適用される。これはエジプトに限らず、多くのイスラーム諸国でも同様である。そして行政手続き上は、市民の基本的属性として、性別や年齢と同様に、「宗教」の区分は重要不可欠であり、内務省が発行するIDカードには宗教が明示されている(観光客に対しても入国カードに「宗教」の記入欄がある)。エジプトの場合、約八千万人の人口のうち、一割弱がキリスト教徒(その多くはエジプト独自のコプト教徒)とされる。

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執筆者プロフィール
池内恵
池内恵 東京大学先端科学技術研究センター准教授。1973年生れ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授を経て、2008年10月より現職。著書に『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書、2002年大佛次郎論壇賞)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2009年サントリー学芸賞)、『イスラーム国の衝撃』(文春新書)、本誌連載をまとめた『中東 危機の震源を読む』などがある。個人ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」(http://ikeuchisatoshi.com/)。
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