香港に続き上海でも「愛国派」司教が就任――加速する「カトリックの中国化」

執筆者:中澤穣 2023年7月11日
タグ: 習近平 香港
バチカン市内で中国人信者との写真撮影に応じるフランシスコ・ローマ法王(2018年4月18日) (C)EPA=時事
中国政府は今年4月、バチカン(ローマ教皇庁)の同意を得ずに上海教区の司教を任命した。2018年に司教任命を巡って歴史的な合意に達して以来、初めてとみられる。バチカンは欧州で唯一、台湾と国交を維持し、同じく台湾と国交のある中南米などの国にもカトリックが多い。これを切り崩したい中国側はこれまでバチカンとの合意を重視してきた。しかし国内の安定を極端に重視する習近平政権は「宗教の中国化」を加速させている。

 

 中国のカトリック教徒は約1200万人ともいわれる。巨大な中国では総人口の1%にも満たないが、かなりの人数ともいえる。そのカトリック教徒たちが固唾をのんで注目した出来事が4月以降に相次いだ。

 一つは、長年空席となっていた上海教区トップである司教の任命であり、もう一つはそれに続いて香港教区の周守仁司教が北京を訪れたことだ。いずれも習近平政権が掲げる「宗教の中国化」に向けた一歩であり、中国とバチカン(ローマ教皇庁)との関係の変化も示唆する。共産党政権の迫害を受ける教徒にとっては、さらなる受難を予感させる出来事でもある。

バチカンからの「自主独立」を追求

 上海教区は4月4日、中国政府公認の「中国天主教愛国会」副主席の沈斌氏(53)が司教に就任したと発表した。沈氏は、宗教界の代表の一人として、国政助言機関である人民政治協商会議(協商)の常務委員も務める。かなりの政府寄りの人物だ。上海教区のウェブサイトによると、4月4日の就任式には教区のすべての神父と修道女計約200人が参加し、沈氏は「国を愛し、教えを愛する上海教区の良き伝統を引き続き発揚し、『独立自主』の原則と、カトリックの中国化の方向を堅持する」と述べた。この言葉からも、沈氏が政府寄りであることは明白だ。

 問題なのは、中国側がバチカンの同意を得ないまま一方的に沈氏を司教に任命したことだ。

 どういうことなのか、中国のカトリックの歴史を振り返ろう。そもそも社会主義体制の中国は、宗教への警戒を隠さない。中国憲法は36条で「中華人民共和国公民は、宗教信仰の自由を有する」と保障する一方で、同じ条文の後段では「宗教を利用して社会秩序を破壊してはならない」「宗教団体及び宗教事務は、外国勢力の支配を受けない」とも明記する。

 それに対してカトリック教会では、教皇が絶対的な権威を持ち、ピラミッド型の組織を世界中に張り巡らす。1949年の建国以降、中国共産党はバチカンの影響力への警戒感から、政府系組織の「中国天主教愛国会」を設立して、バチカンからの「独立自主」を追求してきた。一方、こうした措置に反発してバチカンに忠誠を誓う教徒や聖職者は、地下教会に集まった。

歴史的和解の裏に台湾問題

 中国国内のカトリック教会は、政府公認の愛国会傘下の教会と、バチカンに忠誠を誓う非公認の地下教会に分裂した状態が続き、司教任命を巡っても中国政府とバチカンが対立した。中国国内にはバチカンに任命された地下教会の司教と、政府公認教会の司教、そしてバチカンと中国側の双方に認められた司教が存在してきた。

 対立してきた両者が歴史的な和解に達したのは2018年9月。両者は司教任命問題で暫定合意を結んだ。バチカンには不安定な立場にある地下教会の教徒を正常化させたい狙いがあったとされる。一方、中国側は長年、バチカンとの国交樹立を目指しているとされる。バチカンは欧州で唯一、台湾と国交を維持しており、ほかに台湾と国交を持つ国々もカトリック教徒が多数派の国が多い。仮にバチカンが台湾と断交して中国と国交を樹立すれば、台湾への衝撃はとてつもなく大きい。合意内容は公表されていないが、中国側が司教候補を選び、バチカン側がそれを認めるという枠組みとされる。合意は20年、22年の2回にわたって延長された。

 沈氏は、中国側が暫定合意以降初めて、バチカンの同意を得ずに一方的に任命した司教となった。

「失望しているが、声を上げることはできない」

 沈氏の就任を巡り、バチカンの広報担当者は記者団に対し、バチカンは中国政府が任命を決めたことについて「数日前に通知」され、実際の就任については「メディアを通じて知った」と明らかにした。広報担当者は「現時点では、この件に関するバチカンの評価について言うことはない」とも付け加えた。不満を示したものの、正面からの非難は避けたといえる。中国国内のカトリック教徒からは失望の声が漏れ伝わる。米政府系メディア・ラジオフリーアジアは、北京のカトリック教徒の言葉として「中国の教徒の多くが失望しているが、声を上げることはできない」と伝えた。

 一方、中国外務省の毛寧副報道局長は定例記者会見で、沈氏の司教就任が合意に反するのではと問われ、「暫定合意以来、中国とバチカンは密接にコミュニケーションをとっており、合意は良好に執行されている」と答えた。

 毛氏の主張の真意は明らかではない。ただ沈氏は、これまで江蘇省の海門教区の司教を務めており、上海教区の司教に横滑りで就任した。新たな司教昇任ではないという抗弁が成り立つのかもしれないが、前述のように合意内容は公表されていないので「横滑り就任」が合意に反するかどうかは不明だ。もっともバチカン側は不満を表明しており、双方同意の上で司教を任命するという合意の趣旨から離れているのは間違いない。なお合意違反の司教任命は今回が初めてだが、昨年11月には江西省南昌市で中国側が一方的に「補佐司教」を任命している。

トラブルが続いてきた上海教区

 中国側はこれまでおおむね合意に従って司教を任命してきた。香港の聖神研究センターによれば、18年の合意以降、新たに6人の司教が中国とバチカン双方の同意の下で任命された。このほかバチカンのみに認められていた地下教会の司教7人が中国側にも認定された。

 しかしこの数字は多いとはいえないだろう。米カトリック系メディアの昨年9月の報道によれば、中国の98教区のうち36教区は司教不在となっている(バチカンと中国側では教区の区分や数にも相違がある)。しかも司教任命は21年9月を最後に途絶えていた。個々の司教任命をめぐって中国側とバチカン側の交渉が難航している可能性もある。上海を皮切りに、合意を無視した司教任命が続く恐れもありそうだ。

 ちなみに上海教区では司教任命などを巡ってトラブルが続いてきた。

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カテゴリ: 政治 カルチャー
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執筆者プロフィール
中澤穣(なかざわみのる) 1977年生まれ。東京新聞外報部デスク。早稲田大学政治経済学部卒、一橋大学言語社会研究科修了。東京新聞社会部(司法担当)や中国総局長などを経て現職。
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