ガザで繰り返される悲劇をいかに受け止めるか

司馬遼太郎賞受賞記念対談(後編)

執筆者:岡典子
執筆者:三牧聖子
2024年2月8日
エリア: ヨーロッパ
『沈黙の勇者たち』は現在のイスラエルを考えるうえでも必読の書だ。左から岡典子氏、三牧聖子氏(撮影・菅野健児〔新潮社写真部〕)

 「敵と味方」「加害者と被害者」という立場を超えて、人間同士が助け合う姿を描いた『沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い』(新潮選書)著者の岡典子氏(筑波大学教授)と三牧聖子氏(同志社大学准教授)による対談は、現在のイスラエル・パレスチナ問題に触れ、「他者への想像力や共感力の欠如」といった背景に注目する。

(前編「ナチス政権下で潜伏ユダヤ人とドイツ市民はなぜ助け合えたのか」からつづく)

壁が遮断してきた他者への共感

三牧 ここからは『沈黙の勇者たち』の現代的な意義を掘り下げていきたいと思います。ナチスが権力を掌握する以前は、ユダヤ人は、ドイツ人と平等な立場ではなかったにせよ、ドイツ社会に組み込まれていました。ですから、ナチス政権が国家的にユダヤ人の隔離や差別的な政策を始めても、歴史的に培われてきたさまざまな関係性までもがいきなり断絶してしまうこともなかった。そこに、岡さんが描いたような、ユダヤ人に手を差し伸べるドイツ市民が数多く出てくる素地があったように思います。

 現在のイスラエルとパレスチナの関係においては、イスラエルが違法な入植を進めるヨルダン川西岸の「分離壁」が象徴するように、物理的にイスラエル人とパレスチナ人との交流が遮断されてきました。物理的な「壁」の存在は、次第に心理的な「壁」へとつながっていき、相手がどのような生活をしているか、どんな苦しみを味わっているのかという想像力も失われていく。

 現在のイスラエルでは、生まれたときには既に「分離壁」が存在した若い世代のほうが強硬なパレスチナ政策を掲げるネタニヤフ政権を強く支持しています。ガザ危機において、ガザ市民が2万人超亡くなっても、イスラエル市民の8割がネタニヤフ政権の押し進める軍事侵攻を支持し続けているのも、パレスチナ人という他者への想像力や共感力の欠如が1つの背景になっていると思います。

 そうですね。物理的な分断が心理的な「壁」を生み、次第に相手に対する想像力も共感も失われていく状況は、イスラエルとパレスチナの関係に限らず、人間が歴史のなかで繰り返してきた悲劇のひとつかもしれません。

 たとえば、ドイツを含む20世紀初頭のヨーロッパ各国やアメリカでは、知的障害者の存在を社会の脅威とみなす考え方が社会を席巻しました。この現象は、直接的には当時最先端の学問とみなされていた「優生学」の影響によるものですが、ここで重要なのは、人々がなぜ、知的障害者は怖い存在だという主張をすんなり受け入れていったのかだと思います。

 知的障害のある人は、大昔からごく普通に、どこの村にも暮らしていましたし、かつての時代には、近所の人たちは皆、その人たちのことを、知的障害者としてではなく、「近所の〇〇さん」だとか、「誰々の家の息子」として認識していた。けれども時代の変化に伴い、社会の近代化、都市化、核家族化が進行していくなかで、知的障害のある人はだんだん家族から切り離されて、村や町から遠く離れた施設に収容されるのが通常になっていきました。

 そうした状況が長年続いた結果、人々はいつしか障害のある人の存在を忘れ、知的障害のある人と出会ったことがない、一度も接したことがないという人が増えていったのです。「知的障害者は国家の脅威である」という誤った認識を受け入れる土壌は、こうした状況のなかで形成されていったと考えられています。

 接したことのない相手に対して過度に恐れを抱き、あるいは残酷になれてしまうという点では、先ほどの三牧さんのイスラエルとパレスチナの話にも通ずるような気がします。

三牧 10月7日のハマスによるテロ攻撃以降、アメリカには、いよいよ不寛容な言論空間が生まれています。そのことを象徴するのが、議会唯一のパレスチナ系議員ラシダ・タリーブ議員(民主党・下院)が受けてきた処遇です。

 タリーブはイスラエルの過剰な軍事行動を批判し、即時停戦を掲げてきましたが、これによって「ハマスの共犯者」と批判にさらされ、さらには議会で彼女の問責決議が可決されました。とりわけ問題視されたのが、タリーブが停戦を求めてSNSに投稿した動画に「川から海まで(From the River to the Sea)」と叫ぶ人々が登場していたことです。このスローガンは、ヨルダン川西岸から地中海までのパレスチナ全域でパレスチナの人々が解放され、自由と権利を享受できる世界を求めて広く使われてきたものですが、いまのアメリカでは「イスラエル国家の破壊を意図する危険な言説」とみなされ、批判されてしまう。

 これに続いて議会で、「シオニズム批判は反ユダヤ主義である」という文言を含む決議も可決されました。今のアメリカには、イスラエルを批判する人は、それがいかに正当な批判でも「反ユダヤ主義」として批判され、言論封殺される状況があるのです。

 ジョー・バイデン大統領も、長い議員歴でイスラエル・ロビーから多額の献金を受けとっており、アメリカで最も親イスラエルの政治家とすらいわれています。その一方で、アメリカ市民を見れば、いよいよ停戦を求める世論が多数派になっています。

 ユダヤ人・パレスチナ人を超えて、これほどまでの数の人間が殺されていることへの、素朴で根源的なヒューマニズムのあらわれだといえます。一般市民と政治家との間で、この問題への認識のギャップが浮き彫りになっているのが今のアメリカです。

 三牧さんの著書『Z世代のアメリカ』(NHK出版新書)に取り上げられているような若いジェネレーションの意見はどうなのでしょうか。

三牧 Z世代は、10月7日の時点で、パレスチナ支持とイスラエル支持がほぼ五分五分でした。アメリカは政治的にも宗教的にも人種的にも、本当に多様で複層的な社会なので、なにもかも世代論で決定されるわけではないですが、上の世代と比べて、Z世代にパレスチナ支持の割合が多いのは確かです。

 大学キャンパスでは、パレスチナ連帯を表明する学生デモが次々と展開されてきましたが、大学執行部は、親イスラエルの寄付者の意向を気にして取り締まりを強めてきました。パレスチナ連帯デモに参加したことで、社会的な脅迫に晒されたり、就職を取り消された学生もいます。

 ドイツは、公式にはイスラエル支持の立場をとっています。実際のところ、「ナチスの過去」を抱えるドイツにとっては、他に選択肢はないのでしょう。昨年の秋、5年ぶりにドイツを訪問しましたが、首都ベルリンのあちこちでイスラエルとの連帯を呼びかけるドイツ連邦議会のポスターを見ました。

 ただ、国民ひとりひとりの認識は一様ではないと思います。加えて、近年のドイツでは、「ナチスの過去」に対する捉え方や継承の在り方そのものも、時代の転換点を迎えつつある印象を受けます。たとえば、ドイツの学校教育ではこれまで一貫して、ホロコーストはドイツの罪であり、ユダヤ人はその犠牲者・被害者だと教えてきました。

 けれども、最近では、ユダヤ人を被害者だと教える授業内容に強い不満や不快感を示す生徒が増えているそうです。こうした傾向の背景には、世代による認識の違いだけでなく、ドイツ国外にルーツをもつ移民や難民の子どもの急増も大きく関わっています。

救う/救われるの関係を超えて

三牧 去年のクリスマスに、キリスト生誕の地ベツレヘムのある牧師の説教が話題になりました。「パレスチナの人たちはこれから復興に向け、必ず立ちあがるだろう。しかし、彼らが虐殺されるのを見過ごしてきた人々が立ち上がれるかどうか。私はわかりません」という内容でした。その意味するところは、国際社会に向かってここまで切実に助けを求めているパレスチナ人が目の前にいるのに、それを助けないことは、そうした選択をした人々に回復不能な深い道義的な傷を与えるのではないか、ということです。

 福祉の世界では、ケアする側/ケアされる側の関係は一方向の固定的なものではないと語られているとのことですが、この話は、ケアとは正反対のところにある、非人道的な行いにも通じる話なのではないでしょうか。非人道的な扱いを受けている人を、助けられる立場にあるのに、自分可愛さで助けずに見過ごしてしまえば、その人も人間らしく生きることはできなくなってしまう。そういう関係について考えさせられます。

 ケアする側とケアされる側の関係が一方向的なものでないという認識は、ナチスの時代の潜伏ユダヤ人と救援者たちとの関係性にもあてはまると思います。助けた立派な人と助けられた弱々しい人という構図を超えた人間同士の交流こそ、彼らの関係性の本当の姿だったと私は確信しています。

私たちは本当にマジョリティなのか

 この本を出版した後、色々な方が感想を寄せてくださったのですが、興味深いことに、「もし自分だったら……」と想像する際に、ほとんどの方が自分の身をドイツ人の側に置いて考えてくださっていました。これはもちろん、「沈黙の勇者たち」というタイトルによるところも大きいとは思いますが、それだけではなく、もしかしたら、日本社会の特質と何か関係があるのかもしれないとふと思いました。

三牧 本の終わりのほうで言及されている「多様性(ダイバーシティ)」に関わる論点ですね。もっとも言葉こそ広まりましたが、この言葉が本当に意味するところは何か、一致を見ていないように思います。

 日本で「多様性」が盛んに議論されるようになった背景には欧米、とりわけアメリカの影響がありますが、確かに日本では「多様性」の議論が、あまり噛み合わないことが多い。自分がマジョリティ側であることを当然視し、マイノリティから日本社会を見たらどう見えるか、という視点や問いが欠けている人が多い、ということなのかもしれません。

 そうかもしれません。私たちは日本という社会のなかで、もしかすると無意識のうちに自分を多数者の側において考える習慣が身についているのかもしれません。

 少し話がそれますが、「インクルージョン」ということばの捉え方にも、これと共通するものを感じることがあります。インクルージョンというのは、ソーシャル・マイノリティの立場におかれている人々の不利益を解消しながら、すべての人の平等な社会参加を実現しましょうという考え方です。

 けれども、日本ではごく最近まで、インクルージョンといえば、もっぱら障害のある人の話だと思っている人が多かったと感じます。実際には、日本にもエスニシティや宗教、ジェンダー等、障害のほかにも多様な「マイノリティ」が存在しているにもかかわらず。

三牧 自分がマジョリティ側であることを疑わない人こそ、「本当に私はマジョリティなのか」を問うてみることは大事ですね。岡さんの本には、ナチスドイツで絶対的な迫害にさらされた側が見せた強さやある種のしたたかさが描かれています。

 「弱さ」「強さ」は、文脈次第でいくらでも変わるし、非対称的な関係においても、「助け合い」は成立しうる。日本社会に、助けられる側の人間に自己投影できなくなっている、つまり自分も助けられる弱者側になるかもしれない、という想像力が持てない人が多くなっているとすれば、行き着く先は殺伐とした自己責任社会。発想の大々的な転換が必要ですね。

 なるほど、確かにそうかもしれませんね。

三牧 ナチス政権による迫害の中で、ユダヤ人たちは圧倒的な弱者の立場に置かれながらも、未来への希望を捨てずに赤ちゃんを産み育て、見つかった際に家族がみんな捕まってしまうということにならないように、バラバラに避難した。

 どうにかして、たとえ自分は死んでも、誰かに命や生を託して未来をつなごうとした。医師は自分の生命を危険に晒しながらも、目の前にある死にそうな命を助けるために奮闘しました。岡さんの本は、ユダヤ人たちの生への渇望、生き抜く強さを克明に描いている。

 皮肉なことに、そのようなユダヤ人たちが極限状態で見せた強さは、現在ガザでイスラエルの無差別的な軍事行動にさらされ、それでも生き抜こうとするパレスチナ人の姿と重なるところがあります。

 パレスチナでは、今もお母さんたちは、イスラエルによる物流停止で帝王切開の麻酔もないままに子どもを産み、子どもを別々の部屋に寝かせ、生き延びさせようとしている。イスラエルの攻撃にさらされた病院では、医師たちが、自分の命も犠牲にして死ぬまで患者を助け続ける。その姿に、ユダヤ人は、かつての自分たちを重ねることもできるはずです。

 しかし、イスラエルのユダヤ人、さらにはアメリカに住むユダヤ人の多くも、ガザ攻撃を支持している。まるで、自分たちが弱者であった時に見せた強さを忘れてしまったかのようです。もっとも、アメリカのユダヤ人の中には、数としては少数派ながらも、「ジェノサイドを経験した私たちだからこそ、二度とジェノサイドを許してはならない」とイスラエルの軍事行動を批判する人たちもいる。

 そうしたユダヤ人は「平和のためのユダヤ人の声(Jewish Voice for Peace)」などの団体を組織して、即時停戦を求めてデモを行っています。ユダヤ人たちが、民族が被った悲劇的な経験を、戦争とジェノサイドに抗する「強さ」として昇華していく未来を信じたいです。

 そのような現在の世界情勢を考える上でも、岡さんの『沈黙の勇者たち』は大変重要な示唆を与えてくれると思います。ぜひ一人でも多くの方に読んでいただきたいと思います。

(おわり)

 

※この対談は、岡典子『沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い』(新潮選書)の司馬遼太郎賞受賞を記念して行われたものです。

カテゴリ: 社会
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執筆者プロフィール
岡典子(おかのりこ) 筑波大学人間系教授。1965年生まれ。桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒業。筑波大学大学院一貫制博士課程心身障害学研究科単位修得退学。博士(心身障害学)。福岡教育大学講師、東京学芸大学准教授などを経て、現職。専門は障害者教育史。著書に『視覚障害者の自立と音楽 アメリカ盲学校音楽教育成立史』(風間書房)、『ナチスに抗った障害者 盲人オットー・ヴァイトのユダヤ人救援』(明石書店)。
執筆者プロフィール
三牧聖子(みまきせいこ) 同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科准教授。国際関係論、外交史、平和研究、アメリカ研究。東京大学教養学部卒、同大大学院総合文化研究科で博士号取得(学術)。日本学術振興会特別研究員、早稲田大学助手、米国ハーバード大学、ジョンズホプキンズ大学研究員、高崎経済大学准教授等を経て2022年より現職。2019年より『朝日新聞』論壇委員も務める。著書に『戦争違法化運動の時代-「危機の20年」のアメリカ国際関係思想』(名古屋大学出版会、2014年、アメリカ学会清水博賞)、『私たちが声を上げるとき アメリカを変えた10の問い』(集英社新書)、『日本は本当に戦争に備えるのですか?:虚構の「有事」と真のリスク』(大月書店)、『Z世代のアメリカ』(NHK出版新書) など、共訳・解説に『リベラリズムー失われた歴史と現在』(ヘレナ・ローゼンブラット著、青土社)。
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