「人とのつながり」が必要な現代に読まれるべき「勇気の書」

岡典子『沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い』

執筆者:武井彩佳 2023年6月9日
カテゴリ: カルチャー
エリア: ヨーロッパ
潜伏ユダヤ人とドイツ市民の〈知られざる共闘〉を描く(jacqueline macou / Pixabay)(写真はイメージです)

 私たちの日常は、幸いなことに、極限の体験からは遠いところにある。生死を左右する一瞬の判断を繰り返し迫られるような状況は、めったに発生しない。どちらにせよ、ロシアンルーレットのピストルが耳元でカチッと音を立て続けるような、毎日がそんな生活だったらとても精神がもたない。もしかするとウクライナでは、今もそうした日々を生きている人たちがいるかもしれないが、私たちの想像力はあまりにも乏しく、その恐怖は私たちの恐怖として感じることができないのが現実だ。

 『沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い』(岡典子著)は、まさにこうした極限の日々を生きた人々の物語である。ヒトラーの足元のドイツで何年も潜伏を続けたユダヤ人と、彼らが生き延びられるように助けた多くのドイツ人の闘いの記録だ。

 1941年秋よりドイツ内からユダヤ人の東方移送、つまり死への移送が始まり、1945年5月にドイツが降伏するまで約3年半あった。この間、1943年6月19日にベルリン大管区指導者ゲッベルスは、帝国の首都を「ユダヤ人不在(ユーデンフライ)」と宣言している。つまり国内にいるユダヤ人は存在してはならない人間であり、それが本書の扱う「潜伏ユダヤ人」である。そして彼らの潜伏生活には、無数のドイツ人の「救援者」が関与していた。本書は、両者が出会い、信頼関係を築き、共闘するさまを、いくつかの具体例を並行させながら丹念に描く。ホロコースト関連の本は少なくない日本だが、ドイツ内の潜伏ユダヤ人と、そのドイツ人救援者に焦点を当てるものとしては国内初の本である。

 もちろん、これまでも潜伏して生き延びたユダヤ人についてはある程度知られていた。彼らが少なからず自伝を出版しているために、彼らの背後には援助者の存在があったことも知られていた。しかし、両者の具体的な関係性はなかなか見えてこなかった。なぜなら、こうやって生き延びた者たちはそれほど多くはなかったし、戦後に救援者が自分たちの行いについて語ることはほとんどなかったからである。また600万人のユダヤ人の死というあまりにも重い事実の前では、「善きドイツ人」について語ることさえ躊躇された。このため救援者に関する研究がドイツで本格化するのは1990年代に入ってからである。ただし本書が指摘するように、現在では教育的観点からも、「市民的勇気」の体現者として彼らの認知は広まっている。

ユダヤ人を助けたのは「普通の市民」

 とは言え、秩序だった社会に生きている私たちには、自分の存在自体が違法とされた世界がどのようなものか、想像するのは容易ではない。ここで自分がベルリンで潜伏しているユダヤ人だと仮定してみよう。自分には名前もなく、住所もない、したがって身分証明書もない。身分証明書がなければ、仕事に就けず、食料配給もなく、爆撃があっても防空壕に入れない。隠れ家から隠れ家へと短期間の移動を繰り返す。人が起き出す前に家を出て、昼は散歩を装って街をさまよい続け、皆が寝静まった後に密かに隠れ家に戻る。時には公園のベンチや、映画館が唯一の休息の場所となる。目立たぬよう、怪しまれぬよう、細心の注意を払う。先の見通せない、極限まで張り詰めた生活だ。ちょっとした力が加われば、糸はプツンと切れる。

 当然、これを長期間続けることは不可能だ。だから助けてくれる人間がいることが決定的に重要となる。本書は少なくとも2万人を超えるドイツ人が何らかの形で救済に関わったと指摘する。それは、命のリレーである。救済者が新たな救済者へとつなぐ、そのリレーに参加する人は、どこからリレーが始まっているのか、誰が関わっているのか、必ずしも知らないし、知らないことがリレーが継続する鍵となる。

 では、なぜ彼らは助けたのか。ユダヤ人の迫害を傍観したドイツ人は多かったから、救援の動機解明こそが重要となるが、筆者が繰り返すように救援者はたいてい「普通の人びと」であった。たしかに集団としての救援者はナチズムに反対する者の周辺に位置していることが多く、代表的には自身も迫害の対象とされた共産主義者や社会主義者、告白教会の関係者である。しかし彼らの動機を「政治的な理由」「宗教的な理由」とすると、そこにあった人間関係の深みを表現することはできない。むしろ、単にそうすべきだと思ったからという、人間としての信念が彼らを突き動かしているからである。ではこの「人間としての信念」とは何なのかと問われると、なかなか歴史研究では答えを出せない。

 ただし筆者は、救援者をナチに抵抗した「もう一つのドイツ」の具現として英雄視する風潮にも一定の距離を置く。救援者が自分の命を省みず、無償の隣人愛から行動したといった理解は必ずしも正しくないと指摘する。金のないユダヤ人は、金のあるユダヤ人より生き残ることが困難であったのは事実であり、援助に対して有形・無形の対価が求められることはあった。それはユダヤ人により提供される労働であったり、金品であったり、時には性的なサービスであることさえあり、ギブアンドテイクの実利的な側面が皆無とは言えなかった。とはいえ、「純粋な倫理観だけで他人のために命の危険を冒すなど信じられない」という懐疑から、互酬関係の存在をことさら強調するのもやはり正しくない。なぜならユダヤ人を匿うことは非常に大きな危険を伴い、そのギブアンドテイクは明らかに釣り合いが取れていなかったからだ。筆者は言う。「救援者とは、決してユダヤ人のために命を投げだそうとした人びとではない。むしろ戦火や密告に怯えながら、それでも『自分にできる精一杯の』行動を探ろうとした人びとこそ、ユダヤ人に手を貸した幾多の無名市民たちだったのである。」

「密告」の実態

 ドイツ内(併合地域を含まず)で潜伏した1万人から1万2000人のユダヤ人のうち、生きて解放を迎えたのはその半数に近い5000人であるから、これを確実に2人に1人は死んだと見るのか、2人に1人も生き残ったと見るのかで、かなり印象が違う。いずれにせよ、潜伏生活の継続は極めて難しかったことに変わりはない。なぜなら、ユダヤ人が潜伏していることを知っている場合、これを通報するのは市民の「義務」とされ、密告が横行したからだ。

 しかし密告の動機は、「ナチの不法」に対する倒錯した「遵法意識」であるというよりは、実際には単なる物欲を満たすためであったり、個人的な恨みを晴らすためであったり、いわば下劣な動機であることが少なくなかった。密告の手紙の差出人が隣人であったり、かつての職場の同僚であったりするケースは珍しくなく、筆者が言うように、生き残り語り継ぐことができた者の背後には、無数の「救われなかった幾多のユダヤ人たちと、救援を全うできなかった救援者たち」がおり、そこにはおそらく本書には描かれなかった「壮絶な実態」があるのである。

 ちなみに、密告者は裁きを受けたのだろうか。本書は密告者については扱っていないが、多少言及しておこう。戦争が終わり、ナチ法が無効とされ、ドイツ人がドイツ人による犯罪を裁くことが可能となると、密告者に対する実に多くの訴えがなされた。戦後の最初数年間、ナチ犯罪に関連した告訴の約3分の1は、密告に対する訴えであった。もちろん、密告自体が密告された者を物理的に殺すわけではないため、密告者は殺人罪には問われない。しかしその行為の結果として、密告された者の死につながった場合、人々の処罰感情は強かった。

 今でもドイツの文書館に行って警察やゲシュタポのファイルを探せば、市民からの多くの密告の手紙を見つけることができる。ここには生々しく、かつ不穏な過去の姿がある。ただし、密告のような「軽微」な犯罪は、戦後に西ドイツが連合国から司法権を取り戻してゆく過程で、真っ先に恩赦の対象となったことも指摘しておく。つまり、豊かな戦後の西ドイツは、ユダヤ人を密告した者、助けた者、全く異なる経験を有する人が同居する社会であった。

 本書が最も優れているのは、約80年前に遠い異国で起こったことを、現代の私たちに「自分ごと」として感じさせることに成功している点である。それはストレートな「共感」を私たちに求める。共感すること、さらに言えばエンパシーを持つこと、これを通して人とつながること、ここに筆者の本当に伝えたかったことがあるだろう。

 それは、著者の専門が実は教育学であるということを知って納得する。障害者教育の研究を行う中で、ベルリンでユダヤ人を助けた盲人オットー・ヴァイトに関心を持ち、その必然的な延長線上でユダヤ人を助けたドイツ人へ関心を広げたと思われる。本人も「おわりに」で書いているが、専門と異なる分野で本を書くには大きな勇気がいっただろう。細分化された専門知の世界で、別の場所から、自分が伝えたいことはここにあるのだと声を大きくして言うのは躊躇されただろう。しかし、この本を手にすることができた私たちは幸いである。筆者のメッセージは、次の言葉に集約される。

「人を支えるのは人である。死の淵に追いやられてもなお、人は希望をもつことができる。自分はひとりではないという確信こそ、人を救うたったひとつのものである。
​ だからこそわれわれは、生きようとする者、善くあろうとする者を孤立させてはならない。いつの時代も、未来を変えていく原動力は人間同士の連帯にある」

 人と人がつながらなくなった社会、もしくはつながれなくなった社会では、人の生は貧しい。人が人を救い、救われた人が次の世代を紡いでゆく。今、私たちはこれまでになく、人とつながることが必要な時代を生きている。私は、筆者が勇気を出してこの本を届けてくれたことに、単純に感謝した。

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執筆者プロフィール
武井彩佳(たけいあやか) 1971年(昭和46)年愛知県生まれ。94年早稲田大学第一文学部史学科卒業。2001年早稲田大学文学研究科史学専攻博士課程修了。01~04年日本学術振興会特別研究員、04年博士(文学・早稲田大学)。早稲田大学比較法研究科助手などを経て、学習院女子大学国際文化交流学部教授。専攻・ドイツ現代史、ホロコースト研究。著書に『歴史修正主義 ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』(中央公論新社)など。
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