中尊寺(岩手県西磐井郡平泉町)が、ようやく世界遺産に登録された。中尊寺は法隆寺や東大寺と同レベルの至宝であるにもかかわらず、登録は遅れに遅れた。日本人自身の認識と関心が低かったためではあるまいか。 いまだに、中尊寺を「京の亜流」と考えている人が多い。藤原清衡(きよひら、1056-1128)は都から工人や仏師を呼び寄せ、黄金をふんだんに使い、贅をこらして金色堂を建立しているため、成金趣味のイメージも、どこかにある。 だが、どれもこれも誤解なのだ。中尊寺の美しさは、飛び抜けている。同時代の京の仏教美術を凌駕している。なぜ、「京の真似」であった中尊寺が美しいのかについては、9月に発行される『芸術新潮』で詳述するが、それよりも、今回注目しておきたいのは、中尊寺の戦略上の意味と、奥州藤原氏の夢についてである。
この続きは会員登録をすると読むことができます。
「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。
フォーサイト会員の方はここからログイン