「グラインドボーン」という地名は、英国人にとって特別な響きがあるらしい。
ロンドンの南80キロほどに位置する、緑に囲まれた小高い丘の上で、1934年からほぼ毎夏、オペラの音楽祭が行なわれている。音楽愛好家だった資産家ジョン・クリスティ氏が、チューダー様式の豪奢な大邸宅で音楽会を催し、そこに出演したソプラノ歌手に一目惚れし、結婚後、夫妻で力を合わせて世界一流のオペラハウスを築いたのが音楽祭の始まり。ちょうどナチスの台頭と時期が重なったことで、ドイツを逃れた一流音楽家が集まり、国際的な名声が確立された。
ブラック・タイというドレスコードを約80年間守り抜き、休憩時間には見事に手入れされた庭園の中で、聴衆がそれぞれ持参してきた食べ物を広げ、ピクニックをする風習がある。ロングドレスの女性とタキシード姿の男性が外でシャンパンを抜き、草を食む羊や牛のそばに座って、ロンドンの喧噪を忘れてゆったりと過ごす。「真夏の世の夢」のようなロマンチックな風景の中で、良家の子女が引き合わされることも多いそうで、私の友人は「ここでプロポーズされるのが夢」とよく話している。

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