ブックハンティング・クラシックス (26)

「源氏物語」と私――記念すべき千年紀を前に:ドナルド・キーン

 

 

『源氏物語 新潮日本古典集成(全8巻)』
紫式部著/石田穣二・清水好子校注
新潮社 1976年刊
英語訳にはアーサー・ウェイリーのほかエドワード・サイデンステッカー、ロイヤル・タイラーのものがある。書名はいずれも“The Tale of Genji”。

 初めて「源氏物語」の存在を知ったのは一九四〇年、十八歳の時だった。私は大学の三年生で、特に文学については自分が優れた教育を受けてきたという自信があった。すでに英文学とフランス文学を学び、ギリシャ・ローマの古典にも(少なくとも翻訳で)親しんでいた。同時に、ロシア文学の傑作の翻訳も非常に興味を持って読んでいた。しかし、東アジアの文学について知っていることと言えば、哲学者の孔子の名前と、俳句という非常に短い日本の詩があるということだけだった。孔子の教えの中身が何なのかさっぱりわからなかったが、井戸から水を汲もうとしたら朝顔の蔓が釣瓶に巻きついていて、それをそっとしておいてやりたくて隣家から水を分けてもらったという「朝顔につるべとられてもらひ水」という俳句は覚えていた。中国人や日本人が、果たしてこれまで小説というものを書いたことがあるのかどうか、そんなことは思ってみたこともなかった。
「源氏物語」を見つけたのは、ニューヨークのタイムズ・スクエアにあった一軒の本屋だった。その本屋は売れ残ったゾッキ本の類を安い値段で売っていて、私の懐はいつも寂しかったが特価本を探しによくその本屋に立ち寄ったものだった。ある日、そこでアーサー・ウェイリーが翻訳した「源氏物語」の二巻本を見つけた。そのセットを買ったのは、内容に興味を持ったというよりむしろ、二巻でたったの四十九セントというのが間違いなく買い得だと思ったからだった。
 手に入れた本を読み始めた途端、私はそこに描かれている世界にすっかり心を奪われてしまった。その翻訳に快感を覚えたのは、ウェイリーのやや古風で、なんとも優雅な英語の美しさのせいだった。その英語は、ヨーロッパの文学作品から知った生活様式とはまったく違う世界を描くのに、まさにぴったりのような気がした。
 特に魅せられたのは、登場人物たちが手紙を書いたり送ったりする際の作法だった。勿論、ヨーロッパ文学に出てくる主人公たちも恋の手紙を書く。たとえば思い出すのは、タチアーナがエフゲニー・オネーギンに書く熱烈な恋の手紙である。しかし作者のプーシキンは、タチアーナの筆跡がどんなもので、その字の濃淡がどうだったか、彼女が使った紙がどういう色で、厚みはどのくらいあり、あるいは手紙を書き上げた後にタチアーナがその手紙をどのように折ったかといったようなことについては何も語らなかった。タチアーナは手紙に季節の花の小枝を付けなかったし、その手紙をオネーギンのところへ届けた遣いは、上品な服を身に着けた小姓でもなければ若い貴族でもなく、タチアーナの乳母の孫だった。
 タチアーナの手紙に我々が心を動かされるのは、その表現の美しさのためではなくて、まだ会ったばかりの男に対するタチアーナの愛の告白の激しさのせいである。「源氏物語」の人物たちは、愛を表現するのにそこまで露骨な態度に出ることはなくて、愛を伝えるにあたっては間接的に歌の形をとるのが普通だった。しかし、だからといってそれは何も彼らが真摯でないとか、タチアーナのような愛に欠けていることを意味しているわけではなかった。「源氏」の登場人物たちが生きている社会では美を創造したり美を享受する意識が高く、最も真面目で最も強い感情を伝える時でも剥き出しな表現を使うことなど考えられないのだった。
「源氏物語」のウェイリー訳を最初に読んだ時、私は勿論その筋書きに興味を持った。たとえばそれは源氏の人生に起きる数々の出来事であり、彼を取り巻く様々な女たち――桐壺の更衣、藤壺、夕顔、六条御息所、紫の上、末摘花などの人物描写である。ほかの成功している小説と同じように、「源氏物語」は読者を惹きつけてやまないし次のページを読みたくさせるが、それは筋の巧妙な展開や、登場人物たちの激しい葛藤がそうさせるのではなくて、そこに一つの社会の美的生活、感情的な生活が見事に再現されているからなのだった。
「源氏物語」を読むまで、日本の歴史について私は何も知らないに等しかった。この作品に描かれている平安朝の風習は時々、実に奇妙なものに思えた。特に想像し難かったのは、たとえば相手と恋人になる前に(そして場合によっては恋人になってからも)、男は実際に会ったこともない宮廷の女と恋に落ちることが出来るものなのだろうか。その女が着ている衣裳の袖(几帳のこちらからはそれしか見えない)が美しい色合いだということだけで、男は一人の女に夢中になれるものだろうか。その理由を理解するには少しばかり時間がかかったが、女がどんな色合いの袖を身につけるかということは、ちょうど女が手紙を書く時にどんな紙を選び、どんな筆跡で書くかということと同じく、彼女の趣味を示すだけでなくて彼女の人格そのものがそこに表われているのだった。手紙の文面や織物の生地の模様にわずかでも見苦しいものが感じられたら、それはたちどころに男の情熱を冷ますに足りたのである。
 この作品が外見や表現の美しさというものを強調しているにもかかわらず、読者はこの物語から、がさつな感情とは縁のない人々が十八世紀のフランス絵画に出てくる子供たちのように恋愛ごっこを楽しんでいるような、いわばこの世に実在しない夢の国の出来事であるという印象は受けない。うわべは優雅に見えても、表面下の感情は激しい。同じことは平安朝の多くの歌についても言えて、型どおりに美しいだけではないかと思われるが、敏感な読者ならその下で情熱の炎が燃えているのがわかるはずである。
 ウェイリーの見事な翻訳を読んでいる間にも漠然と感じていたのは、ウェイリーが日本人でない読者にわかりやすいように細部を変えているのではないかということだった。そこで、少しばかり日本語を学んだ後に「源氏物語」の原典を読んでみることにした。千年前の作品を原文で理解するのは極めて難しいことだったし、それは快感とは程遠いものだった。だいぶたって日本の古語の知識がもっと身についてから読んだ時には、さほどの苦労もなく「源氏物語」を読むことが出来た。しかし私は、アーサー・ウェイリーに対する恩義を忘れることはないだろう。彼の翻訳を読んだ一九四〇年は、私の全生涯で恐らく最も暗い年だった。その年、ヒトラーの軍隊がノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギー、そしてフランスの半分以上を侵略したのだった。秋には、英国で夜間の空襲が始まった。平和主義者として私は、何であれ戦争を正当化するものはないと確信していたが、果たして戦闘以外にヒトラーの軍隊を食い止められるものがあるだろうか――この矛盾に悩んで、ヨーロッパを席捲している大量殺戮の新聞記事を見るのが、ますます嫌になっていた。まさにそのような時、「源氏物語」が私の人生に入ってきたのだった。そこには戦争もなく、世界文学の多くの傑作の主人公たちの特徴である荒々しい力が示されることもない一つの社会が、生き生きと描き出されていた。「源氏」の世界にも確かに悲しみはあったが、それは人間が人間である以上避けられない悲しみなのだった。
「源氏物語」は、暗い一九四〇年のさなかにあって私の避難所となった。言うまでもなくウェイリーがいなければ、私はそれを読むことが出来なかった。その後、二つの全訳が刊行されて、どちらもウェイリー訳より正確である。これらの訳を高く評価するが、それはウェイリーに対する私の愛着を変えるものではない。ウェイリーの翻訳のお蔭で、私は自分とは無縁だと思っていた世界で、すでに紫式部が普遍的な感情を共有できる人物を創造していたことを知ったのだった。その人物たちを通して物語が完全に理解できたばかりでなく、それが極めて感動的かつ魅力あるものであることがわかった。結局、これを読んだことが原因で、日本文学に生涯を捧げる決心をしたのだった。そのことでも、ウェイリーに感謝している。

(訳=角地幸男)

Donald Keene●1922年ニューヨーク生れ。米コロンビア大学、同大学院、英ケンブリッジ大学を経て、53年に京都大学大学院に留学。現在コロンビア大学名誉教授、アメリカ・アカデミー会員、日本学士院客員。日本文学、日本文化の研究の海外への紹介に対し、勲二等旭日重光章、菊池寛賞、読売文学賞、日本文学大賞、全米文芸評論家賞などを受賞。『日本人の美意識』『日本文学の歴史』『明治天皇』『明治天皇を語る』、近刊の『渡辺崋山』など著書多数。「源氏物語」が記録の上で確認されてから2008年でちょうど1000年になるため、瀬戸内寂聴氏らとともに「源氏物語千年紀」のよびかけを行なっている。

カテゴリ: カルチャー
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