【異能異才列伝】(2)
「理研」「ヤフー」の先を行く!:「パーマ屋のおっちゃん」が挑む「毛髪健康診断」

執筆者:フォーサイト編集部 2018年5月13日
エリア: 北米 アジア
美容院「テルミー」のHPより。右上のモノクロ写真が山本さんの「おばあちゃん」

 

 さまざまなジャンルで活躍する「異能異才」に肉迫するインタビュー・シリーズ、第2回目に登場するのは、大阪府吹田市で美容院グループを経営する(株)テルミーソリューションズ社長、ご本人いわく「パーマ屋のおっちゃん」こと山本光平さんです。

 

 理化学研究所やヤフー、アデランスなど18の企業・団体が、髪の毛から健康状態を診断する方法の開発を目指す――そんなニュースが、昨年(2017年)末に一斉に報じられました。

 報道によると、2年かけて約1万人分の毛髪を集めるとともにアンケートを実施してデータベースを作り、それをもとに解析技術を開発する、ということだそうです。

 この報道を見て、僕は思いました。「これから開発かいな?」と。なぜなら僕は10年以上前から「毛髪による健康診断」の開発に邁進し、すでに実用化・事業化目前まで到達しているからです。

 ただし、僕は医学関係の研究者でも業者でも専門家でもありません。大阪で「テルミー」という創業88年を迎える美容院グループの、しかも僕自身は美容師免許も持っていない、ただの3代目社長です。

 どうしてそんな僕が、「毛髪による健康診断」を一所懸命進めているのか。その中身はどんなものなのか。それには、「テルミー」を創業した僕の祖母、山本鈴子のことからお話しなくてはなりません。

「髪結いさん」から「美容師」へ

 おばあちゃんは明治40(1907)年に、佐賀県で生まれました。佐賀鍋島藩の家老の家系(神代鍋島家)で、今でも吉野ケ里遺跡の近くに、わが先祖だけを祀るお寺があります。

40歳の頃の祖母(山本さん提供、以下同)

 ここから先は、おばあちゃんの一代記である著書(山本鈴子『語り継ぐ美容史』なにわ塾叢書、1994年)を元にお話しします。

 一家で東京に出てきて、日本女子商業学校(現・嘉悦学園)を卒業しますが、大正12(1923)年の関東大震災をきっかけに一家は大阪に移住。おばあちゃんの父、つまり僕の曽祖父は高等女学校で化学教師となり、おばあちゃんも大阪の会社に就職したそうです。

 曽祖父は女学校の教師をしている時、にきびや吹き出物のいっぱいできた生徒がいることに心を痛め、化粧品の研究と開発をしていました。

 そんなある日、曽祖父は、顔ににきびがいっぱいできている人を何人か家に連れてきて、「お前に教えるから、この人たちにつけ方を教えなさい」と言い、おばあちゃんに見たこともない化粧品を渡しました。さらに曽祖父は、こうも言ったそうです。

「この化粧品を使って吹き出物が3週間で治ったら、会社を辞めてこの仕事を始めるか?」

昭和63年、労働大臣卓越技能章受章パーティで。 右が祖母、真ん中は当時の中山正暉大臣、左は 2代目社長で母の晴子。

 それまで化粧品にも美容にもまったく関心のなかったおばあちゃんでしたが、この時「はい」と返事をしたことから人生が一変、本格的に美容師の道に進むことになります。

 そして昭和5(1930)年、「テルミー化粧品美容部」と「テルミー美容科学研究所」を設立します。その前に結婚していますが、その相手(つまり私の祖父)は新聞記者を辞めて化粧品販売を手伝うことになり、おばあちゃんは美容院を経営することになったんです。これが今に続く「テルミー」の始まりでした。

 昭和7(1932)年には銀座に「テルミーハウス銀座」を開設。以後、終戦までの間に名古屋、大阪・心斎橋、そして中国の北京と上海にも美容院を開設しました。また昭和9(1934)年にはアメリカにも渡り、当時の名門「ウィルフレッド・ビューティ・アカデミー」で美容を本格的に勉強して、2年後に帰国しました。自分のおばあちゃんながら、あの時代の女性としてはむちゃくちゃ先進的と言うか行動的と言うか、ようそこまでやったなあと感心します。

83歳で勲六等瑞宝章を受章、胸に勲章が。

 戦争中はもちろん大変だったようです。何と言っても敵国アメリカさんの美容技術で商売してたわけですからね。でも、戦後すぐの昭和21(1946)年には再び渡米して「2液性パーマ」の技術を習得し、これを全国に広めます。また昭和26(1951)年には、ニューヨークで開かれたインターナショナル・ビューティーショーで日本人初の優勝もしてます(その後、この大会の審査員も13年務めました)。これ、さらっとお話してますけど、ほんまにすごいことやと思います。戦後まだ6年しか経ってない時代ですよ。日本国内はまだ連合国軍の占領下にあったわけですからね。

 さらに米「クレイロール」社の新しい毛染め剤を導入したり、東京・代官山にテルミー美容高等学院を開設したり、美容環境衛生同業組合という団体の設立に携わり、自ら初代理事長になったりと、おばあちゃんは美容技術の普及だけでなく、美容業界全体の向上に尽力した人でした。厚生労働大臣から卓越技能賞をいただいたり、勲6等の勲章をいただいたりもしています。「髪結いさん」から「美容師」への道を開いていった人なんですよ。

お客さんの「夢をかなえるお手伝い」

 僕は、そんなおばあちゃんの孫として、昭和30(1955)年に生まれました。生家はおばあちゃんのおかげで大豪邸でして、幼稚園に通うのも運転手付きの外車。今思えば、ほんとに嫌な子供だったと思います。商売柄外国人の方も多く出入りしていましたから、「日本初」とか「グローバル」、「女性をきれいにする」ということにめっぽう敏感な少年時代を送りました。

「孫が言うのもなんですが、すごいおばあちゃんやったんです」

 おばあちゃんからは、アメリカ時代のことや戦中の苦労などいろんな話を聞かせてもらいましたが、特に強く印象に残っているのは、「お金儲けより徳を積め」という言葉でした。人に迷惑かけたり泣かせたりして貯めたお金なんかしょせん数代限りで、あの世には持って行かれない。それよりも、人が喜ぶことが仕事になるのが幸せなことなんだと。そして美容というものを考えた時、より美しく生きようとするためには何よりも健康が重要なんだ――こんな言葉の数々が、僕の中に深く刻み込まれていきました。

 そんな僕ですが、高校時代は父に命じられて単身アメリカに渡り、大学では海の保険を扱う「海商法」を専攻したりしました。当時は輸出産業が最盛期でしたから、「メイド・イン・ジャパンを輸出するんだ!」と意気込んでヤマハを受け、入社しました。

 もちろん海外事業をやりたくて入社したのですが、最初に配属されたのは舟艇事業。数千万円もするヨットやボート販売の営業職です。ところが、いったい誰に売っていいのかわかりません。半年経っても売り上げゼロという状態でした。

 そんなある日、見かねた先輩が僕を釣りに誘ってくれました。それまでほとんど興味がなかったのですが、実際にやってみると、これがまたいろんな魚が釣れるんです。あっという間に釣りの虜になってしまいました。

 そういう経験で気づいたのが、ボート販売はボートそのものを売るんじゃなくて、これは「一番大きな釣り道具」なんや、ということでした。そのボートで何をするのか。その夢をかなえるお手伝いをするのが仕事なんだ。「この船を買うと夢がかないます」と、お客さんに信用してもらうことが一番重要だと分かった。このことを念頭に置いて仕事を続けているうち、いつの間にか社内で最優秀の売り上げを記録するほどになりました。

トローリングで世界ランク2位

 ところが昭和59(1984)年、テルミーの2代目だった父が、ガンで急死します。創業50年を超えた美容院を絶やすわけにもいかず、僕はヤマハを退職してテルミーに取締役として入社しました。29歳のときです。

 僕はそれまで、美容院とはまったく縁なく過ごしてきましたから、もちろん美容師の国家資格も持っていません。けど、この歳で今から資格を取るというわけにもなかなかいかない。弟がすでに美容師として働いていましたしね。

 結局僕は、自分の手では一切稼がない経営者になってしまった。美容院の受付でぶらぶらと時間を潰す毎日ですわ。

 そんなある時、「明日はどのお客さんが来るの?」と聞いてみたら、予約以外はまったく分からない、言うんです。でもひょっとしたら、釣りで言う「潮時」というものがお客さんの流れにもあるんじゃないか。そう思って、自社の顧客リストをせっせと自分でデータ化してみると、お客さん1人1人に来店するパターンがあることに気がついたんです。そこで次に来店する時期の仮説を立てて、それをチームでフィードバックするソフトを製作会社と協力して開発し、実際に運用してみたところ、これがまあバカ当たりしましてね。自社の売り上げが198%を記録するまでになりました。

これが世界2位、406キロのカジキ。(動画)

 余談ですがね、ヤマハ時代に面白さを知った釣りに本格的に取り組み始めたのも、この頃からでした。世界最大の魚を釣りたい、という思いが募り、国際的な釣りの団体である「IGFA(international Game Fishing Association)」に入会してチャレンジを始めました。トローリングですわ。そしたら1年目にいきなり日本記録、2年目には日本最大のカジキ釣り大会で総合優勝と、トントン拍子にタイトルを獲得しちゃったんです。1991年には、オーストラリア・ケアンズ沖で行われたワールドカップで、406キロのカジキを6分40秒で釣り上げ、世界ランキング2位になりました。

IGFAでも授業を。

 これがご縁で、雑誌に寄稿したりテレビ番組に協力したりと、さまざまな活動もさせていただきました。今では教育の現場にも呼ばれています

 単に趣味というだけやなくて、この釣りで得たものが、経営にも僕自身の考え方にも大きく影響していると思います。

「和歌山カレー事件」がきっかけ

 経営にある程度の余裕ができると、やはり思い出すのはおばあちゃんの言葉です。人の喜ぶことを仕事にする、美のためにはまず健康が重要――美容師ではない僕がこの美容業界の中で何ができるのか、いろいろと考えていました。パーマ屋のおっちゃんに何ができるんやろか、と。

 そんな中、大きなきっかけとなったのが、1998年に起きた、あの和歌山毒物カレー事件でした(編集部注:夏祭りで供されたカレーを食べた住人らのうち4名が死亡)。

 この裁判は1審判決が2002年12月、控訴審判決が2005年6月に出たのですが(いずれも林真須美被告は死刑判決)、この裁判で検察が証拠として出していたのが、被害に遭われた方の毛髪を、兵庫県佐用町にある「SPring-8」で分析したデータでした。「SPring-8」とは、太陽の100億倍もの明るさに達する「放射光」という光を使って、物質の原子・分子レベルでの形や機能を調べる事ができる「高輝度光科学研究センター」の研究施設で、ここでは非破壊でいろんな検査ができる。被害者の髪の毛をここで調べたんだそうです。そうしたら、だいたい3カ月前からヒ素を盛られていたということがわかった、と報じられていました。

 私はこれを知って、「えっ、毛髪でそんなことがわかるんや」とびっくりしました。そして、髪の毛にその人の健康情報が詰まってるんやとしたら面白い、と思って、そこからいろいろと調べ始めたんです。何しろ、髪の毛言うたら僕の商売にストレートにかかわることじゃないですか。

 すると、「SPring-8」の開発者の1人でもある千川純一先生(兵庫県立先端科学技術支援センター所長、総合研究大学院大学名誉教授)が、毛髪と乳ガンの関係についての論文を書いておられることを知ったんですね。

 それですぐ、千川先生に電話しました。「毛髪で健康のことがわかるんですか?」と聞くと、先生は「お前誰や?」と。「実は美容院を経営してるものでして、毛髪に興味があるんです」と言ったら、「お前、おもろいから来い」と。さっそく「SPring-8」にうかがって先生とお話しして、一緒に研究を始めさしてもらうことになりましてね。2008年には、経済産業省の新連携構築支援事業(補助金や低利融資、信用保証などの対象に繋がる事業)」に認定されました。

「ポリアミン」が疾患の大きな指標に

 僕たちが研究を進める中で注目したのは、ポリアミンという物質でした。これは細胞分裂やたんぱく合成などの活動に関与している成長因子で、つまりはこれがないと細胞分裂や増殖は行えないというものです。

 1970年代ですが、ガン患者の尿中にポリアミンが増加する、ということが医学界で報告されたんです。そこで尿検査でポリアミンの量を計ってガンかどうかを判断するという検査方法が生まれたのですが、当時は分析技術が今ほど高くなく、最先端の分析とはならなかった。

 そこで僕たちは、ポリアミンの高度分析を尿ではなく毛髪でやることを考え、この10年、その技術を高めてきたのです。

 またポリアミンは、アルツハイマー病や糖尿病を発症するとその量が増えるということが、理研などの研究でわかってきました。つまりポリアミンはガンだけでなく、アルツハイマーや糖尿病といった疾患を知る1つの大きな指標となることがはっきりしたのです。

経産省の認定を

 美容と健康がつながること――これは、おばあちゃんが常々言っていたことでした。ただその間には、大きな壁があります。「医療」という壁です。

 おばあちゃんは戦前のアメリカ留学で、最新の脱毛法とそのための機械を日本に持ち込みました。ところが、日本で美容師が脱毛を施すと、それは医療行為やということで医師法違反になるのです。これは現在でもそう。だからおばあちゃんは、おおっぴらに施術することができませんでした。幸いなことに、戦前首相を務められた近衛文麿さんの知遇を得ており、近衛さんのお宅でひコツコツと研究をしていたそうです。そのくらい、美容と健康の間には、昔から大きな壁があるんです。医療界と喧嘩したら、僕らのこういう技術なんかすぐに闇に葬られる。

 僕が進めている毛髪分析も同じことが言えます。血液検査のように、生体を検査するのは医師や医療機関でしかできません。美容師がそれをやると医師法違反になります。その意味では、僕もおばあちゃんとおなじことをしてたんですね。

 ところが、美容院でカットされた後の髪の毛は、いったい何でしょうか。みなさんもだいたいの人は、定期的に美容院か床屋さんで髪をカットされるでしょう。その髪の毛を持ち帰られる人はいないでしょう。つまり、それは廃棄物、ゴミなんですね。実際、どこの美容院でもゴミとして処分してます。この「ゴミ」を分析するなら問題はないんじゃないか。美容院では医療行為として髪を切っているわけではないし、切った後の髪はゴミとして捨てるだけのもので、どこをどうとっても「生体」を扱う「医療行為」ではない。この理屈で、経済産業省の「グレーゾーン解消制度」の認定を受けました。医師法に抵触することなく、毛髪分析を事業として行うことが可能になったのです。

「気づきと継続」

 では具体的な手順として、毛髪分析サービスはどんな流れで行われるか。

 たとえば、美容院で髪を切りますね。ほとんどの人で、髪は1カ月で1センチ伸びますから、仮に根元から4センチの髪があれば、過去4カ月分の健康情報がわかることになります。そんな髪の毛を4~5本、封筒に入れて分析機関に送ればいいんです。僕の発想のきっかけとなった「SPring-8」みたいな施設を使わなくても、今ではもっと手軽に検査できる技術ができているんです。

 結果は、データなり紙で返送する。この時、毛髪中のポリアミンの値に異常があれば、ガン、アルツハイマー、糖尿病のいずれかの予兆があるということに気づきますから、医療機関でさらに検査をして、発症を未然に防ぐようにすればいいのです。

 僕はだから、この髪の毛の検査は、最終的には「気づきと継続」だ、と言っています。つまり、髪の毛を分析すると「こうなんです」という気づきをする。これはえらいことだ、と。でも年に1回の健康診断だったら、改善しなければならないと最初は思っても、そのうち忘れたり面倒くさくなったりして何もやらなくなってしまうじゃないですか。

 ところが美容院に来たら、定期的に髪を切って、その髪を分析することで、少なくとも経時変化を確認することができる。その中で、急にポリアミンの量が上がってくるというのは、何かがあるんじゃないか。細胞分裂が激しくなっているわけですから、何らかの炎症を起こしている可能性が高い。そういう変化に「気づく」。

 まず疑うのは、膠原病であるとかリウマチであるとかの、非腫瘍性のもの。また腫瘍性でも良性であれば、これはその後生活習慣を見直すことで改善することも出来るだろう。それでもまだおかしいということになると、悪性でガンの可能性が出てくる。そうしたらそれ用に精密検査を受けて治療すればいいわけです。

 でもこうしたことは、まず「気づく」こと、そしてそれを「継続」することでわかる。僕は、その部分を提供したいんです。

 そもそも医療とは、すでに病気として発症しているものを完治させることがその目的ですよね。けど僕はそこに踏み込むつもりはありませんし、踏み込むこともできません。でも「未病」の段階での早期発見という「気づき」は、僕たち美容業界でもできるんです。だからそれを業界全体で磨きに磨いてやってみたい。早期発見による生活習慣病の改善に持って行きたい。悪性腫瘍や認知症、糖尿病は社会保障費の増大になるわけですから、医療費の削減の前にこっちを先にやることが重要なはずです。そしてもし発症したら、医療費は医療費できっちりかけて、きっちり助けてもらうために使うべきです。これから必要なのは、そういうメリハリの話やと思うんです。

美容院に通うだけで健康チェック

 この、分析するための毛髪をどう取るかについて、実は美容院が大きな役割を果たすことができるんです。

「テルミー美容院」の入社条件は、何とパラグライダー! で、社長もチャレンジ! しかも、とうとう「のじぎく国体」にも出場した

 今、美容院は全国に約24万軒あります。これは実は、郵便局よりもコンビニよりも多いんです。その美容院では、美容師という国家資格を持った人が髪を切っている。髪の毛に関してはプロですから、分析用の髪を得るのは簡単です。しかも、お客様は定期的に美容院に通うわけですから、美容院が窓口になれば、継続して分析サービスを受けることができる。

 つまり、全国の美容院は、毛髪分析サービスを進めるうえでの巨大なインフラなんですよ。これを生かさないという手はないんじゃないでしょうか。

 10年前に毛髪分析の開発に着手したとき、マーケティング会社にも参加してもらって、アンケートを取ったことがあります。東京・大阪・名古屋・那覇で約2000人の女性に、こうした分析サービスはいくらぐらいの値段なら出せるか、何日くらいで結果がわかるといいか、結果は郵送がいいのかメールがいいのか、といったことが質問の内容でした。

 その結果を見ると、6000円から8000円くらいの価格帯ならいい、という回答が一番多かった。

 考えてみたら、ガン検診は1つ1つが数千円から数万円かかるわけで、それと比べるとより早く、しかもいろんな種類の病気について兆しがわかる。しかも健康診断みたいに1年1回わざわざ受けるのではなく、美容院に通うペースでチェックができる。とりわけ女性にとっては、これはいいことだと思うんですよね。

「日本発」の技術

 今、「健康寿命」というのがすごく重要視されていますね。「健康寿命」とは、自分でちゃんと生きていける、立っていける、食える寿命というものです。

日本舟艇工業会の講演でゲストスピーカー として「さかなくん」と一緒に。

 これを2001年から2013年まで見てみると、男性の場合、平均寿命と健康寿命との差が約9年ある。要するに、寝たきりか認知症で介護を受ける期間が9年、ということです。女性の場合、その差は12年。この部分にかかるお金が、全部社会保障費になるわけで、それが膨らむ一方の国としてはこの費用をなんとか下げたい。

 そこで、健康寿命の延伸ということを、国は大きく打ち出しました。経済産業省も具体的な金額ではなく姿勢として変更、神奈川県も「mibyou」を平成26年に商標登録して、従来の予防・診断に加え、心身全体の状態を最適化する「未病の改善」に繋がる商品やサービスなど、健やかに生きる「価値」を創造する産業を県の産業に指定するとか、検診需要を高め、かつ健康寿命延伸産業の創出を図ろうとしています。

 その意味では、僕らの「毛髪分析サービス」は、そうした国の方針にまさにぴったりのものだと言えると思うんです。しかもその先を見据えると、この新産業を「ものづくり」に代わる新たな輸出産業にすることでもできる。

 例えば、タイやシンガポール、マレーシアでも「毛髪分析サービス」事業をしたとしましょう。分析は日本でやります。現地からは毛髪を送ってくれるだけでいい。そして結果を返送しますね。それで健康だったらそれでいいんですが、もし何らかの異常の兆候があった場合、再検査なり治療は、日本でやってもらっていいわけです。つまり医療のインバウンド需要が発生することになる。「毛髪分析」はそもそもがとても簡単なだけに、そういう展開だってできるんです。しかもこの分析技術、欧米では開発されていなかった。金髪や白髪だと、ポリアミンの解析が黒髪に比べると非常に難しいからなんです。だからこの技術は、まさに日本発のものなんです。

和尚に迫られた「今日決心せえ!」

 日本発の技術を世界へ――夢は広がるばかりです。でも正直、不安もありました。

 一昨年の秋でしたか、亡くなった父の供養で、菩提寺に行ったんです。ちょうど様々な認定申請を出しながらもそれがすぐに認められず、苦しい時期でした。この時、そこの和尚が私を見て、「山本さん、あんた、なんやえらい顔してるな、どないしたんや。彼女にでも振られたんか」と言うんです。

 僕は「いえちゃいまんねん。人にええことや思ってやってるのが認められないんです」と答えました。すると和尚はこう言うんです。

「ええことやと思ってるんはお前だけちゃうんか? あのな、ただ、わしは今日一言だけ言うとく。そのことはな、山本さんが、最初に井戸を掘った人になるかなれへんかだけの話や」

 そして、こんな話をしてくださいました。ある村には昔井戸がなく、村人は遠くまで水を汲みにいかなければならなかった。そこに通りかかった修行中のあるお坊さんが、霊感を受けて村で井戸掘りを始めた。

 でも掘っても掘っても水は出ない。そのうち村人は「アホかこのくそ坊主」とののしるようになった。そのうち、掘ったところが湿ってくるようになった。湿ってきたと期待する村人もいれば、そんだけかという村人もいた。

 それでも掘っていくと、とうとう泥水が出てくるようになった。「もうちょっとですね」と声を掛ける人もいれば、「泥水なんか飲めるか」と毒づく人もいる。

「『NEXT美容師』を育てたいんです」

 そしてとうとう、井戸を掘り当てた。すると、それまでお坊さんを罵ったりあざけったりしていた村人たちも、そんなことはすっかり忘れて、井戸の恩恵にあずかるようになった――。

 菩提寺の和尚はこう話したあとで、改めて「最初に井戸を掘る人に、お前なるのかなれへんのか、今日決心せえ」と言ってきました。

 それはどうなんやろ、と思っていると、和尚はこう続けます。

「ここまでやってきたということは、井戸掘ってて『湿ってきた』と、自分で思ってるんやろ」

 ああそうなんだ、深い話だ、と私は感激しました。そしてこれが、おばあちゃんがいつも話していた「徳を積め」ということなんだ、とも思いました。さらにおばあちゃんは、そのためには「怒るな、愚痴るな、ケチるな」と。

 そのことを和尚に言うと、「それは仏教の教えどおりや。その3つを『三毒』と言うんや」と教えてくれました。でも生身の人間、全部無理ですよできませんわと言うと、そうじゃない、と和尚は言います。

「人は、こうなってほしいと思うのにそうならないから怒り、愚痴り、ケチるんや。そこにはなってほしいこととならないことに差がある。わしは坊主やからようわからんけど、差があればあるほど、商売は儲かるものと違うんか。でもな、その差を『だましてやろ』『出し抜いてやろ』と考えて儲けるのか、『人が喜ぶかもしれん』と考えて働くのかは人それぞれの考え方やけど、それが徳いうもんとちゃうか」

85周年記念に発行。表紙は祖父母

 この和尚の話を聞いて、僕はおばあちゃんの言葉の意味がようやくわかりましたし、自分が進めていることに自信を持つこともできました。

 日本の美容のために苦労を重ね、壁にぶつかり、時に批判も浴びながらも、自分のするべきことをし続けたおばあちゃん。そのDNAを、僕もしっかりと受け継いでいるんやと思います。

 おばあちゃんは「髪結いさん」を、切る当てる染めるの技術で「美容師」に格上げしました。

 僕はそのDNAを継いで、「美容師」を「NEXT美容師」にしたいと思います。

 それは「ヘアケアとヘルスケア」が出来る次世代の美容師です。

 そして「いつまでも健やかにご来店頂ける」を実現したいと思います。

 

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