イスラエルとの会談でスイカを出されたらどうする?

執筆者:徳永勇樹 2024年3月20日
エリア: 中東 その他
辻清人外務副大臣とカッツ外務大臣の会談の席に置かれたスイカが論争を呼んだ(外務省公式Xより)
一枚の写真が論争を呼んだ。ハマス-イスラエル戦争の当事者、イスラエルを訪ねた日本の外務副大臣一行の前に並ぶのはスライスされたスイカだ。スイカはパレスチナのシンボルであり、それを「スライスして喰う」という暗黙のメッセージではないかと言うのだ。実際、外交では食事や会談場所にメッセージが込められることは珍しくない。そしてビジネスや日常生活の場面でも、同様の難題は意外に頻繁に起きている。

 2024年2月28日、外務省は、イスラエルを訪問中の辻清人外務副大臣が、同国のイスラエル・カッツ外務大臣を表敬したと報道発表した。辻副大臣は、イスラエル側に対して、ガザ地区の人道支援活動が可能な環境の確保や、人質解放につながる人道的で持続可能な停戦の実現を求め、日本政府の従来の立場であるイスラエル・パレスチナ問題の二国家解決の必要性を強調した、という。

 本会談の意義としては、まず日本政府の立場を明確に伝えたこと、そして、両国が引き続き緊密に意思疎通することに合意をした点にあるだろう。日本政府として、足元のガザ地区の危機的な状況を鑑み、イスラエル側に自制を求めた形だ。ただ、筆者はこの報道発表を読んだ時に会談の内容よりも、資料に挿入された写真に目が行った。そこには、机の上に並ぶスイカがあった。

パレスチナのシンボル「スイカ」をスライス

 中東においても、スイカは夏の果物だ。中東を訪れたことがない人は、どの国にも砂漠が広がり、そして一年中暑いという印象があるかもしれない。実際に、国によっては冬でも気温が高い国もある。ただ、筆者がエルサレムに留学している間、冬にスイカがデザートに出るという経験はあまりなかった。イスラエルの2月はかなり寒く、東京の真冬なみに気温が下がることは珍しくない。大雪が降って大学の校舎が雪で覆われてしまい、授業終了後に同級生たちと雪合戦をしたこともあった。

 真冬の2月にスイカが卓上に並ぶ。これには隠されたメッセージがあったと考えた方が自然だろう。すでにSNS上でも散々指摘されていることだが、実は、スイカはパレスチナの抵抗運動を示すシンボルになっている。その由来を辿れば、1967年の第三次中東戦争にまで遡る。この戦争に大勝したイスラエルは、ヨルダン川西岸とガザ地区を掌握し、東エルサレムを手中に収めた。

 その際に、イスラエル政府は、パレスチナ国旗を公の場で掲示することを禁じた。国旗を使うことができなくなったパレスチナ人は、考えた結果、国旗の色である赤、黒、白、緑を含むスイカに目をつけ、これを彼らの非公式の国旗代わりにしたのであった。1993年に結ばれたオスロ合意によって、パレスチナ国旗の使用禁止は解除されたが、それ以降もスイカはイスラエルに対する抵抗を意味し続け、現在も西岸地区などでは切ったスイカをモチーフとしたTシャツが売られている。

 そんなスイカの裏の意味を当然熟知しているイスラエルが、他国との会談の場でスイカをスライスし、外交当事者の口に運ばせようとした。そしてダメ押しは、背景スクリーンに映る「We Won’t Stop」(私たちはやめない)の文字である。実際に日本の代表団がスイカを食べたかどうかは知る由もないが、報道発表で書かれている文章以上に、たった一枚の写真がイスラエルの立場を強烈に表していた。

エカチェリーナ2世像の前でエルドアンを迎えたプーチン

 外交現場でのハイコンテクストな駆け引きは他にも例がある。筆者がすぐに思い出すのが、2020年3月に行われたロシアのウラジーミル・プーチン大統領とトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領の会談である。その前週、シリアのトルコ軍部隊が空爆を受け、40人近くのトルコ兵が亡くなった。トルコはシリア軍と後ろ盾のロシア軍を非難するなど、両国間に緊張が走ったこともあり、急遽、状況の鎮静化を図るために両国首脳会談がモスクワで行われることとなった。

 会談自体は、両国大統領が状況の更なる悪化を防ぐことを確認するなど意義のあるものだったが、その際にロシア政府が発表した報道写真もまた、非常に強烈なものだった。オンラインメディアによれば、ロシアはトルコに対して2つのメッセージをちりばめた。1つ目は、トルコの外交団を見下ろすように立つエカチェリーナ2世の銅像だ。エカチェリーナ2世といえば、当時ロシア帝国のライバルであったオスマン帝国と1877年~78年の露土戦争を戦い、戦利品としてクリミア半島を獲得したことで知られる。

 もう1つは、両大統領が座る位置の後ろに置かれた大きな時計である。これは、ロシアの彫刻家エフゲニー・ランセレ氏作の「バルカン半島横断」と題した置物で、上述の露土戦争でオスマン・トルコ兵を撃破したロシア兵をモチーフにしているという。こうした歴史的な背景を知っていれば、ロシアのトルコに対する隠れたメッセージを読み取ることができる。

エルドアン大統領(左)とプーチン大統領の背後にある置き時計は、露土戦争でトルコ兵を撃破したロシア兵がモチーフとされている(ロシア大統領府HPより)

 こうした「当て擦り」について当時、ドミトリー・ペスコフ大統領報道官は、時計は少なくとも20年はそこにあり、偶然の産物だと語ったようだが、何十室もあるだろうクレムリン宮殿の部屋の中で、トルコの大統領との面談会場に、よりにもよってこの部屋を指定する辺り、何か裏があるのではないかと勘繰らざるを得ないだろう。この件についてトルコ政府は声明を出してはいないが、たとえ「偶然」であったとしても、世界の目前で恥をかかされたと感じてもおかしくない。

相手の文化を学ぶ重要性

 以上2つの例を紹介したが、何が言いたいかといえば、やはり地域の文化や歴史を学ぶことの重要さだ。スイカ然り、銅像や置物然り、事前に相手国が込めたメッセージを読み取ることができていれば、何かしら対処ができていたかもしれない。スイカの件であれば、出されたものを食べないというのは簡単ではないと思うが、例えば日本の外務省としては、会談開始時もしくは終了時の写真を掲載する、もしくは、そもそも写真を掲載しないという対応もできたはずだ(その点、銅像には容易に対処できないが)。

 強調しておきたいのは、こうした文化的な背景を学ぶ必要性は、外交の場だけでなく、ビジネスや日常会話の場にもある。筆者も恥ずかしながら、文化的な違いを疎かにしてしまったがゆえに恥をかいたことが何度もある。例えば、以前イスラム教の国に出張に行った際に、面談相手の女性社員に握手を求めてしまい、「男性と握手をするのはちょっと……」と申し訳なさそうに言わせてしまったこともあった。

 ベトナムから日本を訪れた友人に何か贈ろうと考えていた時に、その友人の趣味が料理と聞いて、日本の包丁をお土産に渡そうとしたところ、本人から「ベトナムでは刃物を相手に贈るのは、縁を切るとかそういう悪い意味があるから、自分と友達でい続けたいのならやめてほしい」と冗談めかして言われたこともあった。他にも、ロシアでは偶数の花束や赤いカーネーションを持って行ってはいけないという風習もある(日本の白菊のように、お葬式や死を連想してしまう)。

 他にも数多くの「地雷」を踏みまくって、ようやく、他国の人とコミュニケーションを取る際に「もしかしたら、自分が見落としていることがあるかもしれない。一応事前に調べておこう」という心持ちが生まれたのだから、筆者も決して偉そうに他人のミスをあげつらえる立場ではないのだ。たとえ意図的でなくても、自分たちが当たり前だと思っているものが、他の国では違う意味で捉えられてしまうことがある。今後外国に出る時も、また、外国の人を日本にお迎えする時にも、慎重に考慮すべきだと、改めて自戒を込めて反省する機会となった。

カテゴリ: 政治 カルチャー
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執筆者プロフィール
徳永勇樹(とくながゆうき) 食客/東京大学先端研創発戦略研究オープンラボ(ROLES)連携研究員。1990年7月生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。英語・ロシア語通訳、ロシア国営放送局スプートニクのアナウンサーを経て、2015年三井物産株式会社入社。4年半の鉄鋼製品海外事業開発、2年間のイスラエル留学を経て、社内シンクタンク株式会社三井物産戦略研究所にて政治経済の分析業務に従事。商社時代に担当した国は計100か国以上 。2024年7月末に退職しプロの食客になる。株式会社住地ゴルフでは、一切の業務が免除、勤務地・勤務時間自由という条件のもと、日本と世界の文化研究に専念する。G7及びG20首脳会議の公式付属会議であるY7/Y20にも参加。2016年Y7伊勢志摩サミット日本代表、2019年Y20大阪サミット議長(議題: 環境と経済)、Y7広島サミット特使を務める。新潮社、ダイヤモンド社、文芸春秋社、講談社、The Mainichiなどで記事を執筆。2023年、言語通訳者に留まらず、異文化間の交流を実現する「価値観の通訳者」になるべくCulpediaを立ち上げた。
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