医療崩壊 (84)

日本発売、肥満症治療薬「ウゴービ」の「効果と注意点」「そもそも手に入るのか」

執筆者:上昌広 2024年3月4日
タグ: 日本
米国から22カ月、欧州から15カ月遅れてようやく承認 (C)KK Stock/shutterstock.com
「ウゴービ」は当初は予想されなかった様々な疾患にも有効性が期待され、アルツハイマー型認知症に対する臨床研究まで進んでいる。ただし、急激な減量で筋肉が減ってしまう「サルコペニア肥満」には注意したい。そして、そもそも薬価の安い日本向けに在庫が確保されるのかという、日本の薬価制度が抱える構造的な問題もある。

 2月22日、デンマークのノボ・ノルディスクが開発した肥満症治療薬セマグルチド(商品名「ウゴービ」)が、我が国でも処方できるようになった。毎週1回皮下注射で投与される。本稿ではウゴービについて解説したい。

BMI27以上、もしくは35以上が対象

 まずは対象だ。ボディ・マス・インデックス(BMI)という肥満の指数が27以上(身長170センチで78キロ)で、高血圧、高脂血症、糖尿病のうち2つ以上を合併しているものか、あるいは、BMIが35以上(身長170センチで101キロ)で高血圧、高脂血症、糖尿病の何れかを合併している患者である。十分な食事療法、運動療法を行っても減量できなかった人に限られる。

 ウゴービの減量効果は顕著だ。2021年3月に米国の『ニューイングランド医学誌(NEJM)』に掲載された第三相臨床試験では、ウゴービとプラセボを投与したところ、ウゴービ投与群では投与開始から68週の時点で体重が14.9%も減っていた。プラセボ群の体重減少は2.4%だから効果は明らかだ。

 ウゴービのメリットは「継続」が比較的容易であることだ。肥満をはじめ生活習慣病の治療の基本は運動と食事である。ただ、これは継続が難しい。

 2019年4月、米国の研究チームは、セマグルチドなどと比べると弱いが、体重減少効果が証明されている「メトホルミン」という経口薬と食事・運動療法の効果を比較した臨床試験の15年間のフォローアップの結果を『米国内科学会誌』に発表した。この試験ではメトホルミン群の22%が体重減少を維持していたが、食事・運動療法群では5.9%だった。多くが途中で挫折していた。

 ノボ・ノルディスク社によるウゴービの開発成功は快挙といっていい。昨年12月14日、米国の『サイエンス』誌は“2023 Breakthrough of the Year”の中で紹介している。

 ウゴービは、もともとは糖尿病治療薬だ。使用者の体重が減少したことから、肥満症治療薬として開発が始まった。臨床経験が先行した薬剤だが、最近になって作用機序についても解明が進んでいる。今年1月には、カナダの研究者たちが、脳に作用して、炎症反応を抑制することが食欲を低下させるという研究結果を米国の『セル・メタボリズム』誌に発表している。

 肥満症治療薬の開発には、ノボ・ノルディスク社を追いかけて、複数の製薬企業が参入している。研究は日進月歩だ。例えば、昨年7月、米国のイーライ・リリー社は、皮下注射薬のチルゼパチド(商品名「マンジャロ」)を投与した肥満症患者の体重が26%減少したという研究成果を発表した。ウゴービを遙かに凌ぐ効果である。

 ノボ・ノルディスク社も「差別化」に懸命だ。昨年5月、セマグルチドの経口剤(リベルサス)を用いた臨床試験で、体重減少率が15.1%であったと報告した。これは注射剤であるウゴービと遜色ない成績である。経口剤で、この程度の減量が可能であれば、多少効果は落ちようが、皮下注射でなく、経口剤を選択する患者が多いだろう。

 さらに、昨年11月、『NEJM』誌に発表されたウゴービの臨床研究の結果は、世界に衝撃を与えた。ウゴービを投与された患者は体重を減らすだけでなく、心筋梗塞や脳卒中の発症を20%低下させたというのだ。こうなれば、単なる肥満症治療薬でなく、健康寿命を延長させる薬剤ということになる。

筋肉量が減ってしまう問題も

 肥満は万病のもとだ。ウゴービは、当初、予想もしなかった様々な疾患に有効なようだ。アルツハイマー型認知症に対する臨床研究まで進んでいる。

 では、副作用はどうだろうか。これまでの臨床研究を総括すると、3~4割の患者に悪心や下痢などの消化器症状を起こすが、多くは自制内で、基本的には安全だ。

 ただ、問題がないわけではない。それは急激な減量により、脂肪よりも筋肉が減ってしまうことだ。ウゴービの先行研究について開示されたデータを、米国ボストン在住の大西睦子医師が分析したところ、減少した体重の約4割が除脂肪体重(主に筋肉)だったという。

 筋肉量が減って、相対的に脂肪のウェイトが増す肥満をサルコペニア肥満と呼ぶ。この状態は、通常の肥満より、生活習慣病に罹りやすく、運動能力、特に歩行能力が低下することが分かっている。若年者はともかく、高齢者なら転倒し、寝たきりのリスクが高まる。私個人の意見を言えば、サルコペニアになるくらいなら、筋力が維持された肥満の方がいいと考えている。

 では、どうすればいいのか。サルコペニア肥満の予防には、トレーニングが有効だ。特に、スクワット、腕立て伏せ、ダンベル体操などの筋肉に抵抗(レジスタンス)をかける動作を繰り返す運動が重要だ。ウゴービの使用をお考えの方は、是非、筋肉トレーニングを併用することをお勧めしたい。

 ウゴービの使用には美容面でも問題がある。それは、筋肉であろうが、脂肪であろうが、急速な減量は皮膚の皺やたるみを増やしてしまうからだ。前出の大西医師は、「米国では『セマグルチド顔』として社会問題となっている」という。そのために、皮膚充填剤の注入や、皮膚引き締め術を必要とする患者までいるという。これでは何のための減量かわからない。

 ウゴービには、このような負の側面がある。ただ、それでも減量できることの魅力は大きい。世界中でウゴービが不足している。世界各地でウゴービの偽薬が問題となっているし、同成分の糖尿病治療薬「オゼンピック」の適応外使用が急増している。2022年3月、米国食品医薬品局は、オゼンピックとウゴービを「不足医薬品リスト」に登録した。

日本向け在庫は後回しに?

 日本も不足状況は変わらない。ウゴービが処方可能になったといっても、十分な在庫は確保されていない。おそらく、当面、解決されないだろう。我が国でのウゴービの承認は米国から22カ月、欧州から15カ月遅れた。薬価が安いからだ。

 例えば、米国での1カ月の薬価は約1350ドル(約20万円)だが、日本は約4万3000円に過ぎない。世界中でウゴービを販売するノボ・ノルディスクが、限られた在庫を日本に優先的に回すとは考えにくい。ところが、このあたり日本のメディアが論じることはない。

 折角、画期的な肥満治療薬が開発されても、我が国の国民は、その恩恵にあずかれないことになる。日本の医療システムの問題を正面から議論する時期がきている。

カテゴリ: 医療・サイエンス
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執筆者プロフィール
上昌広(かみまさひろ) 特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。
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