米大統領選介入が成功した理由:2016年、ロシアはトランプ勝利と「分断」も狙った
ロシアは2016年、米大統領選挙に介入した。米国は強烈な痛手を被り、8年後の今も傷痕を癒やすことができない。米国民は分断されたままだ。
分断の主要な軸は、エリートと非エリートの対立である。今進行中の米大統領選挙予備選の出口調査で、高卒以下の有権者のうちドナルド・トランプ候補が一貫して70%以上を獲得、対立候補ニッキ・ヘイリー元国連大使は30%以下だ。
ヒラリー・クリントン元米国務長官とトランプが争った2016年の大統領選当時、ロシアの介入は米国民の分断が目的とはみられておらず、ウラジーミル・プーチン大統領はトランプ当選を目指す工作を指示した、と米国家情報長官(DNI)は判断した。だがロシアはトランプへのテコ入れとは別個に、米社会の分断を深刻化させることを目的とした工作も実行していたことが分かった。
報道以上に大規模だった「ロシア疑惑」
ロシアのスパイと当時のトランプ陣営の「共謀」と報道された、あの「ロシア疑惑」。ロバート・モラー特別検察官は22カ月間にわたる捜査で、2800件の出頭命令を出し、捜索は約500回に及び、34人を起訴した。それでもなお全貌は未解明だが、モラー報告書やその後判明した事実から、事件は当時の報道よりずっと複雑な構成だったことが分かった。
ロシアの複数の情報機関に、情報公開サイト「ウィキリークス」が加勢し、SNSを使ったプロパガンダやサイバー攻撃を仕掛け、民主党内の情報を盗んで公開する、といった広範かつ大規模な工作だったのだ。あらためて真相に迫る必要がある。
プリゴジンが「トロール」の創設者
ロシアが2016年米大統領選への介入を開始したのは選挙の2年前、2014年のことだ。最初に動いたのは、2013年に発足したサンクトペテルブルクの「インターネット・リサーチ・エージェンシー(IRA)」の「翻訳部」と称する組織だった。米情報サイト『バズフィード』によると、IRAの人員は2014年時点で600人以上、年間予算1000万ドル(約15億円)という。
IRAのような組織は「トロール」と呼ばれている。トロールとは、虚偽の陰謀説などをSNSに書き込み、大量に拡散する工作拠点のことだ。一種の情報機関とも言える。
IRAの創設者はエフゲニー・プリゴジン氏。プーチン大統領の「料理人」から、民間軍事会社「ワグネル」のトップとなったが、2023年にロシア・ウクライナ戦争をめぐりセルゲイ・ショイグ国防相、さらにプーチン大統領とも対立、搭乗した小型機が墜落し不審死した。
2014年から米国内にSNSのアカウント
IRAは手始めに2014年6月4~26日の間、ロシア人女性スタッフ2人を訪米させ、2人はテキサス、ニューヨーク、カリフォルニアなど9州以上を回った。彼女らはツイッター(現X)やフェイスブック、ユーチューブなどのSNSを利用するため、米国居住者らに依頼して米国人になりすまし、架空組織や実存する共和党組織の名前でアカウントを次々作成した。
モラー特別検察官の報告書によると、IRAがフェイスブックに設置したアカウントでは、2017年の時点でフォロワー数は「ムスリム・アメリカ合衆国」が30万人、「愛国的であること」が20万人。「安全な国境」が13万人で、投稿が米国民に届いた数は総計1憶2600万人 に上ったと推定されている。
また、IRAなど3組織とプリゴジン氏ら13人 を訴追した2018年2月16日付の起訴状によると、彼らは2016年4~11月の大統領選挙中、SNSなどにオンライン広告も掲載した。「ドナルドはテロを打倒し、ヒラリーはテロのスポンサーになる」「ヒラリー・クリントンは黒人票に値しない」などトランプ候補を称賛し、クリントン候補を非難する広告だ。
これらのアカウントはトランプ候補の集会への参加を求める告知にも使われたという。
実は、『ニューヨーク・タイムズ』や『バズフィード』は2014~2015年にIRAの危険性に関して報道していた。しかし、当時のスティーブン・ホール米中央情報局(CIA)ロシア部長は「公開の場で論議の対象となっており、大した仕事はできない」とIRAに対して警戒の目を向けなかったという。
GRUがサイバー攻撃、ウィキリークスに情報送付
他方、ロシア軍の情報機関、参謀本部情報総局(GRU)はトランプ候補の敵陣営である民主党本部のコンピューターに対してサイバー攻撃を仕掛けた。
2016年6月14日付『ワシントン・ポスト』は、民主党全国委員会(DNC)のコンピューターが前年と2016年4月にロシア国家機関のサイバー攻撃を受けたと報道した。
最初はスパイ工作かとみられたが、翌15日に「グッチファー2.0」を名乗る者がDNCのパソコンに内蔵していた多数のeメールをネット上に公開、明らかに選挙に向けた秘密工作かと当時のバラク・オバマ政権は緊張した。だが、十分な対応策を取らなかった。グッチファーはよく知られたルーマニア人ハッカーの名前で、その名をもじったものと想定され、実際にはGRU自身のことだろう。
GRUは非常に手の込んだ工作を展開していた。2016年3月以降、クリントン陣営の支援組織やジョン・ポデスタ選対委員長、4月にはDNCと民主党議会選挙委員会(DCCC)のeメール・アカウントなど数百のアカウントを対象に、合計数十万通の文書を盗み出していたのだ。
GRUの26165部隊がハッキングして盗み、同74455部隊が盗んだ文書の公開作業を支援した、とモラー報告書は指摘している。
窃取した文書は「グッチファー2.0」や「DCリークス」という別組織を通じて、情報公開サイト「ウィキリークス」に送付した。ウィキリークスはそれ以前も国務省機密文書を公開、当時国務長官のクリントン氏と敵対関係にあった。
2016年民主党全国大会でクリントン氏を大統領候補に指名する直前の7月22日、ウィキリークスはDNCから盗んだeメールをネット上に公開した。
その中に、DNCがクリントン候補を優遇し、対抗馬のリベラル派、バーニー・サンダース上院議員を差別扱いしていたことを示すeメールが含まれていた。DNC委員長が急きょ辞任する騒ぎに発展、クリントン候補には痛手となった。
ロシアの組織とツイッターで接触したトランプ陣営
最も重要な問題は、ロシア情報機関などの工作員らとトランプ陣営の「共謀」が実際にあったのかどうかだ。
モラー報告書によると、IRAが管理するツイッター上で当時のトランプ候補の長男ジュニア氏、次男エリック氏や、陣営のマイケル・フリン元米国防情報局(DIA)局長、「トランプのトリックスター」と呼ばれたロジャー・ストーン氏らがリツイートし、やり取りをしていたことが分かる。ストーン氏はウィキリークスとも接触したようだ。
フリン氏はセルゲイ・キスリャク駐米ロシア大使としばしば会談した事実もある。
2016年6月9日には、トランプタワーで、ロシア人弁護士ナタリア・ベゼルニツカヤ氏、ロビイストのリナト・アフメトシン氏らが、ジュニア氏のほか、娘婿のジャレド・クシュナー氏、トランプ選対本部長ポール・マナフォート氏らと会合を持ったと伝えられる。
しかし、例えばIRAが全米各地でSNSアカウントのネットワークを形成するため米国人をリクルートした際、トランプ陣営が協力したとか、工作に関する謀議を行ったといった事実やその証拠は得られていない。
マナフォート、フリン、ストーン氏らは刑事訴追されたが、いずれも「米露共謀」の本筋にかかわる違法行為で立件されたわけではなく、真相はなお闇に包まれている。
分断の拡大狙いBLMデモも扇動
米国では2013年以降、黒人が警察官に殺されたのをきっかけに「ブラック・ライブズ・マター」(BLM、黒人の命は大切だ)というシュプレヒコールで人種差別に反対する運動が広がった。「反トランプ」の運動と重なるとみられていたが、実はこの運動にもロシアが一時期関与していたことが分かった。
全米の主要都市に拡大したこの運動をボルティモアで主催した「ブラックティビスト」という組織のSNSのアカウントはロシアの秘密工作の一環として設置されていた。彼らは反トランプ系グループも扇動していたのだ。
「トランプ当選」から4日後の2016年11月12日、ニューヨークではトランプ抗議デモが行われた。SNSの投稿を6万1000人がシェアして街に出た。BLMのグループもこれに参加したようだ。
こうした動きが事実とすれば、ロシアは明らかに米国社会の分断を誘発するプロパガンダ工作をしていたことになる。分断を視野にトランプ支援を行っていたのだ。
冷戦時代、コミンテルンの金で仏「人民戦線」
実は世界では、外国の選挙への介入は決してまれなことではない。旧ソ連は約1世紀前、世界革命を目指し、「コミンテルン」を中心に、各国の共産党に選挙資金を配布した。1936年のフランス総選挙では、コミンテルンからの資金が予算の4分の1を占めていた共産党が社会党なども含めた「人民戦線」を形成し、勝利した。第二次世界大戦後はイタリアなどで米ソの情報機関がそれぞれ支持政党を支援して争った。
岸信介の勝利が米国の国益
冷戦時代の日本の本土と沖縄でも、イタリアと似た形で選挙戦が展開され、CIAが少なくとも4回の選挙で保守派に選挙資金を提供している。
1957年10月、当時の駐日米大使ダグラス・マッカーサー二世(ダグラス・マッカーサー将軍の甥)は、翌年に予想される総選挙に関連して次のような電報を国務省に送付した。
「岸(信介)は米国の目標からみて最良のリーダーである。彼が敗北すれば、後任の首相は弱体か非協力的、あるいはその両方だろう」
つまり、岸の勝利が米国の国益であり、
「アデナウアーの過去2回の選挙と同じように、岸を強化することについて考えるべきだ」というのだ。実は米国は、西ドイツのコンラート・アデナウアー首相の政権維持にかかわる選挙でCIA資金を使って支援していた。
日本の総選挙に対する秘密工作問題が1958年4月11日、CIAの工作を決定する特別グループ(SG)の会合で取り上げられた。その結果を記した文書は公開されていないが、CIA資金が使われたのは確実だ。
それから約40年後、筆者の友人の紹介で会った元CIA工作担当次官補は私に、岸にCIA資金を提供したことを確認した。
SGから2週間後の4月25日、岸首相は衆議院を解散。事前の予想では「自民党不利、社会党躍進か」と言われたが、社会党は伸び悩み、CIAの資金を得たとみられる自民党が過半数を獲得して勝利した。
CIAの金に甘えた自民党
そのわずか3カ月後の7月25日、弟の佐藤栄作蔵相は自分の個人事務所にスタン・カーペンター米大使館1等書記官を招き、翌年の参院選挙に向けて財政支援を要請した。
「ソ連と共産中国は共産主義勢力にかなりの資金援助をしているのは疑いない」というのだ。これに対して、1等書記官は「(マッカーサーⅡ)大使は、日本における共産主義の影響に関しては、保守勢力と懸念を共有していますが、そのような目的での資金援助提供は可能ではない」と述べて要請を断った。
米国に対するこのような甘えが日米関係をゆがめてきた。ただ、こうした裏面史はせいぜい、巨大な同盟国との付き合い方の参考にしかならない、と言える。
日本は、ロシアによる米選挙への介入の経緯をしっかり研究し、サイバー安全保障およびカウンターインテリジェンス(防諜)の強化策を検討する必要がある。
米政府の変化に気付かなかった佐藤栄作
また米軍の軍政下の沖縄で、1965年と1968年の少なくとも2回の琉球立法院選挙と1968年の琉球政府行政主席公選の計3回、CIAは保守派に資金を提供した。
琉球立法院選挙では米国側の望む結果が出た。しかし初の主席公選では、CIAの介入にもかかわらず、野党統一候補・屋良朝苗が勝利したため、米政府はショックを受けた。
屋良勝利の翌日1968年11月11日に、米国家安全保障会議(NSC)スタッフが大統領補佐官あてに提出した分析メモは「屋良勝利から、返還をスピードアップする、としか読み取れない」との結論を出した。
反対に佐藤栄作首相は「復帰問題は一寸むつかしくなるか」(『佐藤栄作日記』)と予測した。民意の動向に注意を払わなかった佐藤は米政府の変化にも気付かなかった。現実には、翌年1月政権に就いたリチャード・ニクソン大統領は沖縄返還へ向けて乗り出すため舵を切った。
沖縄と本土の保守派政治家の間のこのような認識ギャップは、今も続いているとみられる。米軍の軍政に苦しんだ沖縄県民の苦労が本土ではほとんど理解されていないのだ。
デジタル化で初めて米選挙介入に成功したロシア
大国による外国選挙への介入自体は、古くから繰り返されてきたが、 ロシアが2016年米国大統領選挙への介入で成功したのは、IT・デジタル化が進んだ現代でこそ、と言える。SNSやメールで米国民一人ひとりを相手にした工作ができるようになったので、初めて為せた結果だった。
現在、米 NSCロシア担当部長を務めるデービッド・シャイマー氏は自著『謀られて(Rigged)』で興味深い歴史的事実を紹介している。
旧ソ連は1960年から1984年の間、1960年大統領選のニクソン候補を第1号に、「脅威と見た大統領候補を潰そうとした」という。
ニキータ・フルシチョフはニクソンを「攻撃的な反ソ・反共」主義者と恐れた。これを受けてソ連国家保安委員会(KGB)が工作に乗り出した。1958~1970年に米国に 駐在したKGB工作員オレグ・カルーギン氏(現在ワシントン郊外に在住)によると、KGBは対立候補のジョン・F・ケネディが勝利するようさまざまなプロパガンダ作戦を行ったという。結局ケネディ勝利となったが、作戦の効果は不明なままだったと述べている。
その後もソ連は、好ましくないとみた大統領候補に関して謀略情報などを流す工作を繰り返した。しかしインターネットもないアナログの時代に、そうした情報を多くの米国民に届ける方法はなかった。デジタル化の時代となりプーチン政権下で、ロシアは初めて米国への選挙介入で成功したようだ。
ただ、IRAのアカウントに何が書き込まれていて、どの程度効果的だったのか。アカウントは今や消えており、そうした詳細な分析もできない。