「コロナ対策」は「温暖化対策」EUがつけた「天文学的予算」の狙い(下)

執筆者:熊谷徹 2020年7月17日
タグ: 新型コロナ
エリア: ヨーロッパ
EUのコロナ危機に関する経済復興政策について語るフォン・デア・ライエン欧州委員長(EUのHPより)

 

 なぜ欧州連合(EU)は温暖化対策に巨額の予算を計上するのか、加盟国の環境大臣たちはその理由を、4月14日に発表した共同声明の中で次のように述べている。

 「EUはパンデミックという未曽有の危機に襲われている。現在の最優先の課題は、コロナ危機との戦いだ。

 しかし、もう1つの深刻な危機がある。コロナの時代にも、地球温暖化と気候変動はなくならない」

両方を達成するべき

 だからこそ環境大臣たちは、コロナ危機による不況の悪影響を緩和し、経済成長を実現するための公共投資を、気候変動対策に振り向けるべきだと訴える。

 「持続可能性のある経済や社会の構築は、巨額の投資を必要とするので、雇用を生み、経済成長率を高め、市民の生活を改善できる可能性を秘めている。グリーン・リカバリー(緑の復興)によって気候中立化(CO2排出量を正味ゼロにすること)を加速するべく、政界、経済界、NGOなどに支援を求める」

 彼らは、コロナ対策と気候変動対策の二者択一ではなく、両方を達成するべきだと主張する。そして、こう共同声明を結んでいる。

 「コロナ危機が欧州経済に多額の損害を与えているので、気候変動を食い止めるための巨額の投資はやめようと考えるのは、適切ではない。グリーン・リカバリーについて市民からの理解を得るには、この政策が社会のニーズを満たすということを強調する必要がある。

 我々は『コロナとの戦いと気候変動との戦いのどちらを選ぶか』ではなく、両方の危機と戦い、勝たなくてはならない」

 今回のグリーン・リカバリーの下地となったのは、EUのウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長が去年12月11日に発表した「欧州グリーン・ディール計画」である。このプロジェクトで彼女は、

 「EUはCO2削減によって気候変動に歯止めをかけることを、最も重要な政策目標の1つとする」

 という明確な方向性を打ち出した。当時同委員長は、

 「欧州は、世界で初めてCO2排出量正味ゼロの状態を実現する。これは米国の月着陸計画並みに野心的な挑戦だ」

 と当時から強い意気込みを見せ、EUはグリーン・ディール計画に約1兆ユーロ(約120兆円)の資金を投じるという方針だった。

 今年に入るとフォン・デア・ライエン委員長は、EU加盟国の首脳たちに対してグリーン・ディール計画について詳しく説明し、支持を得ようとしていた。この計画は欧州のエネルギー供給構造を大きく変化させるからである。

 そこへ降ってわいたのがコロナ危機である。さすがのEUも、1兆ユーロの規模を持つプロジェクトを、数回にわたって実施することはできない。コロナ対策と気候変動対策が組み合わされた背景には、そうしたEUの台所事情もある。

「現在のままでは目標を達成できない」

 EUがこれほど気候保護政策を重視する理由はなぜか。その背景には、欧州人たちの地球温暖化に対する切迫した危機感がある。

 EUがコロナ危機勃発前の去年12月19日に発表した統計によると、2018年のEUの温室効果ガス排出量は前年比で2%減った。1990年と比較すれば、23%の削減だ。

 だが当時EUは、

 「現在のままでは、2030年までに1990年比で温室効果ガスの排出量を40%減らすという目標は達成できないだろう」

 という悲観的な予測を発表していた。

 その理由は、2018年にポーランド、ハンガリー、チェコなどの中東欧諸国で、CO2排出量が前年に比べて増えたことや、エネルギー部門に比べると、交通部門や製造業でCO2削減が進んでいないことが挙げられる。

 中東欧諸国の電力市場では、今でも褐炭や石炭への依存度が高い。これでは、「2050年までに温室効果ガスの排出量を1990年比で80%ないし95%減らす」というEUの究極の目標を達成することも難しい。

 国際エネルギー機関(IEA)は今年4月に発表した報告書の中で、

 「コロナ危機によるロックダウンの影響で、2020年の世界のエネルギー需要は前年比で約6%、CO2排出量は約8%減る可能性がある」

 という予測を発表している。エネルギー需要、CO2排出量がこれほど顕著に減ったことは、第2次世界大戦後、1度もなかった。

 しかし、これによって地球温暖化に歯止めがかかるわけではない。2008年に発生し、2009年に金融危機を招いたリーマンショックの時には、不況が終わるとエネルギー需要、CO2排出量ともに再び大きく増加したからだ。

 したがって、数年後にコロナ危機が終息して経済活動が本格的に再開されれば、エネルギー需要とCO2排出量が再び増えることはほぼ確実だ。

 EUがコロナ復興策と気候変動対策を組み合わせたのは、「CO2削減努力の手を緩めてはならない」という決意の表れである。

「CO2削減努力を続けるべき」

 欧州の事実上のリーダー国ドイツでは、メディアが地球温暖化や気候変動について報じる頻度が日本や米国よりも高く、市民の関心も強い。

 「ドイツ・エネルギー水道事業連邦連合会(BDEW)」が、今年6月3日に発表したアンケート調査の結果によると、

 「コロナ危機はドイツ経済に大きな損害を与えました。今後、気候保護政策をどうするべきだと思いますか?」

 という設問に対して、回答者の81.6%が、

 「気候保護政策を継続もしくは強化するべきだ」

 と答えている。

 またドイツ環境財団(DBU)のアンケート結果では、

 「気候変動とコロナ危機のどちらが長期的に大きな影響があると思いますか?」

 という設問に対して「気候変動」と答えた人の比率は59%で、「コロナ危機」と答えた人の比率(17%)を大きく上回った。つまりドイツでは、「コロナ禍の時代にも、CO2削減努力を続けるべきだ」と考える人が多いのである。

 ドイツは今年7月1日から12月末まで、EU理事会議長国を務める。このため、アンゲラ・メルケル首相は、加盟各国からグリーン・リカバリー計画に関する承認を得て、法制化するという重要な任務を負う。

 フォン・デア・ライエン委員長はドイツ人で、メルケル首相と同じキリスト教民主同盟(CDU)に属し、同政権で閣僚も務めた。気心の知れた2人の女性政治家が、欧州で最大の影響力を持つ「ドリーム・チーム」を結成し、コロナ復興策と気候変動対策の同時達成へ向けて努力することになる。

科学者たちの危機感

 私は、新型コロナウイルス問題と地球温暖化問題には似ている点があると思う。それは大半の人々が科学者の警告を無視し、リスクをリスクとして認識することを拒否した点だ。

 パンデミックの危険については、10年以上前から科学者や保険会社などが警鐘を鳴らしてきた。ドイツの国立感染症研究機関「ロベルト・コッホ研究所」のウイルス学者たちは、今から8年前に、アジア発のコロナウイルスが深刻なパンデミックを起こすという最悪のシナリオを議会に報告している。ビル・ゲイツは、2015年に行った講演でパンデミックの危険について警告した。

 しかし、台湾など一部の国を除くと、大半の国はパンデミックに対する備えを十分に行わなかった。大半の人々は、科学者の警鐘に耳を傾けなかったか、「万一起きても、大したことはないだろう」と高を括っていた。その結果人類は、約100年ぶりに地球を襲ったパンデミックに翻弄されている。

 人類がパンデミックに対して無防備だった理由は、リスクが存在するにもかかわらず、パンデミックを現実のリスクとして認識しなかったからだ(いまだに新型コロナウイルスは、風邪やちょっとしたインフルエンザのようなものと主張する大統領がいるから、驚かされる)。

 同じことが、気候変動にもあてはまる。地球温暖化問題についても、科学者たちは何年も前から警告してきた。彼らは人類の経済活動から排出されるCO2排出量の増加と、地表の平均気温の上昇の間には、かなりの確率で相関関係があるので、将来破局が起こるのを防ぐためにはCO2削減努力を行うべきだと訴えてきた。

 それでも、多くの国では本格的なCO2削減努力が始まっていない。

 欧州人たちが危機感を強めて、パリ協定のような多国間の枠組みに力を入れているのに対し、米国はパリ協定から脱退し、気候変動問題を軽視する姿勢を露わにしている。科学者たちの危機感が、世界中の人々に共有されているとは言い難い。

 要するに、多くの政府、多くの市民は、気候変動についてもパンデミックと同様に、科学者たちの警告に十分な注意を払わず、リスクをリスクとして認識することを拒否しているのだ。CO2の増加と気候変動の間の相関関係は立証されていないという懐疑論も、根強く残っている。

 また、「自国ファースト」の態度も問題だ。

 「南極や北極の氷が溶けて海面が上昇しても、困るのは南太平洋の小さな島国か、沿岸部に住む人だけだ。私には関係ない」

 というわけだ。

 人類は、今年無防備のままパンデミックに襲われたのと同様に、十分な備えのないまま気候変動による気象災害の頻発に直面しようとしているのではないか。EUが天文学的な額の予算を、CO2削減という大プロジェクトに投じようとしているのは、こうした危機感のゆえである。

「市民たちの要求に対する回答だ」

 日本でも毎年のように、集中豪雨や洪水のために多くの死者が出る。だが日本のメディア界では、こうした気象災害とCO2増加を関連づけた報道や、EUのグリーン・ディールやグリーン・リカバリーについての報道も少なく、気候中立についての議論も不十分だ。

 多くの欧州人たちは、「子どもたちに安全な地球環境を残すために、今行動を起こす必要がある」と考えている。そうした思想は、フォン・デア・ライエン委員長が去年12月にグリーン・ディール計画を発表した際、ドイツの日刊紙に掲載した文章にはっきり表れている。

 「ドイツでは、旱魃や森林火災が増えている。アフリカやアジアでは砂漠化が進んでいる。海面の上昇は、欧州の都市や南太平洋の島々を脅かしている」

 「こうした現象は過去にもあったが、現在ほど頻繁かつ急速に進む時代はなかった。科学者たちは、地球温暖化の進行を人類が食い止めることは可能だが、そのためには今行動を起こさなくてはならないと主張している」

 「欧州市民の10人の内9人は、気候保護のためのメカニズムを作るべきだと主張している。我々の子どもたちは、我々に行動を起こすように求めている。グリーン・ディールは、市民たちの要求に対するEUの回答だ」

 地球温暖化は一国、一地域に限られた問題ではなく、パンデミックと同じくグローバルな危機である。砂の中に頭を突っ込んでいても、危機は去らない。

 欧州人たちは、「経済成長と気候保護のどちらを取るのか」という問いではなく、「どうすれば両方を達成できるか」という問いに取り組んでいるのだ。

 我々日本人は、気候変動を対岸の火事と思わず、地球温暖化対策というテーマについて、これまで以上に真剣に取り組まなくてはならない時期に来ているのではないだろうか。

 

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執筆者プロフィール
熊谷徹 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。
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