国連ヒラ政務官 VRカメラを持ってスーダンに

スーダンでVR映像を撮影する筆者(筆者提供)
国連安保理が現地に行けないなら、VRカメラで撮影して「ヴァーチャル訪問」してもらおうーー。VR作品で国連にイノヴェーションを起こしている政務官の高橋タイマノフ尚子氏が、スーダンでの「はじまり」を振り返る。

 

 「ナオコ、ウィルスのせいで政務官の人手が足りない。すぐにスーダンに応援に来てほしい」

 新型コロナウィルスの感染が拡大していた2020年のクリスマス、NYの国連本部で寂しく仕事をしていると、上司から電話がかかってきた。その年に設立された国連スーダン統合移行支援ミッション(UNITAMS)の臨時要員として手伝って欲しいという。

 「君は以前スーダンに駐在していて土地勘があるだろう? あと、健康だし」

 2016年から2017年にかけて、私はスーダンにある国連平和維持活動局のオフィスで地雷処理を担当していた。現地で様々な珍しい名前の病気を経験して以来、今に至るまで5年間一度も風邪を引いたことがない。つまりスーダンにいたのも事実だし、健康なのも確かだ。

 とはいえ、新型コロナウイルスのワクチンが十分に普及していない段階(20年12月当時)で、革命後の混乱によって医療状況含め社会経済的に厳しい状況にあるスーダンに戻るのは緊張する。それでも二つ返事で快諾してしまったのは、どうしてもやりたいことがあったからだ。

安保理ミッションに感じていた悩ましさ

 スーダンは、2003年に西部のダルフール地域で、政府軍と武装勢力「スーダン解放運動・軍(SLM/A)」及び「正義と平等運動(JEM)」の対立が激化したことをきっかけに、長年武力紛争に苛まれてきた。2007年に国連安全保障理事会の決議により設立された国連平和維持活動(PKO)、ダルフール国連・AU合同ミッション(UNAMID)は、以来現地の平和維持と紛争解決に取り組んできた。

 しかし、2018年にはダルフールから遠く離れた首都で革命が起きたため、国連安保理は革命後の和平合意を支援するUNITAMSを設立するという重要な決定を採択し、他方UNAMIDは縮小されることとなった。

 このように安保理の15の理事国は国連のブリーフィングに基づき議論を行い、紛争地域に対する国際社会の対応方針を決定する。その意思決定を助ける情報収集の一環として開催されるのが、15カ国の代表が現地を視察する「安保理ミッション」だ。スーダンのみならずイラクやコロンビアなど多くの国に派遣されてきた安保理ミッションは、国連の活躍を外交団に肌で感じていただく重要な機会ではあるのだが、個人的にはこれに悩ましさを感じていた。

 まず、現地視察といっても本当に治安が安定していない地域には残念ながら視察団を派遣できない。さらに、パンデミックの影響で2021年の秋まで全ての視察が中止になってしまっていた。

 ダルフール紛争以来、20年近くも安保理で議論されているため、幸か不幸かスーダンに行ったことのある「紛争屋」はごまんといる。しかし、わずか数年前に発生した革命後のスーダン社会をその目で見た人の数は多くない。革命前のスーダン社会のイメージをもとに革命後のスーダン社会を議論するのは不適切だ。

私と一緒にヴァーチャル現地訪問

 私はなんとしても現在のスーダンを理解したかったし、また多くのひとに理解してもらいたかった。だからUNITAMSの立ち上げ臨時要員として上司から声をかけられたのは幸いだった。

 安保理が現地に行かれないなら、私と一緒にヴァーチャルに現地訪問してもらったらどうだろう。VR技術を使って、ミッション立ち上げの様子を360度くまなくレンズに収め、普段の白黒PDFの国連事務総長レポートだけでは感じ取ることのできない現地の活気を、VR映画としてそのままNYの議場に届けたい。専門の撮影クルーも監督も雇わず、本業の出張のサブプロジェクトとして自分で全てやれば予算ゼロだ。そんな思いが駆け巡り、気づけば二つ返事で引き受けていた。本部の上司にも後押しされ、私は四方が5cm程度の小型VRビデオカメラと大量の常備薬をトランクに詰め、3週間の約束で現地に向かった。ちなみに、現地に着いたら5週間の仕事だと知らされた。

武装した若者たちに取り囲まれて

 現地での撮影は、それほど困難ではなかった。スーダン政府とUNITAMSの初の合同運営委員会に出席し、ヒラ社員ならぬヒラ政務官としてノートを取りながら同時にカメラを回すマルチタスクを強いられたり、ダルフールを走る四輪駆動車の荷台によじ登ってカメラを固定して撮影することを思いついたものの、爆走の振動でカメラが落下しそうになってひやひやしたりしたこともあったが、私はプロのヒラ社員なのでこれくらいのストレスでめげはしない。

 もちろん、紛争地特有の難しさはあった。政府から撮影許可証をいただくのには非常に時間がかかった。現地の方々があまりに凄惨な暴力の経験を我々にお話しくださった際には、他の広報スタッフと目配せして全てのカメラを止めた。ある地方の部族の方々とのミーティングの様子を撮影しようとしたら、自動小銃AK47で武装した若者たちにカメラを取り囲まれてしまい、現場の雰囲気としては非常に友好的ではあったものの、VR映像としては刺激が強すぎてお蔵入りになった。

 でもこれらは、伝統的な”国連政務官あるある”の範囲だ。5週間、手洗いうがいもしっかりしたおかげか、コロナウィルスどころか珍しい名前の病気にも罹らず、撮影はなんとか無事に終了した。

意外だった安保理からの反応

予算ゼロで生まれたVR作品「Sudan Now」

 編集は困難だった。私のような政務官は本来、現地からの情報を収集し、武力紛争や政治的動乱の状況を分析し、必要に応じて国連事務総長の報告書、発言要旨や外交アクションを草稿するのが本業だ。映画制作やストーリーテリングなどの訓練を受けていないので、何をもとに意思決定すればいいか分からない。広報官も加えて議論した結果、そもそもこのVRは「現地に行かれない分、せめて政務官と一緒にスーダンをヴァーチャル訪問していただく」のが主旨なので、あまり芸術的に編集する必要はないという判断に至った。しかも、VRの良いところのひとつに、作り手がどこに焦点を定めようとも、観客は自由に画面の隅々まで探索できるという透明性がある。この利点を生かし、なるべく無加工の、そのままの映像を発表することになった。こうして、スーダンの現在を、身長168cmの政務官の視点からそのままお届けするゼロ予算VR「Sudan Now」が生まれた。

各国から好評だったVR(筆者提供)

 発表後、国連安保理からの反応は意外なほど良かった。公務員の癖で、万が一批判された時のための答弁資料を何ページも用意していたので拍子抜けした。

 メキシコ代表は「非常にパワフルだ! 本庁にも見せたい」と強く支持してくれた。いつもは表情の少ないロシア代表はわざわざ私のところに来て「僕は実はアフリカ生まれなんだ。VRを見て懐かしい思いさえしたよ」と伝えてくれた。反響が大きかったので2021年3月に一般公開されることになり、私のチーム、国連政務局イノヴェーション・セルの初のVR作品となった。

「Sudan Now」の成功で生まれた新たな悩み

 この成功を土台に、イノヴェーション・セルは複数のVR作品を次々と発表した。2021年に発表された「The State of Global Peace」は同名の国連事務総長レポートを元にしたものであり、サンダンス映画祭でも高い評価を受けた。今月には太平洋州の気候変動と安全保障をテーマにした「Sea of Islands」が日本政府の支援を得て一般公開された。

国連では新たなVR作品が続々と生まれている ©UN Photo/Eskinder Debebe

 振り返ってみれば、武力紛争を担当する政務官が状況報告の手段としてVRを使っちゃいけないルールなんてどこにもなかった。そして、そんなルールがないことに、やってみるまで気がつかなかった。ルールも予算も、スキルすら問題にならなかった「Sudan Now」の成功は、私に新たな悩みを与えている。

 本当は今すぐにでも改善できることなのに、固定観念に囚われてまだできていないことが実はたくさんあるんじゃないだろうか。見落としている暴力の予兆、拾いきれなかった声、助けられなかった命。紛争の予防と平和の創造という任務遂行のための抜本的な業務改善を目指すなら、もっと同僚と、異なる専門や産業の人と話し合い、もっと新しい手法を学ばなければならない。ポジティブな人はこれを「悩み」ではなく「可能性」というのかもしれないが、人の命が関わっているので切実だ。

 幸いなことに、国連のトップもこの課題を切実に捉えている。国連事務総長は2018年に新テクノロジー戦略を、2020年にはデータ戦略をそれぞれ発表し、国連各機関がよりイノヴェーションを業務に取り入れることを推奨している。これは、国連がデータ人材やテクノロジー人材を追加で採用しようという単純な話ではなく、むしろ既存の組織構造、スタッフ、業務の中にいかに新しい技術や手法や外部との協力を浸透させていくかが焦点になっている。だから、政務官が任務上の必要にかられて専門外のVR映画を制作することは、これら国連事務総長戦略の目指す方向性に実は適っている。

 ちなみにそのデータ戦略の中に、職員が好奇心やオープンさ、また人と地球により貢献したいという情熱を持ち続ける組織文化を奨励する、と盛り込んだ起草委員のひとりはわたしだった。自分で書いておきながら、いざ好奇心と情熱で挑戦してみるとたいへん逡巡したり葛藤したりしたので情けないが、こういった経験も21世紀の国連政務官の新たな “あるある”になるのかもしれない。

 

カテゴリ: 政治 IT・メディア 社会
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執筆者プロフィール
高橋タイマノフ尚子(たかはしたいまのふなおこ) 国連政務官。専門は武力紛争、平和維持。2019年には国連で初めて最新テクノロジーやAIを活用した紛争分析、解決を専門に扱う新チーム「イノヴェーション・セル」を国連政務・平和構築局内に立ち上げた。上智大学外国語学部ロシア語学科、米国コロンビア大学国際公共政策大学院卒。ロシア語、英語に堪能。
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