言語オタクによる希少な「サバイバー言語カタログ」

ゾラン・ニコリッチ(藤村奈緒美訳、山越康裕・塩原朝子日本語版監修)『あなたの知らない、世界の希少言語 世界6大陸、100言語を全力調査!』

執筆者:高野秀行 2022年8月9日
カテゴリ: カルチャー
 

 宣言するのも恥ずかしいが、私は言語オタクである。アニメ、鉄道、アイドル、歴史……と、今やほぼあらゆるジャンルにオタクがいる時代だが、「言語オタク」の存在はまだよく知られていない。ましてやオタクの書いた言語本など、翻訳ものも含めて、今まで見かけたことが全くと言っていいほどない。言語本は言語学者かその言語の専門家が書くと相場が決まっているから、世界的にも珍しいのだろう。

 その希少な一冊が本書だ。著者は、かつて4つの主要言語をもつ国として知られていた旧ユーゴスラビア出身で本人もおそらくマルチリンガルだと思うが、「言語学に関してはあくまで素人」と断っている。

 鉄道オタクに「乗り鉄」や「撮り鉄」などさまざまあるように、言語オタクも人によって萌えポイントが異なる。「語源」に萌える人もいれば、「文字」に萌える人もいる。私はどんな言語も一度は現地で実際に使って(喋って)みることに萌えるから、「乗り鉄」に近いのかもしれない。あと、マイナーな言語も大好き。

 本書の著者の萌えポイントは極めて独特だ。 タイトルには「希少言語」とあるからそれだけなら私に近いが、著者が好きなのはただのマイナー言語ではない。「周りを多数派の言語に取り囲まれたマイノリティの言語」、言語学では「言語島」と呼ばれるジャンルである 。歴史的に強い言語(民族)に圧迫されながらも、なんとか生き残ってきた「サバイバー言語」ということになる。

 そんな言語を世界各地から100も集めてきているのだから、さすがオタク、気合がちがう 。こういうコレクション的な作業を、言語学者はやりたがらない。

 中にはスペインとフランスにまたがって暮らしているバスク人のバスク語(既知のどの言語とも系統が不明な孤立言語)やイギリスのスコットランド語といった比較的有名な言語もあれば、アフリカの狩猟採集民ハッザ人が話すハッザ語 や、シルクロードの隊商民として知られるソグド人の言語(ソグド語)の末裔で、キルギス、ウズベキスタン、カザフスタン、ウズベキスタンの国境地帯にひっそりと残っているヤグノブ語など、私でも聞いたことがない言語が続々と登場する。

 注目は日本の言語。まずアイヌ語。ロシアのサハリンにも100人ほど話者(アイヌ民族)がいるとか、最近の遺伝的研究では、トリンギット人などアラスカとカナダの太平洋沿岸の先住民と近い系統関係をもつことがわかっているといった、マニアックな情報に唸らされる。

 いちばん驚いたのは八丈語。伊豆諸島八丈島で話されている言葉だ。現在、海外の言語学者の間では、「日本語」は10前後の言語からなる「日本語族」もしくは「日琉語族」とされ、日本国の標準語である日本語のほか、奄美諸島や沖縄、伊豆諸島の言語が「方言」でなく「別言語」として認識されている。そこまでは私も知っているのだが、八丈語が沖縄の大東 諸島で話されているなんて本書を読むまで知らなかった。もともと無人島だったこの島に、明治期に砂糖の生産のため八丈島から移民がやって来た。その結果、今でも八丈語が使用されているのだという。

 このような愛と執念の結実とも言うべき 細かい目配りが世界中になされていて、これほど有益なガイドブックはない。パッと見た限り、言語学的にも間違ったことは書かれてないように思えるし、本書を参考にして、さらにネットで細かく検索できるのが嬉しい。

 学者の本とは異なり、難しい言語学用語もほとんど使用していないから、一般の人たちがパラパラ見て「へー、こんな言語があるんだ」と世界言語旅行を楽しめるはずだ。

 言語オタクにもそうでない人にもお勧めできる一冊である。

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執筆者プロフィール
高野秀行(たかのひでゆき) ノンフィクション作家。1966(昭和41)年、東京都生れ。早稲田大学卒。1989(平成元)年、同大探検部における活動を記した『幻獣ムベンべを追え』でデビュー。2006年『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉』などの著書がある。
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