医療崩壊 (78)

「医師過労自殺」から考えるプロフェッショナル医師の働き方改革

執筆者:上昌広 2023年9月1日
タグ: 日本
エリア: アジア
マービン・バウワー(写真)が確立した「パートナー制」の導入こそ、プロフェッショナルな医師の働き方改革になる(「McKinsey & Company」HPより)
26歳医師の過重労働による自殺は、医師という職業について様々な問題を提起した。その解決で重要なのは、病院との雇用関係に縛られるのではなく、パートナー制度でプロフェッショナルとしての自由度を増すことだ。

 神戸市の甲南医療センターに勤務する26歳の内科医が自殺した。日本では、あまり議論されることはないが、本件は、「プロフェッショナル」の働き方を考える上で示唆に富む。本稿で論じたい。

経営難ゆえに医師を酷使する病院

 この事件については、多くのメディアが報じており、ご存じの方も多いだろう。自殺の原因は過重労働だ。地元紙の『神戸新聞』によれば、「自殺する前の1カ月間の時間外労働は国の精神障害の労災認定基準(160時間)を大幅に超える207時間に及び、休日は約3カ月間なかった」(8月17日)そうだ。西宮労働基準監督署は労災認定したという。

 これは由々しき状態だ。メディアは「実兄の告発「院長が葬儀で暴言を…」」(『週刊文春』8月31日号)など、病院の経営体制を批判する。

 甲南医療センターは、昭和9(1934)年に平生釟三郎が創立した阪神間の名門病院だ。平生は文部大臣や貴族院議員を歴任し、甲南学園の創設者としても知られている。

 現在、同センターの院長を務める具英成医師は、地元の神戸大学医学部を卒業し、同大学院肝胆膵外科教授などを歴任した医学界の著名人だ。名門病院で起こった事件に、メディアは属人的視点から批判を浴びせている。

 勿論、私も経営陣に問題はあったと思う。ただ、彼らを批判するだけでは問題は解決しない。なぜなら、彼らにも、若い医者を「酷使」しなければならない理由があるからだ。

 それは病院の経営難だ。医療費抑制が続く我が国では、病院経営は厳しい状況にある。甲南医療センターを経営する公益財団法人甲南会の財務諸表によれば、2022年度の医業関連収益は約192億円で、約32億円の補助金がなければ13億円の赤字だ。

 補助金の多くは、コロナ関連だろう。コロナが感染症法上の5類に変更された現在、このような状況はいつまでも続かない。医療機関は独自に稼がなければならない。

若手医師を抱え込む「医学部地域枠制度」

 医療機関が「稼ぐ」には、医師を増やし、彼らを少しでも働かせるしかない。それは、我が国の医療体制では、医師の診療行為に対して診療報酬が支払われ、診療報酬は厚生労働省が全国一律にきめているからだ。看護師や理学療法士などのコメディカルは、独自に稼ぐことはできないし、患者の満足度が高い「高付加価値」な医療だからといって患者に高い医療費を請求することはできない。

 病院は医師が働いた時間の分だけ、売上を増やすことができる。医療機関は、1人でも多くの医師を抱え込み、少しでも多くの時間を働かせようとしてきた。

「抱え込み」の代表は「医学部地域枠制度」だ。医学部受験時に別枠で入学が認められる。その際、都道府県と契約し、奨学金貸与と引き換えに、卒業後には地元での勤務が義務付けられる。勤務先は都道府県が指定し、多くは国公立病院だ。国公立病院を経営する自治体にとっては、若手医師抱え込み対策として機能する。

 医学部地域枠制度は、形式上は都道府県などと医学生の民民契約に過ぎないが、途中で地域枠から離脱した医学生に対しては、厚労省が研修医として雇用しないようにと病院に通知するなど、厚労省が後押ししている。違法と言われても仕方がない所業だが、医療界、メディア、政治の世界から反対の声は上がらない。知人の医師免許を有する国会議員は「職業選択、居住の自由など憲法違反の可能性が強く、このようなことをするなら、本来、国会で立法すべきで、都道府県が民民契約で済ませていい話ではない。ただ、医師不足を緩和する制度と言われたら、政治家は反対できない」という。

「専攻医研修」修了で「雇い止め」

 自殺した医師は専攻医(旧後期研修医)だった。「新専門医制度」も、一部の病院にとっては、医師抱え込み制度として機能している。

 我が国で若手医師は、医学部卒業後の2年間の初期研修医と、その後の3~5年程度(専攻する専門科によって年限は異なる)の専攻医に大別される。前者は医師法に規定され、初期研修病院には、厚労省から補助金と引き換えに厳しい規制が課される。

 この新専門医制度こそが、病院運営にとっては有り難い。未熟な初期研修医と違い、専攻医は、一般診療から雑用まで何でもこなすからだ。

 厚生労働省が2020年に発表した「医師の働き方改革の推進に関する検討会」の参考資料では、20代の男性医師の週の平均労働時間は61時間34分、同女性医師は58時間20分だ。前述の理由で、専攻医だけに絞れば、さらに労働時間は長いだろう。

 一方、若手医師の給与は低く、待遇も悪い。さらに、研修は専門医資格を得るための自主的な修業期間とみなされており、有期雇用が多い。国立大学や国公立病院など定員が決まっている組織では、専門研修プログラム修了後の医師を、そのまま常勤には出来ず、こういう形で若手医師を受け入れるしかない。

 この結果、医学部卒業後5~7年を経験した中堅医師が、専門研修プログラムを修了したということで「雇い止め」される。この時期は、女医は結婚・妊娠で働けなくなることも多い。病院経営者にとっては都合の良い仕組みだ。

 待遇も悪い。今回、自殺した医師の場合、650万円の年俸制だ。時間外手当ては「月30時間を超える場合に、超えた時間分を支給」とある。

 ただ、これでも大学病院と比べればまだましだ。東京医科大学病院は、ホームページに「月額20万円+夜勤手当、超過勤務手当等」と公表している。専攻医は、生計を立てるため、休日にアルバイトに勤しむことになる。過労になるのもやむを得ない。

専門医資格取得との交換条件で勤務先を指定

 なぜ、若手医師は、このような環境で働くのか。それは、専門研修プログラムを終えないと「専門医資格」を取得できないからだ。

この専門医資格も曲者だ。認定するのは、日本専門医機構だ。専門医としての実力を評価するだけなら、対面や筆記の試験をすればいい。必要なら実技を課すことも可能だ。ところが、日本専門医機構は研修指定病院を認定する。つまり、若手医師を強制配置する権限を有する。彼らは、その目的の中に、専門医の偏在是正を掲げるくらいだ。

 注目すべきは、この組織が一般社団法人で、同機構の理事の多くを大学教授が務めることだ。大学教授たちが一般社団法人を立ち上げ、専門医資格の取得との交換条件で、若手医師の勤務先を指定するのは、独占禁止法などに抵触するのではないか。ところが、厚労省は処分することなく、毎年1億円程度の補助金を出している。

 厚労省も、流石に問題視した。厚労省は縦割りだ。医療政策を仕切るのは旧厚生省系の医系技官だが、労働問題を扱うのは旧労働省系の官僚たちだ。

 彼らは、医師に対しても時間外労働の上限を年間960時間と定め、2024年度から実施する。地域医療や救急医療にかかわる医療機関などについては、年1860時間に引き上げる特例を都道府県が審査するが、この影響は甚大だ。

 厚労省は、大学医局から医師が派遣されている病院での労働時間も時間外労働に算入せよという主旨の通知を出しており、この制度が運用されれば、後期研修制度に頼った病院運営の前提が崩れ、医師不足に悩む地域医療は崩壊するだろう。

 このことについては、私は既視感がある。2003年から04年にかけての医師の名義貸し批判だ。北海道などの僻地の病院で、実際に勤務していないのに給料を貰っている医師がいることが問題視された。

 実は、「僻地の病院にとって医師の名義貸しは必要悪だった」(地方大学医師)。僻地の病院は恒常的に医師不足に悩む。一方、都市部の大病院には、腕を磨くために若い医師が集まる。その中には無給の医師もいた。この問題を調整していたのが医師のアルバイトだった。若手医師にとって唯一の収入源になったと同時に、地方の病院は、大学や大病院に所属し、アルバイトとしてやってくる医師を「常勤」として雇用し、医師不足を解決していたのだ。

 世間の批判を受けた厚労省は、このような事情を考慮することなく、規制を強化した。2003年度の厚労省による病院への立ち入り検査後の処分数は62件と、前年(26件)から倍増した。2002年には診療報酬の価格が1.3%値下がったこともあり、2002年以降、病床数、病院数は、毎年0.3%、0.5%程度減少した(厚労省病院報告、医療施設調査)。厚労省は、病床あたりの常勤医師数を規定している。僻地の病院の中には、この基準を満たせないところもあった。実態は、アルバイト医師に依存していた病院の倒産だ。これが、2000年代後半の医療崩壊騒動の始まりだ。

 医療は複雑系だ。不祥事が起こった際に、世論に便乗した厚労省が規範論を持ち出して、大改革してもろくなことはない。今回の若手医師の過重労働問題も同じだ。

医師は本来の意味での「プロフェッショナル」

 では、どうすればいいのか。その働き方を考えるなら、医師とは何か、その歴史に遡って議論すべきだ。

 私が注目するのは、医師がギリシャ、ローマ時代からの古典的プロフェッショナルであることだ。プロフェッショナルの語源は“profess”で、「pro =前」で「fess = 話す」という意味を持つ。これは中世の欧州で、医者・法律家・聖職者が養成機関を卒業し、その職に就く前に神に対して「自らの専門的な技能を用いて、社会(医師の場合は患者)のためにベストを尽くす」と宣誓する(神の前で話す)ことに由来する。

 いずれの職種も高度で専門的な技能を要し、一般人とは情報の非対称が存在する。このような状況下では、専門家が素人を欺くことが容易だ。このため、医業におけるプロフェッショナルには「全ての知識を患者のために用いる」という自己規律が求められた。米国の多くの医学校では、臨床実習を始める前の白衣授与式で「ヒポクラテスの誓い」が読まれるのは、このような伝統を引き継いでいるためだ。

 これが古典的な意味での「プロフェッショナル」だが、20世紀に入り、多くの職業が「プロ」と呼ばれるようになった。プロ野球選手、プロダンサーなど、顧客から金をとる仕事をする人が、アマチュアと対比する意味で語られることが増えた。さらに近年は「プロ経営者」や「営業のプロ」など、複数の会社を渡り歩き、もっぱら1つの職種をこなす人のことを言うようにもなった。これは、本稿でのプロフェッショナルとは異なる概念だ。

医師には「雇用契約」よりも「パートナー制」を

 では、古典的な意味でのプロフェッショナルは、現代になってどう発展しただろう。ご紹介したいのはマービン・バウワー(1903~2003)だ。世界的なコンサルティング会社「マッキンゼー・アンド・カンパニー」の中興の祖と呼ばれている人物だ。

 余談だが、この人物に興味がある方は、『マッキンゼーをつくった男 マービン・バウワー』(エリザベス・イーダスハイム著、村井章子訳、ダイヤモンド社)をお読み頂きたい。

 話を戻そう。マッキンゼー・アンド・カンパニーは、1926年にシカゴ大学の会計学教授だったジェームズ・マッキンゼー(1889~1937)が立ち上げた会社だ。マッキンゼーは1937年に48歳で亡くなる。その後、同社を発展させたのが、1933年に入社した弁護士出身のバウワーだった。彼は60年以上にわたってマッキンゼーを率い、大企業の戦略策定に比重を置くスタイルを確立した。

 この際、彼が留意したのは、プロフェッショナルとしてのコンサルタントだ。バウワーが主張するプロフェッショナルの条件は医師や弁護士と同様、専門的知識や技能を有し、顧客のために働くことだ。その際、報酬は顧客から頂く。情報の非対称があるため、自己規律が必要だ。

 マッキンゼー・アンド・カンパニーは、企業形態としてはパートナー制を採用している。これは古典的プロフェッショナルとしての弁護士以外には、会計士や建築士などの企業でも採用されている。

 私は、このシステムを採用したことが、マッキンゼー・アンド・カンパニーが飛躍した理由の1つだと考えている。それは、プロフェッショナルの集団に相応しい仕組みだからだ。

 プロフェッショナルの特徴は、開業するのに巨額の設備投資を要しないことだ。知識、経験、人脈だけが財産だから、人間関係や職場が嫌になれば、簡単に移動できる。契約で縛っても無駄だ。プロフェッショナルの集まりは、経営における責任と収益を分担するパートナー制が似合っている。

 私は、病院と医師が雇用契約を締結する勤務医という在り方を見直すべきだと考えている。ロボット手術など一部の先進医療を除き、医師の診療に大きな設備投資は要らない。特にプライマリケアでは、その傾向が強い。プロフェッショナルによるパートナー制こそ、医師に相応しい組織だ。

自由度を増すことが医師の働き方改革

 医師が独立したプロフェッショナルとして働くことが出来れば、今回の自殺で問題となった若手医師の学会発表の準備が、業務なのかプライベートなのかという問題も解決される。

 医師の武器は、頭の中の知識と、診療の蓄積による技量だ。患者さんから信頼を獲得して、医師として食っていきたいなら、診療時間以外に勉強するしかない。同業者が集まって勉強する機会が学会だ。

 今回、学会発表や論文作成など活動が「自己研鑽」として業務外の取扱いとなったことが問題となったのは、この医師が勤務医として病院と雇用契約を結んでいたからだ。医師は勤務医という名前の「労働者」として扱われ、病院はコストとなる自己研鑽を業務とは認めたがらない。甲南医療センターが、後期研修医として雇用していた若手医師に対し、自己研鑽の時間を削ろうとしたことは示唆に富む。病院経営者の本音なのだろう。

 医師は個人事業主としての性格が強い。修業時代は先輩の下で学び、やがて独立する。どの程度働き、どの程度研鑽するかは裁量に任される。別に特定の1つの病院に勤務する必要はなく、複数の病院で非常勤として働いてもいい。現在の勤務先が自らと合わなければ職場を変えればいい。雇用契約でなく、独立事業者として病院と業務委託契約を結べば、さらに働き方の自由度はあがる。勉強のための教科書の購入や学会参加費も経費に計上できる。

 なぜ、日本の医師の世界でパートナー制度が発展しないのか。それは、この制度が広まれば、研修病院などに認定されている病院が損するからだ。医師調達コストが上昇する。

 では、どちらの方が患者や若手医師にとっていいのか。医師の働き方の自由度を増すことで、自分にあった研修方法を選択できる方が医師の技術は上がり、患者にとっては安心だ。複数の勤務選択肢があれば、過重労働や自殺のリスクも減るだろう。実は、これこそが歴史的には「普通」の医師の働き方なのだ。医師の働き方改革には、歴史的視点に立った本質的な議論が必要だ。

 

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執筆者プロフィール
上昌広(かみまさひろ) 特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。
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