
――今春、「国立大学の学納金は150万円程度に引き上げるべき」という提言が話題になりました。伊藤塾長が提唱する「高等教育の改革」の中身についてお聞かせください。
この提言のベースには、一層少子化の進む2040年という未来を見据えたときに、日本の高等教育は本当にこのままでいいのかという大きな危機感があります。
2040年、つまり16年後の大学入学者数は、今の75%程度になると想定されています。それだけ若者が減少する中で、社会の水準を維持し、さらに向上させていくには、これまで以上に高度な人材を育成する必要が高まることは言うまでもありません。AI(人工知能)の台頭によって、それに代替されない、イノベーションをもたらせる人材の必要性も高まっています。
こうした状況を踏まえると、現在の高等教育の延長で、より良い日本社会を次世代に引き継いでいけるとは到底思えないのです。今こそ、教育の在り方を抜本的に見直し、教育の質を高めていく必要があるのではないでしょうか。
そのためにまず、高等教育の在り方自体を再定義する必要があると考えています。
たとえば、今や世界でいう高等教育とは「修士以上」が一般的になっている一方で、日本は文系を中心に、4年間の学士で学びを終えるのが一般的です。まして3年生になると就職活動に注力し始め、それが終われば学習意欲は失われてしまう学生が多いのが実態ですから、世界基準でいう「高等教育」とはだいぶ乖離があるのです。OECD(経済協力開発機構)の発表をもとに日本私立大学連盟がまとめたデータから、大学院の修了者が多い国ほど、労働生産性が高いという相関関係も確認できています。
そこで「国立大の学納金引き上げ」とあわせて提言したのが、従来の学士4年+修士2年の教育課程に加えて、5年一貫教育で修士課程を修了するコースを新たに設置し、標準化していくということです。この「5年制」の導入によって、日本の高等教育の“底上げ”を図ろうという考えです。
実際に東京大学は2027年秋に、5年制の文理融合型新課程を新設すると発表していました。こうした取り組みを、日本の大学全体に広げ、学びの底上げを図る必要があると私は思います。
国立・私立が競争して「ボリュームゾーン」の底上げを
もう一つ重要なのが、国立と私立の間で、適切な競争環境を用意することです。
両者の間では、学生側が支払う学納金に大きな差が生じています。国からの補助が手厚い国立大の場合、学生1人あたり年間229万円程度(国立大学86校の平均)の助成金を得ていて、学納金の標準額は年間約54万円に抑えられている。それに対して、助成金が学生1人あたり18万円程度に留まる私立大の場合、学納金は平均で124万円。「国立は安く私立は高い」という明確な構図が出来上がっていて、適切な競争が働いていないのです。
地方大学を保護する必要性はまた別の議論に譲るとして、大学がより良い教育を提供できるようレベルアップしていくためには、原則としてはそれなりの市場原理が働かなければなりません。学生から選ばれるために、国立・私立を問わず大学同士が切磋琢磨して教育の水準を高め合っていかなければならないのです。そのためには、学生側が、学納金の大小にとらわれすぎず、純粋に「そこでどのような学びができるのか」という視点で大学を選べるようにする必要があるということです。
現在、国立大に通う学生は全体の16%に過ぎず、80%程度は私立大に通っています。国からの補助が手厚い国立大の学生のレベルばかりが上がっても、ボリュームゾーンである私立大のレベルが追い付いてこなければ、“底上げ”は図れないわけです。
そのような文脈の中で、現行では54万円におさえられている国立大学の受益者負担を引き上げるべきだと申し上げたのです。個人負担のおよその均一化があってこそ、私立大学も同じ土壌で競争ができ、質を上げていくことができる。
まして、国立大学に通う世帯の平均年収は、私立世帯よりも高いという実情もあります。たとえば、東京大学に入学する世帯の平均収入は日本トップなのに、学納金を一律で54万円(※2025年より約64万円に引き上げ予定)に抑えることが、本当に適切といえるでしょうか。払う余裕のない人たちを助けることが重要なのであって、多額の税金を投じてまで、高所得者層も多い国立大の学生だけ、一様に学納金を抑える必要が本当にあるのかという話です。

マイナンバーで“プッシュ型”の給付金を拡大
もちろん、低所得者層の救済は手厚くする必要があります。現行制度ではまだまだ奨学金の返済に追われる卒業生が多いですし、申請手続き自体も大きな負担になっています。

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