たった5分で終わったトランプ氏との会話
電話はわずか5分間だった――。石破茂首相はドナルド・トランプ氏が大統領選に勝利した直後の日本時間11月7日に、お祝いの電話をした。
通訳を介すので、話したのは実質およそ2分。この電話の最大の目的は対面でいつ会うかの約束を取り付けること。時間が短かったのは、その約束ができた、もしくはそれに近い確証を日本側が得られたということだろう。
政府高官は「11月中旬のペルーやブラジルで開く国際会議の帰りに米国に立ち寄り、会談できる感触を得たのではないか」と解説する。対面で会談できると判断し、電話が短くなったのではないか、との推測だ。
政府内ではトランプ氏との対面での会談に備え、トランプ氏への「お土産」を用意するよう指示があったとの証言もある。トランプ氏はサービス精神がある分、発言は適当である。気分次第の要素も大きい。日本側が誤解してもおかしくない発言をしたのではないか。
首脳同士の電話協議に失敗は許されない。今回の首相とトランプ氏の電話もガチガチの想定問答で固めた。首相は協議後、記者団に「日米同盟をより高い次元、段階に引き上げていくことで一致した」と述べた。できるだけ早期に対面で会談することも確認したと明らかにした。
トランプ氏の印象について「一言で言えばフレンドリーな感じがした。言葉を飾ったり繕ったりするのではなく、本音で話ができる人という印象を持った」と語った。安全保障に関する踏み込んだ議論はなかったと説明。「装備面、運用面、統合面、いろんな観点から日米同盟の強化をこれから精力的に議論していきたい」と強調した。
「お互いにいい仕事ができるのを楽しみにしている」と話し、X(旧ツイッター)には「トランプ次期大統領の強い指導力により、日米同盟が一層強固になると確信しています」と書き込んだ。
初対面は来年2月下旬か5月の大型連休に?
できるだけ早期の会談を約束したはずだったが、11月中旬のペルーとブラジルを訪問の前後で探った米国でのトランプ氏との面会は実現しなかった。トランプ氏側が「2025年1月の正式就任まで原則として外国の首脳に会わない」と断ったためだ。
日本側はなお早期の会談をめざす。米議会や日本の国会の日程を考えると、首相が訪米して単独で会う機会は早くても来年2月末頃の25年度予算案の衆院通過の前後、もしくは4月末から5月初旬の大型連休になる。
少数与党は野党の協力がなければ、予算の成立もおぼつかない。内閣不信任決議案も否決できない。来年の2月下旬からは予算案を巡る与野党の攻防が激しくなり、予算が成立すれば、夏の参院選に向けて内閣不信任案の提出の有無や否決できるかどうかに関心が移る。
来年の主要国首脳会議(G7サミット)は6月にカナダ西部アルバータ州のカナナスキスで開かれる。首相がサミット期間中にトランプ氏と会談するのは可能だが、多国間会議を利用した会談は訪米して会うのに比べると重みがない。
因みに米大統領選直後の勝利者との電話時間は、16年は安倍晋三首相がトランプ氏と約20分間、20年は菅義偉首相がジョー・バイデン氏と約15分間となっている。5分間は安倍、菅両氏と比べても短い。
16年の安倍首相もトランプ氏とニューヨークで会談した際に距離を縮めた。それに倣った可能性があるものの、そうはならなかった。だが、石破首相が落ち込んでいる様子はない。
「アジア版NATO」構想をあっさり封印する現実主義
首相は9月の自民党総裁選で、東アジアに北大西洋条約機構(NATO)のような集団防衛の仕組みをつくる「アジア版NATO」構想や、在日米軍の法的特権を認めた日米地位協定の改定を掲げた。ところが総裁選に勝ち首相になると、これらの主張をあっさり封印した。
「実際に政権を獲ったら、現実と乖離した政策を押し込めるのは当然」という現実主義である。石破首相も日米同盟が日本外交の基軸だという対米観を持っている。首相になった以上、その日米同盟にマイナスになるのであれば持論であっても排除する。日頃は原理原則を掲げながら、実際には融通無碍なのである。
こうした姿勢の背景として、首相が置かれてきた状況の説明が必要だろう。時は12年に遡る。野党・自民党の総裁選。石破氏は1回目の党員投票で1位になりながら、安倍氏に決選投票で負けた。第2次安倍内閣で自民党幹事長、地方創生相を歴任したものの、その後、要職を外された。
私は12年4月から17年3月まで5年間日本経済新聞ワシントン支局に駐在した。日本に戻った際は石破氏と東京で意見交換し、石破氏がワシントン出張のときはワシントンで会った。
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