軍の改革か雇用の受け皿か――インド軍の新採用政策「アグニパト」がもたらした波紋

執筆者:伊豆山真理 2025年2月6日
タグ: インド
エリア: アジア
インドの国防費は7割が人件費などの収益支出、そのうち半分を年金が占める[共和国記念日に開催される祝賀行事のリハーサルに参加したインド軍兵士=2025年1月24日、インド・コルカタ](C)EPA=時事
昨年のインド総選挙で争点の一つになった「アグニパト」は4年間という短期任用で兵士を募る。兵員の若年化、一般社会との人材交流など少なからぬメリットも指摘されるが、軍人年金の削減が隠れた目的であることは否定できない。この政策がなぜ、北部を中心に一部は過激化もした反対デモを引き起こしたのか。背景には、軍が若年層雇用の受け皿としての役割を担うという、インドの悩ましい構図がある。

 

はじめに

 2024年4月~6月にかけて行われたインドの連邦議会下院選挙において、軍の採用制度が一部の州で投票行動に影響を及ぼした。インドの選挙では、外交・軍事問題は通常大きな争点とはならない。投票者は、生活に密着する物価や雇用への関心をもとに投票を行うと考えられている1

 しかし、今回は選挙前から軍の採用政策が争点化しており、実際北部諸州でのインド人民党(BJP)の後退要因になったとみられる。野党国民会議派は、選挙マニフェストに、モディ政権が2022年に始めた採用政策の撤回を明確に掲げた。「わが国兵士の社会保障と経済的保障のために、アグニパトを廃止し、陸海空軍が維持してきた正常な採用政策を復活させる。2

 この「アグニパト」とは、2022年6月、ラジナト・シン国防大臣が発表した任期付きの採用制度である。これまで兵士の正規採用では最長17年間勤続可能であったところを、アグニパトでは4年間の任期付き採用とする。またその採用の対象は、17歳6カ月から21歳に限られる。4年の任期終了後に曹(OR: Other Ranks)として軍に残れるのは4分の1のみである。アグニパトによる採用者は、任期終了後の身分の保証がなく、また退職一時金は支給されるものの、軍人年金の受給資格がない。入隊希望者の立場からみれば、「不安定な雇用」となる。  

 アグニパト制度が発表されるや否や、北部ウッタル・プラデーシュ州やハリアナ州では、入隊資格年齢層の若者が敏感に反応し、各地で採用政策の変更に反対するデモが発生した。当初は軍の採用拠点前でのデモや道路の占拠など平和的抗議であったが、公営バスや鉄道に対する投石などにエスカレートしていった3

1.期任用制度としてのアグニパトのねらい

 欧米や日本でも近年短期任用制度が導入されているが、その主なねらいは兵員の充足率低下を解消することである。背景には、徴兵制廃止や若年人口減少、あるいは職業としての魅力の低下などの要因がある。しかしインドの場合、

カテゴリ: 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
伊豆山真理(いずやままり) 防衛研究所 地域研究部アジア・アフリカ研究室主任研究官 上智大学法学部国際関係法学科卒業、東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。1994年防衛研究所入所、理論研究部長を経て2024年より現職。専門は国際関係論、インドの政治・外交・安全保障。著書に『これからのインド 変貌する現代世界とモディ政権』(共著、東京大学出版会)、『新興国から見るアフターコロナの時代 米中対立の間に広がる世界』(共著、東京大学出版会)、『「強国」中国と対峙するインド太平洋諸国』(共著、千倉書房)などがある。
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