第3部 ミサイルの下で(2) ハルキウ、墓標なき墓地

執筆者:国末憲人 2025年3月15日
タグ: ウクライナ
エリア: ヨーロッパ
身元不明者の墓所には色彩がない。手前の表示板には「頭蓋骨」、左奥は「頭蓋骨、骨」と記されている(撮影筆者、以下すべて)
侵攻から4日目、ロシア軍地上部隊は市の北東方面から大通り「シェフチェンコ通り」を中心部に向けて南下し始めた。市内の学校に入って態勢を整えようとしたロシア軍を、ウクライナ軍は包囲して全滅に近い形に追い込んだ。急ごしらえの志願兵が中心だったウクライナ軍に、なぜそれができたのか。侵攻直前にインタビューした領土防衛隊の元軍曹に3年ぶりに再会した。ハルキウの共同墓地には、存在した証も奪われ、ただ「頭蓋骨」「頭蓋骨、骨」とのみ示される身元不明の死者たちが埋葬されていた。【現地レポート】

 2022年2月24日のロシア軍全面侵攻に激しく抵抗した街に対し、ウクライナ大統領ヴォロディミル・ゼレンスキー(47)はその翌月、「英雄都市」の称号を授与した。ソ連時代の制度にならったもので、3月6日にまずチェルニヒウ、ハルキウ、ヘルソン、マリウポリ、ヴォルノヴァハ、ホストメリの6都市が受賞し、ソ連時代にすでに受賞していたキーウ、オデッサ、セヴァストポリ、ケルチの4都市の地位も更新された。3月24日には、これにブチャ、イルピン、オフティルカ、ミコライウの4都市が加えられた。

 この計14都市にハルキウが含まれたのは、その奮闘ぶりから当然だっただろう。両軍の兵力の差は歴然としており、ロシアはハルキウを容易に占領できると見込んでいた。しかし、自信満々で街に入ろうとしたロシア軍の部隊を、ウクライナ軍は待ち伏せ作戦で壊滅させ、街は占領を免れた。

 その現場を、ハルキウの民主化運動家ボリス・レディン(56)の案内で訪ねた。

遺体は秋まで臭った

 ロシア軍の全面侵攻当初、世界の目はハルキウでなく、首都キーウに向けられていた。ドニプロ川の両岸から南下したロシア軍は、瞬く間にキーウに迫った。もし首都が陥落すれば、ゼレンスキー政権は崩壊するか、亡命政権となるしかない。ロシアはウクライナを広範囲にわたって掌握し、多少の抵抗運動は残るにしても、ウクライナの属国化を進めていたかもしれない。従って、キーウが焦点となるのは当然である。この間、ハルキウで何が起きていたかは、あまり注目を集めなかった。

 実際には、ハルキウもキーウと同様に、陥落の危機に見舞われていた。ロシア国境から200キロ以上、ベラルーシ国境からも100キロ以上あるキーウとは異なり、ハルキウはロシア国境から30キロ程度しかなく、ロシア軍にとってはそれだけ攻略が容易である。2月24日に国境を越えたロシア軍地上部隊は27日、市の北東方面から大通り「シェフチェンコ通り」を中心部に向けて南下し始めた。ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)傘下の第2独立特殊任務旅団で、一般的に「スペツナズ」と呼ばれる特殊部隊である。チェチェン紛争やジョージア紛争、ウクライナ東部ドンバスの紛争などで戦闘を経験しており、民間軍事会社「ワグネル」をエフゲニー・プリゴジンとともに創設したドミトリー・ウトキンが所属していたことでも知られる。

地図作成:筆者

 そのような精鋭部隊が待ち伏せに遭ったのは、抵抗が少ないと油断していたからだろう。兵士らは「ウクライナ軍は弱く、2、3日で制圧できる」と将校らから知らされていたという1。これをウクライナ軍が待ち伏せした。場所は、道路脇にあるハルキウ第134番校の校舎だった。小中学校や高校の区別がないウクライナでは、日本の小学校年齢から高校卒業時まで同じ学校で学ぶ。第134番校はそのような学校の一つで、ドイツ語教育を取り入れていることで知られていた。

 訪ねてみると、壁面をクリーム色に統一された3階建ての美しい校舎が、道路脇に立っていた。ただ、銃撃を受けて壁は穴だらけである。内部はもっとひどく、空洞状態になってほとんど何も残っていない。ウクライナ軍はこの先にバリケードを築き、ロシア軍部隊の進撃を止めた。ロシア軍はこの校舎に入って態勢を整えようとしたところを、ウクライナ側に包囲された。ウクライナ側は投降を促したが、ロシア側は拒否したという2。その結果、大規模な衝突となり、ロシア軍部隊は全滅に近い形となった。

カテゴリ: 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
国末憲人(くにすえのりと) 東京大学先端科学技術研究センター特任教授、本誌特別編集委員 1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長、朝日新聞ヨーロッパ総局長などを歴任した。2024年1月より現職。著書に『ロシア・ウクライナ戦争 近景と遠景』(岩波書店)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)、『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『イラク戦争の深淵』『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)など多数。
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