第3部 ミサイルの下で(4) オデッサ、戦争と文化

執筆者:国末憲人 2025年3月23日
タグ: ウクライナ
エリア: ヨーロッパ
オデッサ中心部の街並み。寒さのせいか人影は少ない(筆者撮影、以下すべて)
世界遺産への登録によって、オデッサに対する国際社会の認知と関心は高まった。その意味は大きいものの、破壊された文化財の修復をユネスコのお役所仕事が妨げているとの批判もある。ロシア由来の街路の名称をウクライナ関連に変更する試みも進んでいる。「プーシキン通り」は「イタリア通り」に改称された。オデッサを愛したロシア詩人はオデッサの人々にとっても誇りだが、「ロシアがプロパガンダに利用することを考えると、悔しいけど名称を変えざるを得ない」と州政府当局のオレーナは言った。【現地レポート】

 文化財が次々と被害を受けるオデッサで、その修復や再建はどうなっているのだろうか。被害を防ぐために急遽進められた世界遺産登録の効果は出ているか。文化行政を担当するオデッサ州政府文化民族宗教文化遺産保護副部長のオレーナ・ヴォロブヨヴァ(40)に会った。彼女が示したのは、極めて現実的な方針だった。

「修復は、人が住む建物を優先します」

勝手に捨てる場合も

 言われてみると当然である。モノよりも人の命と暮らしが重要なのは言うまでもない。文化財は大切だが、人の暮らしがなければその保護もおぼつかない。

「文化財にも、中に人が住んでいるところとそうでないところがあり、前者の手当を早急にせざるを得ません。内部が使えなくならないよう、屋根と窓をまず修復します。世界遺産に登録されている地区内であっても、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の手続きを待っていると時間がかかる。市の手続きでさえ、修復計画を立てて入札して、などと規則通りにやっていると間に合いません。ある程度目をつぶってでも、どんどん進めざるを得ない面があります」

 ただ、問題もあるという。例えば、2023年7月の攻撃で大破した救世主顕栄大聖堂の場合、近所の人々や信者が集まり、がれきを片付けた。

「そのため、破損した建物の一部を勝手に捨ててしまったケースもありました。でも、あの教会はそれでいいのです。建物に大きな価値はないし、貴重な地下部分は被害を受けませんでしたから。修理も複雑ではなく、宗教団体なので資金もそれなりにあります」

 問題は、救世主顕栄大聖堂と同じ日に攻撃を受けた「トルストイ邸」(科学者の家)だったという。

「ボランティアらが後片付けに当たりましたが、多数の重要な文化財が内部に残っていたので、本当は専門家が作業をすべきでした。結果的に、なくなったり捨ててしまったりのものがあったのです。事情を考えると仕方ないのですが」

 一方、2025年1月31日のブリストルホテルに対する弾道ミサイル攻撃の余波で被害を受けたオデッサ・フィルハーモニー劇場は、ある程度の専門知識を持つNGOがすぐに現場に入ったことで、混乱を避けられた。国際機関や民間のドナーと連携し、ロシア軍全面侵攻以前の2017年から地元の博物館や美術館への支援活動を続けてきたオデッサの市民団体「ミュージアム・フォー・チェンジ」である。オデッサ内外の70館以上を支援し、運営への助言や市民向けイベントの企画などに取り組んだり、収蔵品のデジタル保存を推進したり、といったプログラムを進めている。博物館と国外の財団との関係を取り持ち、2022年だけで118万ユーロの支援を国外から引き出すことにも成功した。

「フィルハーモニー劇場のガラスはとても貴重で、1ミリ四方でさえ失うわけにはいきません。破片を収集し登録しなければならず、ボランティアにその作業は無理です。ユネスコやICOMOS(国際記念物遺跡会議)、ICCROM(文化財保存修復研究国際センター)といった団体と連絡を取って意見を聞く作業も求められる。このガラスを扱える本当の専門家は国内にいないので、国外から修復の専門家を招きました。『ミュージアム・フォー・チェンジ』は、そのための資金集めにも携わってくれました」

 また、ブリストルホテルは民間の所有なので、所有する財閥に修復も任せた。このホテルは2002年から2010年にかけて大規模な改修を受けているが、その時のデータと経験が今の修復に大いに役立っているという。

オデッサ州政府文化民族宗教文化遺産保護副部長のオレーナ・ヴォロブヨヴァ

世界遺産登録の「功罪」

 では、市の中心部が「オデッサ歴史地区」として世界遺産に登録されたことで、どのような変化が生じたのだろうか。

カテゴリ: 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
国末憲人(くにすえのりと) 東京大学先端科学技術研究センター特任教授、本誌特別編集委員 1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長、朝日新聞ヨーロッパ総局長などを歴任した。2024年1月より現職。著書に『ロシア・ウクライナ戦争 近景と遠景』(岩波書店)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)、『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『イラク戦争の深淵』『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)など多数。
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