横浜山下公園前に係留され、観光名所となっている氷川丸は戦前、日本郵船の旗艦客船として太平洋航路を中心に世界を周航した。一九三〇年に建造、就航して以来、戦時中は海軍病院船、戦後は引き揚げ船、内航船、石炭運搬船、とめまぐるしくその役目を変えた。平和・独立の訪れとともに再び客船に戻ったが赤字続きで、一九六〇年十月に引退した。最後の航海となったシアトル航路の乗客の大部分は留学生だった。すでに、日本航空の太平洋路線が就航していた。 一九六一年、酒井一之がパレスホテルのコック見習いとして働き始めた頃、そこの野菜場でジャガイモや人参を信じられないほどうまく剥く“じっちゃん”と呼ばれる大勢の初老の男たちがいた。彼らは、氷川丸のコックたちだった。

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