尖閣諸島漁船衝突ビデオ流出事件の顛末

平野克己
執筆者:平野克己 2011年1月23日
カテゴリ: 国際 外交・安全保障

 中国漁船衝突ビデオを持ち出した一色元春元海上保安官の起訴猶予処分が決まった。彼の行為を「国家公務員守秘義務違反だ」といっていた人々にとっては意外であり、遺憾だろう。彼らの主張は一色氏が正式起訴されなければ成立しないからだ。
 私は当初からこのような判断になると思っていた。一色氏の行為は守秘義務違反には問えない、流出したビデオは1977年最高裁判決にいう「秘密として保護に値するもの」とはいえない、と考えていたからである。東京地検が一色氏を逮捕しなかったことからも、事情に通じている人になら、不起訴になることは十分予測できた。
 なにせこの映像は、海上保安庁内では職員に公開されていたのも同然だった。最高裁の判例は、守秘しなければならない情報は「非公知」なものでなければならないといっている。すでに保護されていて、今後も保護するに値する内容を備えている情報。これが、国家公務員守秘義務に関して司法が行政に課している制約条件だ。なんでもかんでも「機密」にしてはいけないということである。ひとたび政治家が「これは機密だ」といえば、すべて自動的に国家公務員が守秘義務を負うというものではないのである。もしそれを許せば、政治家と行政府による情報専制への道が開かれてしまう。
 したがって、問題の本質は、情報の「漏洩」にではなく「隠蔽」にあった。なぜなら、このビデオの隠蔽を是とするなら一色氏を罪に問わなければならないからである。不起訴処分は、暗に、ビデオの秘匿に法的裏付けがないことを示唆している。これも以前論じたが、私はビデオの隠蔽は政治の越権だったと考えている。
 海上保安庁の艦艇は、あの状況のなかで中国漁船を拿捕し、船長を逮捕した。命がけの公務を記録した映像は、中国人船長を起訴するための証拠としてのみならず、危険な事態における対処を海上保安庁みずからが検証するためにも重要だ。それを、政府は闇に葬ろうとした。海上保安庁のルーティンとして庁内で通常公開するものを、「無用なナショナリズムを刺激する」という説明のみで秘匿し、国民に伏せたまま「対中配慮」外交をやろうとしたのである。これは外交の私物化に等しく、民主主義国の政府としてふさわしいものではない。実際、ビデオが公開されたことで日本の外交益は損なわれたであろうか。また、「対中配慮」はなにか成果を生みだしただろうか。ときの内閣官房長官、仙谷氏の判断は間違っていたのである。判断違いは許容できても、手法は許容できない。

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執筆者プロフィール
平野克己
平野克己 1956年生れ。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院経済研究科修了。スーダンで地域研究を開始し、外務省専門調査員(在ジンバブエ大使館)、笹川平和財団プログラムオフィサーを経てアジア経済研究所に入所。在ヨハネスブルク海外調査員(ウィットウォータースランド大学客員研究員)、JETRO(日本貿易振興機構)ヨハネスブルクセンター所長、地域研究センター長などを経て、2015年から理事。『経済大陸アフリカ:資源、食糧問題から開発政策まで』 (中公新書)のほか、『アフリカ問題――開発と援助の世界史』(日本評論社)、『南アフリカの衝撃』(日本経済新聞出版社)など著書多数。2011年、同志社大学より博士号(グローバル社会研究)。
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