安保法制議論の「迷走」を米国から見る

執筆者:武内宏樹 2015年8月11日
エリア: 北米 アジア

 安保法制をめぐる国会審議が迷走している。「安保」法制と銘打っているので安全保障をめぐる議論をするのかと思いきや、憲法論議に終始し、肝心の安全保障は蚊帳の外に置かれている。
 4月の訪米時に米国議会での演説で夏までの法制化に言及した安倍首相であるが、そのときにワシントンを訪問した政治家の間でも、集団的自衛権への賛否は別にして、そんなに早急な法制化ができるのかという声が上がってはいた。しかし、時間がかかる問題だからといって、本筋の安全保障の議論をほとんどせず、集団的自衛権が合憲か違憲かという議論に拘泥するのは本末転倒といわざるをえない。
 そもそも安全保障というのは国民の合意が得られやすい問題のはずである。昨今話題になっている環太平洋経済連携協定(TPP: Trans-Pacific Partnership )のような経済問題は、国内利益団体の既得権益や利害関係に直接影響するので国内政治において合意形成をするのが難しい。それに比べれば、安全保障というのは国の存亡に関わる問題であるから、「国がなくなったら国内の利害関係どころではない」という論理で国内政治の争点にはなりにくいというのが国際政治学理論の教えるところである。
 本稿では、国会審議で安全保障をめぐる議論が全く深まっていないという現状を鑑みて、4月の安倍首相訪米も踏まえながら、米国が何を日本に期待しているのか、日米関係はなぜ重要なのか、中国の台頭は日米関係にどのような影響をあたえるのかという点について考察する。サザンメソジスト大学タワーセンター政治学研究所のサン・アンド・スター日本・東アジアプログラムでは、今年3月に筆者が中心になって「日はまた昇る? 日本の新しいナショナリズムを超えて」(Waiting for the Rising Sun: Japanese New Nationalism and Beyond)と題したシンポジウムを開催した。そのときに基調講演のためにダラスを訪れたリチャード・アーミテージ元国務副長官へのインタビューを交えながら、日米関係と日本の果たすべき役割を論じてみたい。

カテゴリ: 政治 軍事・防衛
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